漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

上田秋成の「はんかい」(樊噲) 上中下

2020年02月07日 | ものがたり
上田秋成の【はんかい(樊噲)】

上田秋成の【はんかい(樊噲)】 上

どれほど昔のことか知らぬ。

伯耆の国、 (今の鳥取県) 大山の奥の院には、
恐ろしき神の住みて、 

夜はもとより、
昼も申の時(午後四時)過ぎては、 

寺僧であろうと、お山を下り、
修行をなす僧も、堂にこもりて出でず、経を唱えて夜を明かすとうわさする。

そのふもとの里にて、
若き のらくろ者ども、夜ごと集まり、

酒飲みながら博打うち、
勝負を争いて遊ぶ溜まり場の宿あり。

今日は朝から雨降り、
田畑や山仕事にも出られずとて、

昼どきより集まり来て、
愚にもつかぬヒマ話しておもしろがる中に、

何かと云うと己が腕力を誇り、
人の話に口出しし水を差す大蔵と云う男あり。

集まった者ども、みな大蔵を憎みて、

「ぬしは、やたらと強がるが、
 それ程までに云うなら、

 夜中お山に上り、しるしになる物置いて帰って来るがよかろう。

 それが出来ねば、
 力は有りても臆病者なり」とて、

仲間の中にて辱(はずかし)めんとする。

「それごときは易きことよ、
 今宵にも上りて、証拠の品置いて戻らん」と云いて、

充分に酒飲み、
物喰い散らして立ち上り、

外は小雨なれば、
蓑(みの)着て、笠かぶり、

そのまま怯(ひる)む様子もなく出てゆきたり。

仲間が中に、年かさにて思慮深き者は、

「無益な意地を張るなり、

 あの男、
 必ず山神に引き裂かれ谷底へなりと捨てられん」、と、

まゆをひそめて云えども、
後を追いて留めようとする気配は見せず。

この大蔵と云うは、
足も速ければ、

まだ日の高きうちにお堂のあたりに着きて、
辺りをうかがい歩くほどに、

日もやや傾きければ、
物すさまじき風吹きたち、

杉檜(すぎ、ひのき)の木立ザワザワと成り騒ぐ。

待つほどもなく暮れ果て、
辺りに人の有ろう筈も無きに、

己がひとりなるを誇りて、

「これ見よ、何ごとも無し、

 元々、山の坊主の虚言(そらごと)なれば、
 里人脅(おど)かさんとしての彼奴らの巧みごとにてこそあるわ」とて、

雨も上がれば、
蓑笠(みのかさ)横へ投げやり、

石打ち、火を切り出し、たばこをのむ。

どっぷりと暮れ果て暗うなれば、

「頃はよし、さらば上の社(やしろ)に行かん」とて、

木立が中を、落ち葉踏み分け踏み散らかして、一目散に上る。

半里とぞ聞きしを上りきり、社に着きて、

「何かのしるしを置かん」とて、

辺りを見回すに、
神に奉る賽銭箱 (さいせんばこ) に目を留め、 

「これを担ぎて下りるべし」とて、
重き箱を軽々と打ちかづきて、立たんとするに、

この箱、にわかに揺らめきだして、

たちまちに手足もなえて、
大蔵が体を安々と引っさげ、大空に向かいて翔け上がる。

ここにて大蔵心弱り、

「許したまえ、助けよ」と叫び、
大声にてわめけども、こたえなくして、 いよいよ勢いを増し、飛び翔けり、

行くほどに、
波の音恐ろしく、ゴウゴウと湧き出でたるを聞けば悲しく、

ここにて海へ投げ込まれやするかとて、
今は、箱を頼みと思えば、強くしがみ付きたり。

夜も明け初めしころ、神は箱を地に投げ置きて帰りたり。

大蔵、ようように人心地して、
眼を開きて見れば、浜辺にて、ここにも神の社あり。

松杉生い茂る中に、神々(こうごう)しく建たせたまえり。

神主らしきが、
白髪のまじりたる頭に烏帽子かぶり、

神に仕える白き狩り衣の、ややくたびれたを着せる姿にて、
手には今朝の供物を台に捧げ持ちて歩み来たるが、

大蔵を見とがめ、

「何処より来たるや、あやしき男なり」と問う。

「われ、伯耆の大山にのぼりて不敬の行いあれば、
 神に咎(とが)められ、
 遠くこの地まで賽銭箱と共に飛び来て、 
 ここにて投げ捨てられ、神は帰りたまう」 と云う。

