1歳11ヶ月の娘がいる。
彼女はまさに怒濤の勢いで日本語を身につけつつある。
獲得しつつある単語の多さと早さは、噂通りなのでさほど驚くことはないのですが、
「しーちゃんが、する」などのように、助詞を絡めて言葉を連結し始めたときには、おおっ、とうなったものです。
そのうち、同じイヌでも、ダックスだろうが、チワワだろうが、同じイヌとして認識しているようだし、
写真や、かなりデフォルメされたイラストでも、イヌはイヌとしていつのまにやら認識しているのが不思議ですね。
一方で、色の判別や、大きさの大小、速さまで理解し始めています。
「あかいの(とって)」
(奥さんのおっぱいを見て)「ちいさい」
(コップにつがれた牛乳を見て)「おおきい」
※量を示す言葉はまだのようです
(走り去る車を見て)「ブーブ、はやい」
とまぁ、このあたりはがんばればコンピュータにも教え込ませそうな気がするのですが、
お気に入りの料理が出て、むしゃむしゃと食いだすと、突然、「おいしい!」なんてしゃれたことをいうわけですよ。
それは、どの食事に対してもいうわけではないし、特定の料理に対していうわけでもなく、明らかにふだんより食が進んでいるときに、感極まって発語しているように思えるのです。
これだけじゃない。
散歩の際に路肩に咲く花を指さして「きれい!」ときたもんだ。
これまた、どの花でもいうわけでもないし、あるガラス細工を初めて見たときにも彼女は「きれい!」というわけです。
この「おいしい」、「きれい」という感覚のすばらしさ、人間性、不思議さを平凡な日常の中で想起させてくれる娘に感謝しています。
彼女はまさに怒濤の勢いで日本語を身につけつつある。
獲得しつつある単語の多さと早さは、噂通りなのでさほど驚くことはないのですが、
「しーちゃんが、する」などのように、助詞を絡めて言葉を連結し始めたときには、おおっ、とうなったものです。
そのうち、同じイヌでも、ダックスだろうが、チワワだろうが、同じイヌとして認識しているようだし、
写真や、かなりデフォルメされたイラストでも、イヌはイヌとしていつのまにやら認識しているのが不思議ですね。
一方で、色の判別や、大きさの大小、速さまで理解し始めています。
「あかいの(とって)」
(奥さんのおっぱいを見て)「ちいさい」
(コップにつがれた牛乳を見て)「おおきい」
※量を示す言葉はまだのようです
(走り去る車を見て)「ブーブ、はやい」
とまぁ、このあたりはがんばればコンピュータにも教え込ませそうな気がするのですが、
お気に入りの料理が出て、むしゃむしゃと食いだすと、突然、「おいしい!」なんてしゃれたことをいうわけですよ。
それは、どの食事に対してもいうわけではないし、特定の料理に対していうわけでもなく、明らかにふだんより食が進んでいるときに、感極まって発語しているように思えるのです。
これだけじゃない。
散歩の際に路肩に咲く花を指さして「きれい!」ときたもんだ。
これまた、どの花でもいうわけでもないし、あるガラス細工を初めて見たときにも彼女は「きれい!」というわけです。
この「おいしい」、「きれい」という感覚のすばらしさ、人間性、不思議さを平凡な日常の中で想起させてくれる娘に感謝しています。