漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

信長の謡う「人間五十年」

2019年03月24日 | 歴史
先日、いつものように、
ユーチューブで歌を聞きながら、

ネット将棋を指していたら、
倍賞千恵子さんの歌う「青葉の笛」が流れてきたんです。
♪♪
  一の谷の いくさ破れ
   討たれし平家の きんだち哀れ・・・
  

今の神戸、一の谷の戦いで討ち死にした
平家の若者、平 敦盛(あつもり)を歌った歌詞です。

この戦いは、
平安時代も末の寿永三年二月七日のこと。

西暦で云うと、
1184年の3月20日にあたるそうですから、

ちょうど今頃の季節ですね。

敦盛は、
今なら中学生と云う年齢で亡くなりますが、

その敦盛を討った
熊谷直実の心情をテーマにした能なども「敦盛」と題され、

また平家物語を始めとする小説などで、今もその名が残る。

織田信長が本能寺の変の時、

♪♪
 人間五十年 下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり~
、と、

幸若舞の「敦盛」を謡い終え、
槍を手に戦いの場に赴く、と云うのは、

映画やテレビで、
何度となく演じられ続けたた名場面ですが、

実は、本能寺の信長が、
「敦盛」を謡ったという記録はないのだそうです。

確かな記録として残るのは、
同じ信長でも、本能寺ではなく桶狭間の戦い、

今川の大軍を迎え撃ち、
討ち死に覚悟の信長が出陣前に謡った、と

同時代の記録「信長公記」にあります。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~

この時、信長、
敦盛の舞を遊ばし候。

人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり、

一度生を得て滅せぬ者のあるべきか、

  ~~~~~~~~~~~~~~~~


舞い終え、
立ったまま湯漬けを食べ、すぐ出陣、とある。

この歌詞の「人間五十年」は、
信長の享年に近いこともあって、

「人の命は五十年」と勘違いされ易いが、

ここでの「人間」は「人の間」
つまり「人間社会」、世の中のこと。

当時、「この世の五十年」は、
天上界にある「下天」では、たった一日のこと、と考えられていた。

そこから出た歌詞で、

天上界と比べれば、
この世の栄枯盛衰など「夢か幻のようなモノ」、

そんなものに、
一喜一憂するなどつまらぬことだ、と云うような意味あい。

今の季節ですからネ、

一の谷の激戦のあと、
須磨のあたりでは桜が咲いていたかもしれません。






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