「さても霊妙神秘、 まか不思議なことなり、
 
 汝は、さぞ愚かなる、のらくろ者ならん、
 命まで取られず、神に助けられしと喜べ。
 ここは隠岐の国 (今の島根県・隠岐島 )の、たく火の権現の御社なり」

とこれを聞きて大蔵、
目も口もはだけ、呆然として驚き、

「われにも両親ある身なり、
 海を越えさせて、故郷へ帰らせたまえ」と云う。

「他国の者、分けもなくみだりに来たとあらば、
 国の掟(おきて)に沿いて、

 生国身元をただし、その後に送り返されるのだ、

 今は、ここに居れ、
 この供え物を奉りて後、我がもとに来たれ」と云う。

神官、
尚もくわしく問いただしたのち、

代官の元に行きて申すは、

「今朝の夢にて、
 供え物奉りて、声高く祝詞 (のりと) 申し上げる内、

 手元へ物のハラハラと落ちこぼれしに、
 御戸を閉めて神の帰るやと見たり。

 驚きて、急ぎ御社に参るに、
 松の木陰に見知らぬ者の立ち居たり。

 何処の人と問えば、伯耆の国のなりと云いて、
 しかじかの事して、ここに知らずに参りたりと申す、

 そのまま我が家に居らせて、ただいま訴え奉る」とぞ。

代官、聞きて、

「そやつは、神のお咎めにて、
 ここまで流されしとは思えど、

 この国の者にてなければ、
 わしが罰すべきこともならぬわ」とて、

その日の夕方の、出潮を待つ船に乗せ、
対岸の出雲の国へ送らす。

 (出雲→いずも→今の島根県出雲地方)

八百石とぞ云う船なれば、
小さくもあらず、風も追い風とて すこぶる速し。

処が大蔵、
「昨夜の神の翼の駆くるよりは遅い」とて憎まれ口をたたく。

三十八里の渡しを、
辰の時 (朝八時) に出で、 

まだ申(さる)の上刻 (午後四時ごろ) と云うに、

向かいの出雲の国に着いた。

ここに港を守る浜役人ありて、

ことの次第を問いただし、
「さても世に珍しきならず者なり、憎むべし」とて、

面にツバ吐き掛けてより、通行手形を与う。

ここより、宿場 宿場を過ぎるに、
二人の護送役人にはさまれつつ、

七日目の午後に、古里に帰り来たりて、
代官所に引っ立てられ、

罪重からずとて、
棒で五十敲(たたき)にて処されて後、庄屋召されて引き渡さるる。

村の者聞きつけて、
「大蔵が帰りしぞ」とて、まずその家に走り行きて告げる。

大蔵が母と兄嫁は女なれば、
「どこでどうして、よくもまぁ、」と、思いながらも、

嬉しさに家の表で待つほどに、
向こうより人々に囲まれ大蔵が帰り来る。

まずはと迎えて、「足洗え」、「モノ喰え」と、立ち騒ぐ。

父は、仏壇の前にて、
膝高く足組みて、煙草くゆらせ、宙に向きて吹き居たり。

兄は山仕事に出るとて、
鎌と棒をとりて

「生きて帰りしとは不思議のことなり、
 分けを聞くもうるさし」とて、

大蔵が面をキッとにらんで出で行く。

里の友達あつまり来て、

「もう腕づく自慢はやめよかし、
 神に引き裂かれぬこそありがたけれ」など、喜び云いて皆帰る。

いつもの寝間に入りて、
翌日の昼時まで、ぐっすり寝たり。

今はただ、
親の云う事に従わんとて、兄の山仕事に付きて出る。

出雲へ渡り、隠岐の島より帰るは、
「罪ある者の大赦 (たいしゃ) に会いしなり」とて、

このごろは、
大蔵と云う名は誰も呼ばずじて、

「たいしゃ、たいしゃ」とあだ名して呼ぶなり。

  (大赦→国家に慶弔事があった際、その恩恵として罪人を許すこと。)

