漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

【坂田の左馬】

2014年01月29日 | ものがたり

○文盲の天才

戯曲「王将」で有名な坂田三吉氏は、
大阪、堺の人だが、貧困の中に育ち、成人して目に一丁字も無かった。

やがて将棋で名を挙げ、
各界の名士とも交流を持つようになる。

当時は、テレビゲームの無い時代、
男なら誰でも将棋を指すことが出来たから、
「将棋が強い」と云う事は、今のイチロー選手以上の人気があった。

従って、庶民のみならず、
財界人や文化人にも将棋ファンは多く、
坂田氏と親交を結びたいと云う人は多かったのである。

さて、そうなると、
色紙に揮毫を求められたり、
あるいは、署名だけでも、と要請される機会も増える。

そう云う場合、
「私は字が書けなくて」と断るしかないのだが、
それが又、「字も書けないのに、将棋が強い」と、一層の人気になった。

中には書けないことを承知でサインを求め、
「書けない」と言わせて喜ぶと云う手合いまで現れる始末。

いつも付き添いで行く娘さんが、
これを苦にして、なんとか揮毫できるようにさせたいと思い立った。

しかし、忙しい人だ、
せっかく教えても、次までに間があいて忘れてしまう。

そこで、
ともかく名前だけでもと、ある便法を思いついた。

まず、
習字の練習のように、
横一直線を上から七本、順に引いてゆく、

次に、
三本目と四本めの間、
真ん中から、五本めへと、タテ一直線に引く、

さらに、下二本の横線の両脇に、縦棒を引き「口」の形にする。

これで、「三吉」となり、立派なサインの出来上がり。(笑)

ただし、
巷間伝わるこの逸話、事実かどうか保証の限りでない。

○坂田の左馬

さて、坂田三吉氏が、
なんとか名前を書けるようになると、
今度は、色紙にも揮毫が出来るようにしたいもの、と、娘さんとしては思う。

そこで、
いろいろ考え、「馬」と云う字を教えることにした。

「馬」は、
将棋で、もともと強い駒である「角」が、
敵陣に入って出世し、
なお強くなった呼び名であるから、揮毫するにも縁起がよい。

しかも、一字で意味を成し、四角い色紙にも収まりが良い。

ただしこちらは、
便法と云う分けには行かず、普通に教えた。

さて、ある席で揮毫を頼まれた三吉氏、
しからばと色紙を取り上げ、墨痕あざやかに書き上げた。

処が、なんとなく周囲の空気がおかしい。

やがて、色紙を眺めていた相手がニッコリし、
「これはいい、坂田の左馬だ」と周囲に同意を求めた。

怪訝な顔つきだった周囲の人々も、
「なるほど、これはいい、ぜひ私にも」と相次いで揮毫を求める。

以来、
「坂田の左馬」の人気は高く、
現在でも、元名人、将棋の米長邦雄氏は、好んでこれを揮毫すると云う。

コレも真偽のほどは知らないが、
もし本当なら、

誰にでも経験があることだが、
初めて字を習うと、
「し」の字や「く」の字を、左右反対に書いてしまうことがある。

三吉氏も、
慣れぬ事とて、その日の「馬」は、裏返しに書いたのであろう。

○俥引きの三やん

今と違い、昔 将棋は賭け事の一種だった。

古くは平安時代など囲碁や双六も賭けの対象で、
貴族たちが夢中になっていたことが伝わるし、

和歌の優劣を決める歌合せや、
花を比べる花合わせに豪華な景品が賭けられたとは、

平安時代の貴族が、日記などに書き残している処。

勝ち負けのある処、賭けの対象となるのは、歴史が証明している分けだ。

将棋はインドで発祥したボードゲーム、
チャトランガが大陸、半島を経由するうち、
少しづつ姿を変えながら、10世紀ごろ日本に伝わり、
様々な改良が加えられ、日本独自の形に発展したのは戦国時代ころとされる。

