日々を綴る私のブログ

今日心に響いたことと好きな絵を、
気まぐれに描きながら続ける日記。

幸ちゃんの心いつまでも

2006-01-14 | 我が家で暮らした犬達

幸ちゃんは、16年の長い人間との生活を終わって、天国へ逝きました。
体はずっと見守って上げられる様にと、裏庭に埋めて上げました。
あれから11年・・今年は12年になりますね!
幸ちゃんは亡くなっても、心・・と言うか・・魂と言うか・・音が
不思議に・・何時までも我が家から消えませんでした。
「ドンドン・・」と勝手口のサッシを叩く音、
「ジャラジャラ・・」と繋ぎ紐のこする音、
「キュウンキュウン・・」と甘えて鳴く時の声、
それらは、幸ちゃんが居なくなって、3年も5年も続きました。
家族で食事をしている時・・娘とおしゃべりしをしている時などに、
裏庭から幸ちゃんの気配がして音が聞こえるのです。
「あっ・・お母さん・・幸ちゃんがいるよ・・ほら今の音・・ね!」と
大人に成った娘が、なんども言ったものです。
5年どころか・・私には去年でも・・「あれっ!」と思ったことが有りました。
しかし・・もう幸ちゃんは土に返ったと思います。
こうして、改めて、ブログに書き込みながら、一緒に暮らしたもののことは
何時までも心に残っているものだな~て感じました。
幸ちゃんと、小さかった娘と、共に私たち親も成長したと思います。
最後の頃を思い出すと、涙が出て・・キーボードが見えなくなりました。
こうして幸ちゃんのこと、何時までも残して上げ様と思います。

(絵・・ユキツバキとコーギー犬・・さつき画)




幸ちゃんとの別れ

2006-01-13 | 我が家で暮らした犬達

抱っこして散歩した、2日目の夕方だったと覚えています。
もう別れの時が近いと思いましたので、散歩から帰り、
幸ちゃんを、部屋の中に入れて寝かせました。
そして、家族で声をかけながら見守りました。
夜8時ごろでしたか、ようすが変わったので
娘と一緒に、大きな声で「幸ちゃん・・幸ちゃん」と呼び続けました、
すると、もう瞳孔の開いていた幸ちゃんの目が、変わってきました。
名前を呼び続けると、私たちが分かるらしく、目に輝きが戻ったのです。
それから、私はその夜自分の布団を幸ちゃんの隣に並べて敷き、
幸ちゃんの寝息を聞きながら見守っていたのですが・・その内眠ったようです。
朝四時過ぎ頃でしたか、幸ちゃんの詰まるような大きな声で目が覚めました。
直ぐ声をかけましたが、その時が最後の時でした。
16年我が家の家族だった犬、幸ちゃんは我が家から姿をなくしました。
私たち家族に沢山の思い出を作ってくれて、命の尊さも教えてくれました。
こんな形で我が家の・・多分・・いいえそうです・・
最後の犬との生活は終わりました。

(絵・・さつき画)

最後の散歩

2006-01-12 | 我が家で暮らした犬達

とうとう幸ちゃんは、起き上がれなくなりました。
小屋の中で横になったまま・・じっと寝ています。
・・そして、食べ物も食べられなくなりました。
・・少しづつ飲んでいた水も飲めなくなりました。
「幸ちゃん・・」と声をかけると、目を開けて私を見てくれます。
「しんどく無い!・・」と聞いて上げるだけしか、私には言葉が有りません。
それでも、夕方の散歩の時間が来ると、頭を上げて、
手足を動かそうとするのでした、まだ散歩には行きたいらしいのです
幸ちゃんにとって、きっと、散歩は最高の楽しみだったのでしょう
そして・・水も飲めなくなって・・1週間・・もっとだったかもしれません
幸ちゃんは生き続けました。その時、生命って凄いな~っと思いました。
そして、我が家に来て16年目の秋10月・・・・。
もう本当に、別れの日が近づいたと思い始めた日から
夕方の散歩の時間に、私は幸ちゃんを大きなバスタオルに包み、
ふにゃふにゃになって首も下がってしまう体を抱いて、
大好きな散歩をさせて上げる事にしました。
娘も付き添ってくれて、力の抜けた幸ちゃんの体を一緒に抱えてくれました
・・その時の幸ちゃんの顔ははっきり覚えていません・・・
きっと、・・切なくて・・抱っこするのが精一杯だったと思います。
長くなるので・・次にします。

(写真は・・我が家に来て、まだ一年の頃元気な幸ちゃんです)