日数過ぎて後、
大蔵、母に向かいて、

「お山の権現様より 助けられし命なれば、
 心清くして、今一度山に詣でんと思う」と云えば、

母、危うがりて、

「神も如来様も同じこと、
 家の仏壇をよく拝みて敬い申し、身をよく清め、

 心あらたまりて、
 それからなれば、兄と連れ立ちて上るもよしなれど」と云いて許さず。

父、横で聞きて、
「もし、神が
 大蔵がことを憎しと思したまわば、とうに命は無きものぞ、

 迷うことなし、急ぎ詣でよ」と云う、

兄嫁、夫に向い、
「弟に付き添いて上りたまえ」と云えば、

兄、あざ笑いて、
「父の仰せの通りなり、ひとりで上れ、

 おのが心の改まりたるを
 神仏によくご覧に入れて来い」とて、共に上る気はなし。

大蔵、もとより大胆なれば、 
「ひとりで上りて、お詫び申して来たらん」とて家を出る。

早く帰りて何の事もなし。

「母よりたまいし銭は、かの御前に奉りて、
 よく拝みて、

 さて、その後、
 あの夜の蓑笠(みのかさ)、そのまま木陰に残りて有りたれば持ち帰り来たり」と云う。

母、
「また荒き事して、再びの御罰こうむるな。
 こんどこそは引き裂きて捨てられるぞ、とは世間も云う事よ。

 事なくて帰したまうは神の恩なり。」とて、赤飯など食わせよろこぶ。

この後は、
心あらたまりて、

兄がしりに立ちて山に行き、
木の枝切り、柴にして荷ない帰り来る日が続けば、親の機嫌もよし。

大蔵、元より大力なれば、
兄よりも柴多く刈りて荷ない帰れば、

これを売りて銭も多く残れば、
母と嫁ともどもに誉めて喜ぶ。

その内に年は暮れたり。

大蔵が稼ぎするにより、
いつもの年にまさりて銭三十貫文を貯めたり。

「今年はよい年であった」と、
父も兄もうれしげに云えば、

母も嫁も「まことに」とて、
大蔵に、綿入れの着物一つこしらえて着せる。

年明けて、春ものどかになりければ、
又、いつもの宿に遊びて、博打始めたり。

その内に負け積もりて、銭さいそくされる事多ければ、

心猛き大蔵と云えど、
さすがに気おくれしたか、ひと夜ふた夜は行かず母に云う、

「春のお参りに、又、山に上りたし、
 友だちも詣でるほどに」と云いて、銭乞う。

母、
「早く帰れ、陽もかたむくころの御山は恐ろし」と云いつつ蔵に行く。

大蔵もあとに付きて行き、
「多い目に下され」とねだれば、

「御山に参るだけなるに、
多くとは何に使うぞ」と云いながらも、

「こればかりを」とて、

銭の入った箱のフタをあけ、
ひとつかみ渡せば、おおよそ百文の上もあり。

「持って行け」と、
箱のフタをする手元より、中を覗けば、

からげたる銭、二十貫文ほどもありけり。

大蔵、母に向かい云う、

「この春から遊びして、銭負けたり、
 友だちがつぐなえとて、度々責めるによって、

 その銭、しばし貸したまえ、
 山稼ぎして元のごとく貯めるべく、明日よりは山に入るよ」とて、

銭ねだる面、憎し。

「さても、さても、
 心あらためしかと思えば治りおらずか、

 もう博打はやめよ、
 毎春、お代官様より戒められておるいたづら事なれば、神も憎ませたまわん。

 この銭は兄が働きで貯め、入れ置きたるものぞ。
 許すわけにいかずば手も触れまじ。」とて、箱の鍵、閉じんとす。

大蔵、又、いつもの心より、母捕えて動かせず、
「声たてな、父が昼寝目覚むるぞ」とて、

片手にて箱のフタ開きて、
銭二十貫文つかみ出し、母は突き放し、

銭肩におきて、ゆらめき出ず。

兄嫁、これを見て、
「いずこへ持ち行くぞ、
 それは夫が貯めて入れ置きたる銭なり。

 父さまよ、目さましたまえ、
 大蔵が悪心、また起こりしぞ」とて、わめき声して云う。

父おどろきて、
「おのれ!、盗っ人め、許さじ」とて、

おうことりて庭におり
後よりチョウと打つ,   (おうこ→天秤棒)

