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日々を綴る私のブログ

今日心に響いたことと好きな絵を、
気まぐれに描きながら続ける日記。

ウーちゃんは留守番

2006-03-05 | 嘗て我が家の猫達
ウーちゃんは、私たちが仕事で出かける日は、
よ~く分かっていました
私がバックやその他用意して、部屋に置いていると
それを見れば「やだな~っ・・今日は出かけるんだ」

「私はひとりぼっち・・誰も居ない・・おやつは・・
無いの・・早く帰って!」と思っていたはずです。

だから、私が出かけるまでは・・「エビちょうだ~い!」
「ミルクちょうだ~い!」といっぱい請求しました。

そして、さあ・・出かけるとなったら、
頭を下げてカゴベットに入ります、その後姿は淋しそう
「ウーちゃん行ってくるからね!」と声をかけると
カゴの中から、ちらっと私を見て、目をつむります。

こんな時・・留守をする者が猫を飼ってはいけないな
と思ったものです・・だってしょんぼりした姿を見るの
かわいそうで後ろ髪引かれる思いでした

 (ツール絵・・しょんぼりのウーちゃん)


ウーちゃんは女の子

2006-03-04 | 嘗て我が家の猫達

そう言えば・私とTさんでよ~く、
ウーちゃんの代弁をしました

私が台所で食事の仕度をしていると、ウーちゃんが
側にやって来て、おやつ頂戴と「ニャー!」と鳴きます。

「は~い、ちょっと待ってね!」と私。

ウーちゃん、当然待つなんて出来ません、
だから「ニャ~・ニャ~!」と激しく鳴きます。

すると・・「ハヨオセエ(早くしなさい)ヤ~あっ!
ユウトルジャロウ(言ってるでしょう)があっ!」と
Tさんがウーちゃんの代弁をします。
怖~い・・自由業の人みたいな話方です

私・・「やめて下さい、ウーちゃんは女の子なんだから!」
「そんな言い方はしません」・・「ね~ウーちゃん!」
「お母さん、おやつ早く下さ~い!て言ったのよねー」

「いいや」・・「何をぐずぐずしとるんや~」と言ってるとTさん、
「いいえ、そんなことは言いません!」と私

そんな私達二人の会話を聞きながら、ウーちゃんは
Tさんと私の顔を交互に見ながら、おやつを待ったのでした。

娘が家に居なくなってからは、ウーちゃんのために、
お雛様を飾りました。
「ウーちゃんは女の子だから、お雛様飾って上げ様ね!」と
そばで珍しそうに見ているウーちゃんに話しながら・・。
ウランの話続きます。

 (絵・・さつき画)

ドアにへばりつきのウーちゃん

2006-03-02 | 嘗て我が家の猫達
私たちが出かけて、ウーちゃん一人(一匹)になった時、
一人で留守番はやはり淋しかったのでしょうね
車で帰ると、自動車の音で帰ったのが分かるらしく
玄関ドアにへばりついて(ぴたっとくっついて)
大きな声で鳴きながら、ドアの開くのを待っていました。
中に入ると私は、暫くはウーちゃんのお相手でした、
抱っこして、頭を撫でて、「おりこうだったね!」と
褒めながらお相手したものでした。
自転車でちょっと近所まで出かけても
やはり、自転車の音で帰ったのが分かるらしく
玄関で待っていました
だかと言って、出かける時は、ベットに入っていることが多く、
「ウーちゃん、ちょっと出かけてくるからね!」と声をかけて
出かけていましたが、特別付いて出るでもなかったのです。
ただ帰った時は、一杯一杯言いたいことが有ったようです。
「私を置いて何処まで行ってたの・遅かったね・早くおやつ頂だい・・」と
こんなことを言っていたのでしょう・・きっと
ウランの話続きにしま~す。

 (お絵かきツールで描いた・・ドアへばりつきのウーちゃん)

ウーちゃんの予防接種

2006-02-28 | 嘗て我が家の猫達

20年生きたマーちゃんは、予防接種など一度もしませんでした。
でも、ウーちゃんには亡くなる7年前から、(猫汎白血球減少症・
猫ウイルス性鼻気管炎・猫カリシウイルス感染症)のワクチンを
Ⅰ年に一回投与していただきました。
なぜウーちゃんだけかと言うと、マーちゃんは、風邪をひいても、
咳や鼻水があまり出なくて、直ぐ治る仔でした。
けれどウーちゃんは、風邪をひくと、鼻水が出て、喉に痰がかかり
嘔吐する仔でした。だから食事が取れなくなって
病院に行くことが多かったのです。
そんな時、病院の先生が「ウランちゃんは元気な時に予防注射を
しませんか、1年に一度でいいのですよ、風邪にかからなくなりますよ」
と言って下さったので、受けていたのです
一年目が近づくと、病院から案内の葉書を頂いていました。
そんなにしていても、年々ウーちゃんは病院に行くことが多くなりました。
予防注射受け始め頃は、ウーちゃん太っていて(6k近く有りました)
先生に「ウーちゃん・・ダイエットしましょうね」と良く言われたものです。
病院嫌いのウーちゃんを連れて行くのは、私には大変でした。
長くなるので、続きにします。