一番嬉しいことは散歩

2006-01-11 | 我が家で暮らした犬達

我が家で暮らした最後の犬、幸ちゃんは、16年間家族の一員でした。
亡くなる年の夏の終わり頃から、どんどん弱ってゆきました。
それでも、散歩にだけは行くと言って、何時もの散歩の時間が来ると
起き上がって待っていました、抱える様にして玄関まで連れて行き
ふらふらしながら歩きました。それも、だんだんと距離が短くなり、
オシッコもウンチも体を支えて上げないと転ぶようになりました。
とうとう帰りは、大きな体を抱っこして帰る様になったのです。
食事も、だんだんと食べなくなり・・水だけなめる程度の日も有りました。
そうして1週間もすると、体はすっかり力が無くなり、起き上がるのも
足が思うように立たなくなり・・ほぼ横になったままに成ってゆきました。
少しでも食べられる物をと、刺身や生肉など色々と与えてみましたが
それも、少~し食べるだけで、食欲は日に日に無くなってゆきました。
弱ってゆく幸ちゃんを見守ることは辛いことでした。
ただ救いは、息が苦しそうとか、体がしんどそうに見えなかったことです。
犬小屋で横になっている幸ちゃんに・・「幸ちゃん・・どう・・しんどい?」
と声をかけると、目を明けて頭を動かしてくれました。
私には、何時見ても、穏やかにすやすやと眠っている様に見えました。
命有るもの皆全て・・いつかは終わりの日が来ます。
辛いけど・・・最後まで優しく見守って上げたいと思いました。
続き・・又にします。
 
(写真・・今年の干支・・土鈴の犬と駒)

おばあちゃんに成った幸ちゃん

2006-01-10 | 我が家で暮らした犬達

病院通いも、血尿がどっと出た時に行く事にして、
出来るだけ幸ちゃんの嫌がる病院には行かない様にしました。
若かった頃の様な元気はすっかり無くなりました。
オシッコは、何度も何度も一日に10回でも行きました。
さっき行ったのにと思っても、残尿感が有るのでしょう、
もうダメでした、オシッコに連れて行ってーと鳴きます。
私が家に居る限り、鳴けばいつでも連れて行きました。
耳も遠くなって後ろから「幸ちゃん!」と呼んでも聞こえないらしく
体に触れるとビック!となって、あわてて振り向いていました。
その姿も、また可愛かったものです。
目も白内障になって白く濁っていました。
きっと、ぼや~と霞がかかったみたいだったのでしょう、
それでも、裏の庭から玄関に行く時など、途中に猫のフードが置いてあると、
ちゃっかり、むしゃむしゃとつまみ食いして通ったものです。
そんな幸ちゃんも、どんどんおばあちゃんに成って行きました。
誰も皆・皆・おじいちゃん・・おばあちゃん・・になるのですよね!
続きにします。
 
 (絵・・カトレア・・さつき画)

幸ちゃんも老いてゆく

2006-01-09 | 我が家で暮らした犬達

その後も、幸ちゃんは良くなったり、悪くなったりを繰り返していました。
そんな時家族で、だんだんと弱り衰えてゆく、幸ちゃんを見ながら
考えました、「もう長くは生きられないかもしれないね」と
そして、嫌がる仔を治療といって病院に連れて行くことが
本当に幸ちゃんにとって、ありがたい事なのか・・・
直る保障が無いものを続けてゆくことがいいことなのか
車に乗せただけで、病院が怖くて、もう体がぶるぶる震えている幸ちゃん、
昔は、犬・猫は病院に連れて行くことなどしなかった・・・。
大切に愛情一杯で育てて上げて16年生きてきたのだから、
最後に嫌な思いをさせてあげない方がいいのではと・・。
苦しそうに見えたり・辛そうだったら、勿論連れて行こうと思いました。
しかし、幸ちゃんは、見た目、そんな風には見えませんでした。
御飯はだんだん量が減り・昼も寝ていることが多くなりました。
其れでも、散歩は一番楽しみなことの様でした。
毎日散歩の時間が来ると、犬小屋から、ふらふらしながらでも出てきます
幸ちゃんの体調に合わせて上げて、ゆっくりゆっくり・気ままに歩きました。
「帰りのことも考えようね・・もう引き返そうか?」
と声をかけながら歩いたものです。
動物も人間も皆こうして衰え、老いてゆくんだな~と感じたものでした。
この後は、続きにします。

(絵・・さつき画)


