<o:p> </o:p>アメリカの信用危機について引き続き考える。バブルとは世の中の雰囲気であろう。最近、KYという言葉が流行っているが、どうやら場の方向に敏感なようだ。山本七平著の「空気の研究」というのがあるが、その中には、日本人は空気を読んで、どうしようも無いときも、その場の雰囲気に流されるというのがある。これがアメリカにも伝わっているのか、それとも世界的にそういう流れなのか。流れに棹差す意見が、見解が少ないのはこれこそ問題であろう。周囲の意見に流される付和雷同の結果が、アメリカの住宅バブルとしたらこれこそ恐ろしい。また、日本では「右に倣え」が更にその傾向を強めているとしたらそれもおかしい。「オレたち花のバブル組」池井戸潤著に骨のある銀行員の姿があるが、こういうのが欲しいな。(小説自体はなかなか無理のある設定と内容です)<o:p></o:p>
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