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売春島「最後の桃源郷」渡鹿野島ルポ (高木瑞穂):島の産業としての売春と利益分配の構造

2021-03-06 02:56:07 | マクロ経済

渡鹿野島(わたかのじま https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E9%B9%BF%E9%87%8E%E5%B3%B6 )は対岸まで200mないが( https://www.google.com/maps/place/%E6%B8%A1%E9%B9%BF%E9%87%8E%E5%B3%B6/@34.3625395,136.8681907,1437m/data=!3m1!1e3!4m5!3m4!1s0x600501064eb116c1:0x2b71932cbf54cb95!8m2!3d34.3630247!4d136.8749529 )橋は架かっておらず渡船で渡る。インフラ(水道は不明、下水も不明、電気はあり、ガスはプロパンらしい)の未整備も問題だ。

 もともと、鞆の浦( https://visittomonoura.com/history/ )と同じく風待ちや避難場所としての港で把針兼(はしりがね)という船饅頭( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%B9%E9%A5%85%E9%A0%AD#:~:text=%E8%88%B9%E9%A5%85%E9%A0%AD%EF%BC%88%E3%81%B5%E3%81%AA%E3%81%BE%E3%82%93%E3%81%98%E3%82%85%E3%81%86,%E5%A3%B2%E6%98%A5%E3%81%97%E3%81%9F%E7%A7%81%E5%A8%BC%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82 )の海版がこの地域にあったが、この島では「菜売り」と称し素人(「地獄」にあたる)の奥様達の副業にもなっていたとある。島には江戸時代から遊郭があり、昭和初期まで6楼の芸子置屋(表面上は芸者で娼妓ではないと思われる)があったとある。

 売春方式は、置屋にプレイルーム(自由恋愛形式)があり、コンパニオンとしてホテル派遣で仲居の紹介、渡船やタクシー運転手の紹介、宿泊者の宿などで、R(リベート)を島中で分配するシステムがあった。泊まり先優先で利益が配分されたため下駄に旅館の名前があったそうだ。

さらに、元三重県警の警部補 芥川時雄と四国出身の岡田さんで つたや はホテルとスナック、置屋の先進的な一体化と企画(レズショー)で利益を享受した。但し、地元旅館組合からは爪弾きとなった。

 著者は、この売春の興りにかかわる関係者(四国のKさんやヤクザ関係)へのヒアリングで構成され生々しい。

 証明されたのは、島から逃げられないというバンス(前借:アドバンスの略)での蛸部屋のような縛りはなかった。むしろ、のんびり居心地が良い田舎だったことがわかる。しかし、ギャンブル、着物、バッグなどの消費誘導や費用負担(寮、食事など)、島内や渡船・タクシーとヤクザの監視もあったとのこと。但し、ヤクザが仕切るには規模と収益が小さかったため影響が少なかったとある。

逆に、ホテルは宿泊では儲からず、Rで補填していたくらい「売春」依存の観光産業であったと判明している。

 大型ホテルは1970年代に建設され、80年前後が最盛期というと、70年以降のディスカバー・ジャパンと一泊宴会型の普及期、そして80年は団塊の世代が30歳頃で売春ニーズに符号する。確かにあの頃入社したがやたらに会社の宴会が多く2時まで呑んでいた。社内旅行も荒れるが勝ちだった。

 その後は、競合風俗の出現(デルヘリがもっと儲かる(らしい))、ホテルの赤字運営でも集客不足の負のスパイラル、2016伊勢志摩サミットでの取締りが最後に首を絞めた。

 産業連関として考えると、島には特に名所や名物が無かった。周辺の伊勢志摩の料理やアクセスに比べると比較劣位で、しかも「売春」イメージしかない。

 例えば「あおさの養殖とナマコ漁師しかおらず、魚介は志摩から買ってくる」とあるが、渡船を含め漁協(鳥羽磯部漁協渡鹿野支所)の利権を指摘している。

 今となっては廃墟が多い元売春島だがあまり売り物になりそうもない。個人的には伊勢志摩自体、伊勢神宮に参り、松坂で肉を賞味するというのが多く、志摩観光ホテルに泊まり鮑のステーキとも思わない。大体、志摩マリンランドも閉館になるくらいだ。伊勢の古市(長崎の丸山とともに5遊郭の一つ)くらい歴史的建築があるとまだ良いが。( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%B8%82_(%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E5%B8%82) )

 色々な色街を分析したが、①行政許可、②金主、③ディベロッパー(色街開発)、④オペレーター(お店運営の専門家)、⑤女衒(働き手調達)、(⑥ヤクザの介入)が色街形成の構図だ。飛田新地などは特に良く分かる。本件のような自然発生的な「島」の色街は稀有で「島ぐるみ」の利益配分が特異だ。

 色街の研究は好きだが、買春と博打は嫌いだ


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