(写真・・太っていた頃のウーちゃん)


その後のウランちゃん

2006-02-27 | 嘗て我が家の猫達
(写真・・若い頃・クリクリおめめのウランちゃん)

2002年夏に、マーちゃんが居なくなって、
我が家の猫はウラン(ウーちゃん)一匹になりました。
ウランの話を書いて行くと、ウランが私の心から消えてしまいそうで、
づっと延ばしていましたが、最後の猫の思い出を綴ることにします。
マーちゃんは猫嫌いでしたから、ウーちゃんと仲良く一緒に寝る
なんて事は有りませんでした。
二匹は、何時も顔の見える距離には居ましたが、
特別仲良しでもなかったのです。
だから、マーちゃんが居なくなっても
ウーちゃんは、それほど淋しそうには見えませんでした。
マーちゃんが居なくなった時、ウーちゃんは、
14年目の年でした。人間でいえば、もうおばあちゃんです。
若い時は、獲物取りが上手く、遊ぶのもとっても好きでした。
でも、一匹になってからは、やはり淋しさと年でしょうか、
寝ていることが多くなりました。
私たちが留守をする時、二匹が留守番をしてくれた頃は
二匹居るから、話が出来て淋しく無いだろうと、私は思っていました。
しかしこの頃から、ウーちゃんを一匹で留守番をさせるのが
だんだんと可愛そうで、気になるようになりました。
長くなるので続きにしま~す

 




一番だったマーちゃん

2006-02-13 | 嘗て我が家の猫達

猫のマリとの別れは私にとって辛い思い出になりました。
そして、そのマーちゃんが居なくなってから、
マーちゃんの鳴いていた、意味が分かった様に思えました。
昔から「猫は死ぬ時は死に顔を見せない」と言われていました。
今の時代は、昔とはペットの飼い方も変わってきたので
昔の様に猫も姿を消したりしなくなったのだと思いますが。
マーちゃんは野良猫の仔でした、だから・・きっと・・
最後は誰にも見られず、どこかで静かに消えたかったのでは?
と・・私は思ったのです・・だから鳴き叫んでいたのは・・
「私を自由にして・・外に逃がして・・」と言っていたのではと思うのです。
でも私たち飼い主としては、食べ物も僅かしか食べない、
ふらふらの仔を、外に出す・・そんな事は考えられませんでした。
そんな思いもあって、マーちゃんとの別れは辛いものでした。
最後まで、猫らしい・・我が家の猫の一番だった・・
マリ・・マーちゃんとの生活は終わりました。
そして亡骸は、12年前の犬の幸までは、皆庭に埋めて土に
戻してやりましたが、このマーちゃんの時から、
私たちの考えが変わりました。
私とTさん、二人も年を取りました、だから、づっとこの地に居ると言う
確かな事は分からないと思う様になりました。
それで、マーちゃんは市の火葬場で葬ってもらいました。
「マーちゃんも庭に埋めて上げればよかったかな?」と迷いはありましたが
「いや・・これでよかった」と先のことを考えての決断でした。
こんなマーちゃんとの別れをウランちゃんもづつと一緒に見ていました。
次からは、我が家の最後の一匹・・猫のウランの話にします。

 (絵・・春蘭・・さつき画)




マーちゃん天国へ

2006-02-12 | 嘗て我が家の猫達

昼も夜もただ・・「なあ~なあ~」となき続けるマーちゃん。
私もマーちゃんと一緒に眠れない夜となりました。
なだめても・・すかしても・・鳴きやまず・・
私・・私・・マーちゃんを・・何度も・・叩いてしまいました。
「止めなさい!」・・と怖い声で・・すると、
ますます私の顔に向かって赤い口いっぱい開けて・・鳴きます。
私も半分泣きながら、「止めなさい!」と怒りながら叩いてしまいました。
むごい事をして、可愛そうな事をして、と思いつつ叱る私・・
そんな日が一週間位続きました。
一度は「病院で預かっていただけませんか?」とお願いもして見ました、
でも・・こんな状態では預かれませんと言われました。
当然ですよね、私がマーちゃんから逃げ様としただけです。
そして・・10日目位でしたか・・朝・・夜が明けた頃、
マーちゃんが鳴きながら、ふらふらしながら、ベットから出て、
隣の部屋で寝ているTさんの布団まで行きました。
あんなに懐かなかったTさんの側にです「マーちゃん、どんな?はい、おいで!」
とTさんが抱っこして横になっています「どう?」と私が側に行って見ると、
Tさんの布団で抱っこされて一緒に寝ています。
マーちゃんの歩いた跡を見ると・・移動しながら、お漏らしを始めていました。
私も抱っこしました・・軽い・・軽い・・まるで・・からっぽ
の様なマーちゃんでした。でも、私が抱っこすると、
私の肩に手を掛けて私の顔に、額をくっつけてくれた・・マーちゃんの・・
マリちゃんの身体は、ふんわりと・柔らかく・温かかたでした。
今も覚えてると言ったらそれは嘘になりますが・・私にとって
この抱っこの感触は、なかなか忘れる事の出来ない・・愛おしさでした。
そして・・マーちゃんはその日、静かになって眠りながら天国へ逝きました。
私の辛い日々も終わりましたが・・最後に優しく接してやれなかった事が
罪悪感となって、心に残ってもっと辛い思いになりました。

