無為自然に目覚めよ
無為自然に目覚めよ
「無為にして、すべては整う」と老子はいいました、工夫才覚を動かしも、人生のことはなかなかうまくいかないのに、為すところなければ、すべてうまくいくとは何ということでしょうか、もしそのようにうまくいくならば、あなたの人生ゲームももっと気楽に勝ちを収めていけるでしょうか。
「何もしないことをやりなさい」とおかしなことを老子は勧めております。こんな安易なことはないように思えます。ところが、それはそれほど単純で簡単なものではないのです。では、この「何もするな」というのを、どのような言葉で表現しているのでしょう。それは老子は「無為自然」と言います。
荒木であれ
もう一つ老子は「荒木」ということをいっております。
荒木とは材木までいっていない山に木切って薪にしたようなものをいいます、我々はこの木から道具を作るが、道具になると、その用途にしか使えない、大は小を兼ねるというが、しゃもじは耳掻きにはできません、我々がしゃもじになると大変です、しゃもじになると、人間的にしゃもじとしてしか役に立たない。
「人間はよきしゃもじであることが一番大切である」これが普通の人に言うことです、しゃもじのように生きていれば必ず成功し、人ともうまくやっていけて、幸福な人生が過ごせる、これを座名の銘とかモットーなどといいます。
とこるがこのような教えが、時と場合によれば役に立たないどころか正反対のマイナスの力を発揮してえらい目にあうこともあるんです、しゃもじはしゃもじの役にしか立たないものです。
自分が荒木であれば、それから先は何かの役に立ちます、しゃもじになってくれ といわれればしゃもじになれる、そのうちに環境が変わり、人に耳掻きになってくれいわれたら、今度は耳掻きになれる。
こういうことを老子は言ったのです。そのためには、人間すべからく最初から荒木でなければなりません。
文豪、夏目漱石の言葉に、次の一文を見つけたことがあります。
私はこの「自己本位」という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました・・今まで呆然自失していた私に、ここに立って、この道からこう行かねばならないと指図してくれたものは実にこの「自己本位」の四字なのであります。
この言葉は、私・唱元 にも同じく、いやそれ以上に強く大きな力を与えてくれました。
私はいつも言っているとおり、自分の人生は「いい加減に生きよう」と思っています。
この夏目漱石「自己本位」の言葉は私に「いい加減に生きよう」という意義そのもののように私には思えたのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
とても出来ないと思っても 「出来る」と繰り返し言ってみたまえ
そしてこれを口癖にしたまえ ある日君はそれが出来ている
自分を発見しているだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いい加減・・
お湯に例えれば、熱くなく、冷たく無く・・いいアンバイが・・
肩に力入れすぎず・・肩に力抜き過ぎず・・いいアンバイが・・
右にも左にも・・中道が・・いいアンバイが・・
「無為にして、すべては整う」と老子はいいました、工夫才覚を動かしも、人生のことはなかなかうまくいかないのに、為すところなければ、すべてうまくいくとは何ということでしょうか、もしそのようにうまくいくならば、あなたの人生ゲームももっと気楽に勝ちを収めていけるでしょうか。
「何もしないことをやりなさい」とおかしなことを老子は勧めております。こんな安易なことはないように思えます。ところが、それはそれほど単純で簡単なものではないのです。では、この「何もするな」というのを、どのような言葉で表現しているのでしょう。それは老子は「無為自然」と言います。
荒木であれ
もう一つ老子は「荒木」ということをいっております。
荒木とは材木までいっていない山に木切って薪にしたようなものをいいます、我々はこの木から道具を作るが、道具になると、その用途にしか使えない、大は小を兼ねるというが、しゃもじは耳掻きにはできません、我々がしゃもじになると大変です、しゃもじになると、人間的にしゃもじとしてしか役に立たない。
「人間はよきしゃもじであることが一番大切である」これが普通の人に言うことです、しゃもじのように生きていれば必ず成功し、人ともうまくやっていけて、幸福な人生が過ごせる、これを座名の銘とかモットーなどといいます。
とこるがこのような教えが、時と場合によれば役に立たないどころか正反対のマイナスの力を発揮してえらい目にあうこともあるんです、しゃもじはしゃもじの役にしか立たないものです。
自分が荒木であれば、それから先は何かの役に立ちます、しゃもじになってくれ といわれればしゃもじになれる、そのうちに環境が変わり、人に耳掻きになってくれいわれたら、今度は耳掻きになれる。