従って、今のような純粋娯楽としての将棋より、賭博としての歴史のほうが遥かに長い。

なにしろ、歴史的に見ればつい最近である昭和初期まで、
巷(ちまた)たでは盛んに賭け将棋が行われていたのだから。

さて、戯曲「王将」のモデルとなった坂田三吉は、
その素人時代、将棋が抜群に強かったにも拘わらず貧乏だった。

当時の将棋はカネを賭けるのが当たり前、
そうとなれば、
将棋の強い「俥引きの三やん」は、カネを儲けて当たり前のはず。

処がそうはならない、
なぜなら、負けると分かっていてカネを賭ける奴はいないから。

強すぎて相手が無ければ、
ハンディを付けるか、賭け金に差を付けて、相手を探すしかない。

将棋で云えば、
強い方が自分の駒を落とす、つまり自陣の戦力ダウンして、勝負の確率を調整する。

ただし、それでも三やんが頑張って勝つと、
次は、もっとハンディをきつくしないと相手は勝負を受けない。

将棋を指したいと思えば、
常に「辛いメ」の勝負でも挑むことになるから、
将棋の強い三やんは、賭け将棋に強いとは限らない。

将棋を指すのが第一で、
カネは二の次の三やんは、カライめ、キツめの勝負にもすぐ応じる。

つまり、三やんは、
いつも自分より「やや強い」相手と指しているのと同じことになる。

将棋の上達法としてはこれは最も善い、
しかし、その分、掛けたカネは出て行くばかり、

これで、
俥引きの三やんの、
「将棋は強いが、勝負には弱いカモ」と云う説明に無理が無くなる分けである。

○玄人の博打

俥引きの三やんこと坂田三吉が、
もし、将棋の内容より、
賭けに勝つことを第一とするような真剣師、

つまり、プロの博打打ちなら、ちょっとした技を使ったはずなのである

例えば、
かなり腕自慢で、カネもありそうな、
旦那風のカモを見つければ、、まずは小額の賭け金て勝負を始める。

最初はそこそこに指して、勝ちを譲り
「お強いですねェ」などと、お世辞でいい気分にし、
あとは接戦に見せて、勝ったり負けたりしながら、賭け金を少しづつ上げてゆく。

その内に、賭け金がそこそこになったら、
相手の優勢な局面から、
最後に逆転、
それも、こちらの実力でなく、幸運で勝てたように思わせてきわどく勝つ。

そこで、申しわけ無さそうに、

「えへへ、すいませんねぇ、
 ホントはそちらサンの勝ちなのに、」と、カネを受け取り、
 
「悪いなぁ、なんだか儲かっちゃった」などと、
挑発気味、
大袈裟に喜べば、そうでなくとも熱くなっている相手だ。

必ず「もう一番」となる。

「そんなら、取り返すだけでは物足りないでしょうから、
 もう少し大きく賭けますか」、

とか、ナンとか、

賭け金を一気に釣り上げ、大勝負に持ち込み、
しっかり勝ってサッサと引きあげる。

ここで大事なことは、何となく自分の方が強そうだと思わせること、

素人の旦那芸と、玄人の最大の違いは、
自分の芸に対しての認識、見極めの厳しさにある。

つまり、素人は、
負けた原因を、うっかりミスのせいにするから、
五分五分の勝ち負けだと、実力は自分の方が上だと勘違いする。

しかし、玄人は、勝負については辛いめに採点する。

優勢にしようと、
攻める手から考えたがる素人と違い、

玄人は、ムリをせず、
「負けぬように」、「不利にならぬように」と、受ける手を中心に読む。

だから、将棋の力から行けば五分五分でも、
素人の甘い読みにひそむミスを突かれて、

結局、ここと云う勝負処では、玄人が勝ってしまうのである。

山口瞳氏の小説だったか随筆だったかに、
「プロの博打打ちは、51対49で勝つ」と云うのがあった。

将棋、麻雀に限らずだが、
博打を打てば、必ず相手とは五分五分の力量、
もし、力量に差があれば、ハンディを付けるから、結局は五分五分の勝負となる。

そこで、
始めから勝とうとするのは素人、
プロは、大きく負けないことを心がけるのだそうだ。

やがて、勝負は深夜となり、
メンバーの集中力が薄れてくるころ、玄人は目の奥が輝き出すというのである。

51対49でも、賭け方によってはそ、金銭的にれ以上の勝ちにできる。

相手は負けても、
ほぼ勝敗は互角だったのだから、負けた気がしない。

こうしておけば、
また次の機会にも相手は勝負を避けない、と云うのである。

えてして素人は、
負けた51回より、勝った49回の方を思い出したがるものだ。

なにしろ、
負け勝負を思い出すのはつらいが、
勝った勝負を検討、反芻(はんすう)するほど、楽しいことはない。

だから、51対49を、
記憶の中で勝ち越しにすることなど御茶の子サイサイ、

いやな想い出も楽しい思い出になる。

だからこそ、
「博打は亡びないのだ」、などと、
私などは秘そかに思っているのでして。



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【反芻】はんすう
 [2] 繰り返し考えたり味わったりすること。








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