 (写真・・もう一度・・我が家に来た頃の幼いマリちゃん)



マーちゃん頑張る

2006-02-11 | 嘗て我が家の猫達

猫も犬も皆人間と同じ様に、ボケるのですね
マーちゃんは20年の長生きでしたが、ボケてしまいました。
長生きしたことがマーちゃんにとって幸せだったかな・・?
とも思いましたが、でも、マーちゃんは交通事故にもあい、
癌にも罹り、大嫌いな猫達と暮らし、家出も有りと
色々なニャン生を歩いて、年を重ねて来ました。
長生きできたのは幸せだったからですよね・・・。
そう一生懸命自分に言い聞かせる私でした。
亡くなる10日前位から、昼も特に夜は、私はマーちゃんに付きっ切りに
成りました。鳴き叫ぶマーちゃんを・・むごい事に・・叩いたりもしました。
どんなに・・なだめ・・すかしても・・止まらないのです・・
近所迷惑にもなると思い気を遣いました。
病院で眠り薬も頂きましたが、何錠も・・怖いほどの量・・も飲ませました
でも何の効き目も有りませんでした。夜中大きい声を出し始めてからは、
私もマーちゃんの側に布団を敷き、付きっ切りでなだめました。
でもますます鳴き叫びます・・3時間おきに目が覚めていたのが、
2時間おきになり1時間おきになり・・30分・・15分・・、
とうとう眠らなくなりました。
私ももう寝る時間はなくなりました
続きにします。

 (写真・・もう一度・・・元気な頃のマーちゃん)


ボケてしまったマーちゃん

2006-02-10 | 嘗て我が家の猫達

犬も、猫も、そして人間も皆平等に年をとります。
これは誰も変える事の出来ない事実です。
そして、命あるもの皆全て命の終わる日が来ます。
我が家の動物達もこの世の命を終えて、
何匹も我が家を去って逝きました。
猫のマーちゃんは、長く我が家で私たちと共に暮らしました。
20年もです。「猫らしくて立派だったね!」と褒めて上げたいです。
マーちゃんが亡くなったのは、四年前の夏でした。
食事は相変わらず、僅かほどしかた食べませんでしたが、
身体は元気に見えました。でも猫も犬と同じ・・目・耳・歯が弱り
ほとんど寝てばかりの生活になりました。
感心なのは、どんなにふらふらしていても、オシッコ・ウンチは
必ずトイレでしてくれた事です。
そんなマーちゃんだったのですが、残念な事にボケてしまったのです。
ボケの初めは・・何時もよりよく鳴くな・・と感じたときからです。
ただ「なあ~なあ~」と鳴き続けます・・だんだんと鳴く時間が長くなり、
私には、なぜ鳴くのか分からず戸惑いました。
苦しいとか、痛いとか言っているのではないのです。
そして、その内・・特に夜大きな声で鳴くようになりました。
病院で診て頂いたら「ボケがでましたね」と言われました。
その時にはまだ「猫のボケ薬はまだ出来て無いのです、犬のはあるのですが」
とのことでした。薬としては、安定剤を飲ませるだけでした。
薬は全然利きません、なだめても・怒っても・すかしても・・止みません。
マーちゃんのボケとの辛い日々・・続きにします。

 (写真・・気持ち良さそうに寝ているマーちゃん)




マーちゃんのニャン生

2006-02-09 | 嘗て我が家の猫達

人間嫌いなマーちゃんは、損をします
Tさんがマーちゃんの好きなおやつを上げて、食べ終わった頃
「おいで・・」と抱っこしようと手を伸ばすと、ピューと逃げます
せっかく、Tさんの側まで来て、大好きなおやつをもらったのにです。
それを見て「可愛くない!・・あの猫は何のために飼ってるんだ・・」
と私に怒ります、そして、「逃げる仔には何かぶつけてやりたくなる!」
とも言って、側にある物を投げようとします
私は「まあ~そんな風に言わないで・・あの仔にも想いがあるんだから」
とマーちゃんが、可愛そうになって止めたものです。
人間でもそうですよね、皆それぞれ個性があるんですよね。
分かっていても、可愛い仔には優しく接して、可愛くない仔には、
つい冷たく当たってしまう
私は子供は一人しか育てていませ。この二匹の猫を見ていて、
「我が子に兄弟が居たら、どの子にも同じに接しられたであろうか?」と
真剣に考えたことが有ります。その時「子供は一人でよかった~!」
と思ったものです(単純~で~す・・)。
と・・まあこんな調子で、マーちゃんは我がニャン生を過ごしたのです
マーちゃんの話続きます。

 (写真・・マーちゃんベットへ非難)