マロリーな日日(にちにち)

癒し系ソフト・ボトルメールの作者が、ガツガツ派では見えないゴロゴロ視点で、ビジネスの世界を観察していきます。

少ない語彙の豊かな世界

2006-10-15 21:23:10 | こども
3歳の娘と話していると、毎日が謎解きのおもしろさに満ちあふれている。

保育園でいつもよりたくさん歩いた日の夜、「アシノムネが痛い」という。アシノムネ? 脚の胸?
ふくらはぎのことであった。

おばあちゃんと公園から帰ってきて、「赤ちゃんお兄ちゃん」と遊んできたという。おばあちゃんにいったい何のことかと尋ねると、障害があるちょっと年上の男の子と仲良く遊んでいたという。娘の目にはそう映ったのであろう。

娘の「過去」の出来事は、みな「昨日」と表現される。
なので、一週間前の運動会も、数ヶ月前の夏の花火も、昨年の誕生日のこともみんな昨日である。
どこかの南の島で10以上の数は「いっぱい」で表現するところがあるとか、ないとか。

娘の時間感覚はそれ以上におおらかであり、そのまなざしは純粋でまぶしい。

新しい毎日

2005-11-17 01:35:15 | こども
「あたらしいねぇ」

ここ1週間ほど、2歳の娘が私に毎日語りかける。
ん、天気のことか? それとも通りを走る車の具合??

保育園に行くまでに出会ったネコの数?
みずみずしい朝顔の花びらを指で触った感触?
路地に積もり始めた漆器のような落ち葉?
(ああ、あなたがいなければ気がつかなかったことばかりだよ・・・)

「そうだね、毎日あたらしいね」

私はそう答える。

ヒトのすばらしさ

2005-06-18 22:49:33 | こども
1歳11ヶ月の娘がいる。
彼女はまさに怒濤の勢いで日本語を身につけつつある。
獲得しつつある単語の多さと早さは、噂通りなのでさほど驚くことはないのですが、
「しーちゃんが、する」などのように、助詞を絡めて言葉を連結し始めたときには、おおっ、とうなったものです。

そのうち、同じイヌでも、ダックスだろうが、チワワだろうが、同じイヌとして認識しているようだし、
写真や、かなりデフォルメされたイラストでも、イヌはイヌとしていつのまにやら認識しているのが不思議ですね。

一方で、色の判別や、大きさの大小、速さまで理解し始めています。
「あかいの(とって)」
(奥さんのおっぱいを見て)「ちいさい」
(コップにつがれた牛乳を見て)「おおきい」
 ※量を示す言葉はまだのようです
(走り去る車を見て)「ブーブ、はやい」

とまぁ、このあたりはがんばればコンピュータにも教え込ませそうな気がするのですが、
お気に入りの料理が出て、むしゃむしゃと食いだすと、突然、「おいしい!」なんてしゃれたことをいうわけですよ。
それは、どの食事に対してもいうわけではないし、特定の料理に対していうわけでもなく、明らかにふだんより食が進んでいるときに、感極まって発語しているように思えるのです。

これだけじゃない。
散歩の際に路肩に咲く花を指さして「きれい!」ときたもんだ。
これまた、どの花でもいうわけでもないし、あるガラス細工を初めて見たときにも彼女は「きれい!」というわけです。

この「おいしい」、「きれい」という感覚のすばらしさ、人間性、不思議さを平凡な日常の中で想起させてくれる娘に感謝しています。