幸ちゃんは家族

2006-01-08 | 我が家で暮らした犬達

毎日、幸ちゃんの病院通い、頑張りました。
幸ちゃんの病気を治して上げたいから、
時々、検査もして頂きながら・・毎日ポケットにお金を入れて・・
ここの先生は凄く良心的な先生で、
けして無駄な治療をなさる方ではなかったので、治療費も
そんなに高くは有りません、が・・1ヶ月も続くとさすがに・・、
初めは毎日付けて、いくら遣ったか計算してましたが、
10万を出た辺りから、お金のことは考えない事にしました。
幸ちゃんは家族なんだから・・と思って・・
1ヶ月過ぎて、先生が「点滴を1ヶ月続けてみました、完全には直りませんので
点滴は止めましょう、明日から注射だけにしましょう」と
おっしゃって下さって、私の毎日1時間のお勤めは終わりました。
そうそう毎日幸ちゃんを治療台の上で1時間押さえていた頃、
私の右腕が重く痛く動か無く成ったことが有りました。
その時は「どうしたんだろう?・・50方かな」と思ったのですが
後で考えたら、幸ちゃんを1ヶ月間押さえ続けたせいでした。
幸ちゃんと通った病院治療それからも、何度か有りました。
続きは・・次回にします。

(絵・・椿・・さつき画)


幸ちゃんの病気

2006-01-07 | 我が家で暮らした犬達

我が家で暮らした犬の幸ちゃんは、とっても利口な優しい犬でした。
自分より小さい犬とは、けして喧嘩をしない、
自分より大きな犬には、勇敢に向かって行く、
人の言葉が良く分かり、理解できた。
などなど、シェパード犬に似たキリリとした顔だちで素敵な犬でした。
その幸ちゃんも、亡くなる2~3年前位から、病気がちになりました。
血尿が出始めて、病院に通う様になり
毎日かかさず一ヶ月も通った事も有りました。
その時は毎日、点滴と注射をしていただきました。
幸ちゃんにとって、点滴・注射をしている間はきっと地獄の様に思えたでしょう
嫌がる幸ちゃんを台の上で動かないように押さえるのが
私の毎日の日課に成りました。それでも、諦めたのか10日もすると
牙を出すのは注射器を挿して頂く時だけになり、私も少し楽に成りました。
でも途中で先生が、見にこられると唸ります。
その内、治療室に入ると先生が、私に椅子を貸して下さいました。
長い時間の点滴で立っているのが大変だからと、気を使って下さったのです。
毎日・・1時間・・幸ちゃんが動かないように押さえ続けました
今思うと良く続いたな~て思います
この続き長くなるので、次にします

 (絵・・雪囲いの牡丹・・さつき画)

犬の思い出

2006-01-06 | 我が家で暮らした犬達

今年は犬年、年賀状に犬の絵を入れたくて暮れに描きました。
なかなか思う様には描けませんでした
我が家に犬が居たら、きっとその子を写真に撮って入れただろうな~
我が家で最後に飼った犬、幸ちゃんは亡くなって、もう11年に成ります。
犬年にあたり、また、幸ちゃんのことを思い出しました
亡くなる2~3年前は、随分からだも弱り、病気がちになって
本人(本犬)の大嫌いな病院通いを随分続けました。
車で5~6分の所に有る犬猫病院なのに、行く途中に車の中で
オシッコをしたりウンチをしたりと私を困らせました
診察室に入って、台の上に上がると、もう大変でした
先生には牙を出してご挨拶、看護士さんにも声で脅す・・と
病院大嫌いな幸ちゃんでした、そんな思い出を、
また・・思い出しながら書いてみます
(絵・・さつき画)

手に腫瘍

2005-11-22 | 我が家で暮らした犬達

何時ごろか・・幸ちゃんの左手の肘の少し下辺りに、
丸いコブの様なものが出来ました。初めは小さな豆くらいでしたが、
その丸いコブは少しづつ、大きくなってゆきました。
2~3cm位になった時は、少し赤みを帯びてパンパンになっていました。
パチンとはじけて、つぶれるかな?とも思い様子を見てましたが、
心配に成って、犬猫病院で診て頂く事にしました。
先生は「腫瘍です、取りましょう!」とおっしゃって、
手術していただきました。幸い、内臓に出来たものでなくて、
取って頂いたら、後は問題有りませんでした。
人間だったら、さぞ、痛い・辛い・と色々と言ったでしょうが、
幸ちゃんは、じ~っと我慢してます、自分で治そうとしてます。
犬でも猫でも動物は強いな~と思ったものです。
もしかして・・人間が一番弱虫かな・・!