このような日本建築史の講義を受けたかった。体系的かつ、歴史的背景の観点が明確だ。
知見は:
・もともと桁行〇間、梁間〇間だった表記が、身舎の梁間2間が前提により間面法で〇間〇面(廂)になった
・一尺:奈良時代29.5cm、江戸時代30.3cm、間も6尺(江戸間)から6.5尺(京間)も、平城京の土木用の大尺は1.2小尺:35.5cm→朱雀大路は210大尺(約75m)
・切妻、入母屋、錣(しころ)葺(法隆寺玉虫厨子など)は切妻と廂に段差
・扇垂木、疎垂木、繁垂木など
・面取りは時代につれ細くなる、特に数奇屋では当たり面取りの2㎜など
・掘立柱は耐久性がないため建替え前提→伊勢神宮内宮など、五重塔の心柱と心楚の深さも時代とともに上に上がり、地上に出る
・排仏と崇仏派に分かれた仏教公伝は538年(戊午)か552年(壬申)か:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99%E5%85%AC%E4%BC%9D#:~:text=%E4%BB%8F%E6%95%99%E5%85%AC%E4%BC%9D%EF%BC%88%E3%81%B6%E3%81%A3%E3%81%8D%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%86,%E3%81%A7%E3%82%82%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E8%AA%AC%E6%98%8E%E3%81%99%E3%82%8B%E3%80%82
・飛鳥の寺院(飛鳥寺:法興寺 藤原氏)と飛鳥京、藤原京、纒向(桜井 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BA%92%E5%90%91%E9%81%BA%E8%B7%A1 )は卑弥呼か
・土台:延石(下)、束石・羽目石(縦)、葛石(角)・敷石(上)
・宮殿:大極殿+朝堂院:(公共)と内裏(私的)
・京:排水と建設中の水運(運河)
・平城京は(道路)芯450尺角、平安京内法400尺
・三手先の発展:薬師寺東塔→唐招提寺金堂(二手先から通肘木)があり強固
・寺の食堂は「食堂」ではなかった、大炊殿、盛殿、政屋(まんどころや)などがあり時代とともに変遷
・奈良大神(おおみや)神社:三輪山が御神体のため拝所、屋代(やしろ)は家屋に似た工作物を依り代にする
・江戸城本丸:格天井、吹上格天井、二重折上格天井の格式
・台目(だいめ)畳:3/4の大きさの畳、座れば半畳+台子(だいす:茶道具の場所)に1/4畳
・城下町:城郭を守る同心円で上級武士屋敷、寺(防御になる)、町人地(真ん中)、下級武士屋敷
・寺内町:浄土真宗の門徒集団の城として堀や土居で囲む
・農家:3間取り(ヒロマ、オク、ヘヤ)+土間が基本
まとまっているが、上級者向け