こういうことを老子は言ったのです。そのためには、人間すべからく最初から荒木でなければなりません。
文豪、夏目漱石の言葉に、次の一文を見つけたことがあります。
私はこの「自己本位」という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました・・今まで呆然自失していた私に、ここに立って、この道からこう行かねばならないと指図してくれたものは実にこの「自己本位」の四字なのであります。
この言葉は、私・唱元 にも同じく、いやそれ以上に強く大きな力を与えてくれました。
私はいつも言っているとおり、自分の人生は「いい加減に生きよう」と思っています。
この夏目漱石「自己本位」の言葉は私に「いい加減に生きよう」という意義そのもののように私には思えたのです。
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とても出来ないと思っても 「出来る」と繰り返し言ってみたまえ
そしてこれを口癖にしたまえ ある日君はそれが出来ている
自分を発見しているだろう。
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いい加減・・
お湯に例えれば、熱くなく、冷たく無く・・いいアンバイが・・
肩に力入れすぎず・・肩に力抜き過ぎず・・いいアンバイが・・
右にも左にも・・中道が・・いいアンバイが・・
幸せに生きるには
幸せに生きるには
徒然草の第一二三段には次のような記述があります
「人間にとって大事なことは、衣食住の三つに過ぎない、そしてそれに加えて薬、すなわち医療です。この四つに不足のない状態にあるならば、その人は幸せに生きていられる状態なのだ」
私はこの段を読んで、まさにそのとおりだと思いました、この四つ以上のものを求めて、あくせくと心を労するのはぜいたくというものではないでしょうか?
とは言えど、これに私流のもう一つを付け加えるならば、それは「自分の氣分にそって生きていく」すなわち日頃から私の提唱している「いい加減に生きるため秘訣」です。
となると、私の場合は、幸せに生きるための最低条件は「衣食住と医そして氣分」の五つになるようですな。
「まなざし」という同人誌を出している(廣瀬童心・氏)の中で、私の心にしみる言葉に接しました
笑顔は善の波動だ
皆さん、我々は教養とか知識とか、風格とか、すべては笑顔に出くるのです、絶対すべて笑顔に出るのです。
それは人の「善の波動」です、人間の一番すばらしい行為は、相手の顔に喜びの笑顔を浮かべさせることなんです。
皆さん、笑顔というものは、どんどん伝播していきます。そして世の中はよくなるんです。そしてその波動が広がっていったら、世間に事件がなくなっていくでしょう。
より高い自我
「自由」という言葉の意味について考えてみましょう。
普通いわれている自由とは、他人によって自分の行動が拘束されない、という程度の意味でしょう、いってみれば、それはもっぱら肉体的活動の面においてのみです。
しかし「自由」とは、むしろ心の活動面において考えられるべきではないでしょうか。
本来、心とは自由闊達に次々と連想を重ねて、それこそ無限にあらゆる次元に飛翔していくものです。一説によれば、心の原義は「コロコロ」であるといいます。これは絶えずコロコロと思考過程が変化していくことからでたものでありましょう。
ところが、人間ひとたび不安、恨み、後悔などの否定的情動に捉われると、その心の動きが一ヵ所に固定してしまいます。たとえば破産した場合・・失恋とか、こうした状態が常駐化すると、これはもう地獄であります。
心が限定して動かなくなると、身体の方も次第に動かなくなります、現代病といわれる うつ病 がまさにこれです。部屋の隅にジッとうずくまり動けなくなります
自由とは、のびのびと心が動き働いている状態です、しかし、この自由は、他人によって与えられるものではありません。「自由」は「みずからによる」と読むのだそうです、すなわち、自分の心の動きは、自分自身のもう一つの心によって管理されているのです。
このもう一つの心を「ハイアー・セルフ」すなわち「より高き自我」と呼ぶのです。
この、より高き自我を取得した人間こそ、真の自由人たり得るのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今の命も・・何かの力で・・生かされている
限りある・・時・・今使い・・生かされ・・感謝
徒然草の第一二三段には次のような記述があります
「人間にとって大事なことは、衣食住の三つに過ぎない、そしてそれに加えて薬、すなわち医療です。この四つに不足のない状態にあるならば、その人は幸せに生きていられる状態なのだ」
私はこの段を読んで、まさにそのとおりだと思いました、この四つ以上のものを求めて、あくせくと心を労するのはぜいたくというものではないでしょうか?
