漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

比丘尼相撲の事

2020年11月24日 | ものがたり

室町時代の世間話集、
「義残後覚(ぎざんこうかく)」にあるお話。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

京伏見は繁昌の地にて、
諸国より相撲の一座も数多く集まり、

「立石」「あらなみ」「岩たき」など三十人ばかりの一座、
七本松と云う処で人を集め、

天下一と銘打って相撲興行を開き、
その余興として「立石」との勝負を組み、

見物の中に、
相撲自慢あらば飛び入り自由とて参加を求めければ、

力自慢の土地の者、
次々と挑みけれどもことごとく倒され勝つ者一人もなし。

見る人、
悔しく思いける時、

隅の方より
「それならば」との声あり。

行事その声に向かい、
「いざいざお出でそうらえ」と申しければ、

人々、そちらを覗きて、
さぞや厳めしき男のあらわるると見る所に、

現れたるは、
年のころ二十歳ばかりの比丘尼にて、

行事も驚き、
「いかなる人ぞ」と訊ねければ、

その尼どのの、申しけるは、

「我は熊野あたりの者にて、
 日頃より若き男たちが相撲を取るのを見てうらやましく思いたれば、

 今日取る人のなきを見て望みけり」と。

これを聞きて「立石」、

「かようの微弱なるもの、
 十人十五人とひとつまみにすべき処にて、

 何ゆえ我が相手になろうや」と笑いければ、

尼どのこれを聞いて、
「いやいや、勧進元も認める堂々の勝負にあらねば、こちらも取るまじ」と申す。

見物の衆これを聞き、
「まことにおもしろし、立石取れ、取れっ」と望みければ、

立石止むを得ず、
さらば尋常の勝負をと

大手を広げ「やっ」と声を掛ければ、
尼どのツツっと無造作に進み出てそのまま突き倒せば、

「立石」仰向けになって転びけり。

見物これを見て大きに呆れ、
「立石」もまた恥ずかしく思い、

「これは舐めすぎて不覚を取りたる」

今度こそはと、

両脇を締めて構え、
尼どのの左手を取って振り回せば、

尼どの身軽に体をひねってこれをかわし、
立石の膝をすくいあげると一回し、立石はうつ伏せにぞ投げ伏せられたりける。

見物の衆、
手を打ち声をあげて笑いけるほどに、しばらくは歓声の止まざりける。

それよりもこの尼どの、
出で来る力士どもを次々と投げ捨つれば、

その技、
稲光の如くにて、面目を失った相撲一座は解散しけり。

世中の人々、
これは相撲一座のおごるをにくみて、

葛城山の天狗が、
比丘尼となってあらわれたるか、と噂しにけり。

 

 

 


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。