とは言えど、これに私流のもう一つを付け加えるならば、それは「自分の氣分にそって生きていく」すなわち日頃から私の提唱している「いい加減に生きるため秘訣」です。
となると、私の場合は、幸せに生きるための最低条件は「衣食住と医そして氣分」の五つになるようですな。
「まなざし」という同人誌を出している(廣瀬童心・氏)の中で、私の心にしみる言葉に接しました
笑顔は善の波動だ
皆さん、我々は教養とか知識とか、風格とか、すべては笑顔に出くるのです、絶対すべて笑顔に出るのです。
それは人の「善の波動」です、人間の一番すばらしい行為は、相手の顔に喜びの笑顔を浮かべさせることなんです。
皆さん、笑顔というものは、どんどん伝播していきます。そして世の中はよくなるんです。そしてその波動が広がっていったら、世間に事件がなくなっていくでしょう。
より高い自我
「自由」という言葉の意味について考えてみましょう。
普通いわれている自由とは、他人によって自分の行動が拘束されない、という程度の意味でしょう、いってみれば、それはもっぱら肉体的活動の面においてのみです。
しかし「自由」とは、むしろ心の活動面において考えられるべきではないでしょうか。
本来、心とは自由闊達に次々と連想を重ねて、それこそ無限にあらゆる次元に飛翔していくものです。一説によれば、心の原義は「コロコロ」であるといいます。これは絶えずコロコロと思考過程が変化していくことからでたものでありましょう。
ところが、人間ひとたび不安、恨み、後悔などの否定的情動に捉われると、その心の動きが一ヵ所に固定してしまいます。たとえば破産した場合・・失恋とか、こうした状態が常駐化すると、これはもう地獄であります。
心が限定して動かなくなると、身体の方も次第に動かなくなります、現代病といわれる うつ病 がまさにこれです。部屋の隅にジッとうずくまり動けなくなります
自由とは、のびのびと心が動き働いている状態です、しかし、この自由は、他人によって与えられるものではありません。「自由」は「みずからによる」と読むのだそうです、すなわち、自分の心の動きは、自分自身のもう一つの心によって管理されているのです。
このもう一つの心を「ハイアー・セルフ」すなわち「より高き自我」と呼ぶのです。
この、より高き自我を取得した人間こそ、真の自由人たり得るのです。
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今の命も・・何かの力で・・生かされている
限りある・・時・・今使い・・生かされ・・感謝
わが偉大なるものよ われに 大いなる力を 与えたまえ
われに 健康 富 成功を与えたまえ ありがとうございます 感謝
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人生は一冊の本だ 賢い人は 念入りに それを読む。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
奥深い 潜在意識・暗示 祈り で アラヤ織に 己を信じ
エンジョーは月一度、月初めに届きます、今まで浅い読み、軽く通過してしまった・・
今回今までのエンジョーからブログに書き・・次回は1月初めです。
何かを掴んだ、感じた事を、今後の活き方に・・唱元先生 感謝です。
われに 健康 富 成功を与えたまえ ありがとうございます 感謝
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人生は一冊の本だ 賢い人は 念入りに それを読む。
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奥深い 潜在意識・暗示 祈り で アラヤ織に 己を信じ
エンジョーは月一度、月初めに届きます、今まで浅い読み、軽く通過してしまった・・
今回今までのエンジョーからブログに書き・・次回は1月初めです。
何かを掴んだ、感じた事を、今後の活き方に・・唱元先生 感謝です。