大蔵、
打たれても骨かたければ、あざ笑いて門を出でんとす。

「憎し、憎し」とて追いしけど、足速く逃げ走り行く、
後より父、「あれ捕えてくれかし」とて、呼ばわり呼ばわり追う。

兄も帰り道に行き合いて、
「おのれ、この銭盗ませてなるか」とて、

奪い返さんとすれど、
手も触れぬ前に蹴倒されたり。

父は足よわくて、兄におくれたれば、
この時にようよう追い付きて、後より確と抱き止めるを、

「年寄りにムリな力だて、入らざる事ぞ」とて、
片手にて前に引き廻し、

横さまに投げたれば、
道細きゆえに、ため池の氷 溶けしあたりに転び落ちたり。

兄は、
「親を何とする」とて助け、

抱き上げんとするほどに、大蔵は遠くなりぬ。

父も木こりなれば、
心は猛く、濡れたる衣からげて、又、追う。

谷わたる処にて、友だちが行き合う。

これは力ある男なれば、
向かい立って強く捕え来る、

大蔵も腕のかぎりして、男の面を打ち、

相手のひるむを見て、
強く蹴ったれば、谷の底へところび落ちけり。

谷の水、まだ冷たきおりなれど、
男も心は猛くして、なお這い上がり来るを、

上より、
「おのれが博打の借りを責めるにより、
 つぐなわんとして,親の銭なれど持ち来たるぞ」とて、

怒りにまかせ、
岸にたつ石の大きなるを又蹴落としたれば、

這い上がらんとするほどの上へ転びかかりて、
又もや谷の深きへ落ちたれば、こたびこそは這い上がり得ず。

兄と父は遅れ、
この時になり、ようように追いつきたれば、ただ銭を奪い返さんとす。

大蔵、今は猛り狂いて手に負えず、

兄も父も振り払い、
谷底の流れへと蹴(け)落としたれば、

そのまま跡も見ず、
ただ一散に駆け出したれば、何処へ逃げ行きしとも知れず。

父も兄も、冷たき深みに沈みては這い上がれず、そのまま凍え死にたり。

一村中して騒ぎに騒ぎ、跡を追わんとすれども、
元々大蔵が乱暴を承知したれば、とてもかなわずとて、

ここはまず、と、
代官所へ駆け込み、「これこれの事あり」と訴え出たり。

「さてもさても、憎っくき大罪人なり、
 すぐさま追っ捕えて重く罰せん、
 されども、足はやきヤツなれば、もはやこの国には居るまじ」とて、

「だれか似顔を書きたれば、それを手配書にし触れ流し、捕らえん」とぞ代官の指示なり。

村長、進み出て、
「山里のことにて、絵の描ける者もなければ、
 ただ、姿や顔形を書きしるし、それをもって触れ流したまえ」と申し上ぐ。

然らばとて、
「身の丈、五尺七寸ばかり、
 顔つき鬼々しくして、体たくましく肉付きよく、言葉も達者なり」など、

くわしく書き付けて、国々へ触れ流す。

大蔵は逃げのびて、
今はとて、筑紫に渡り、(筑紫→つくし→九州北部)

博多の港に在りて日を過ごし、
博打の仲間に入りて居たれば、何の恵みにしてぞ、銭多く勝ち得たり。

しかし、ここへも、
「これこれの大罪人、捕えよ」とて、触れ流され来たる。

博打場に巣食うあぶれ者どもも、
「これは大蔵なるべし」とて、目くばせする者あるを見、いち早くここを逃れ出でる。

「銅銭は重し」とて、木のもとに投げ捨て、

黄金の五枚あるを心頼りに、
長崎の港にまでさまよい来たれば、

ここに独り暮らしの詫びしくてある後家の家に身を寄せ、
ここでも博打ざんまいに暮らし居りたり。

ここにてもツキまくりては、

勝ちほこり、
「オレは大金持ちそ」とて、酒を持たせ、明け暮れ飲み明かせば、

その、あまりに野放図な暮らしぶりに怯え、

後家は逃げ出て、

縫い物に雇わるるを頼りに、
丸山の遊郭にある揚屋(あげや)に「隠して欲し」と駆け込みたり。

   (揚屋→遊女を呼んで遊ぶ店) 

大蔵、酔い醒めて、
「いづくぞ」とて後家を呼べど見当たらず。

「さては、我が放埓(ほうらつ)を嫌いて逃げたりか。
 つね日ごろから、丸山にある何がしの揚屋をとて、行く物語したれば、

 そこにこそ、居るはず」とて、追い行きて、
「オレの女を返せ!」とて、暴れ込めば、

その言葉の荒きに怯え、
あるじも家の内の者も、さらにここに泊りし人々も、

「いかに、いかに、鬼の来たるぞ」とて、騒ぎ立つ。

治めんとする人々は皆、蹴り放ち、
ここかしこの部屋に乱入して、

「さっき酔いも醒めたわ」とて、
盃の取り散らかしたるを拾い上げ、酒を飲む飲む。

肴もの、皿や小鉢物、
ある端から引き寄せ喰らうほどに、

気力、ますます盛んになりて、
「オレの女出せよ」とて暴れ狂う。

奥の方に唐人の宿りて遊ぶところへ乱れ入りて、
屏風(びょうぶ)を蹴倒し、

唐人の前に、片膝高くかかげ、
どうとばかりに座り込みたり。

唐人、驚き恐れ、
「はんかい乱れ入りたり、 
はんかい来たる、ゆるしたまえ、我は何も知らず」とて、わびる。

   (はんかい→古代中国の有名な豪傑の名) 

この家の主、
この大切な客人に間違いあってはならじ、とて、

揉み手して機嫌をとりつつ、

「お尋ねらしき女なら、
 確かにここに来たようなれど、また、何処へやら逃げ行きたりし、

 ここは静まりたまえ、

 心当たりもあれば、
 手前どもの若い者にさがさせまいらん。

 それまでは酒でも呑みたまえ。」とて、

通人の喜ぶ珍味にてはあらねど、
海の物、山の物、手を尽くし料りたる馳走ささげて、もてなせば、

大蔵もこれに心ゆるし、思うままに呑み喰らう。

「唐人の云いし、はんかいと云う名よし」とて、
「今より我は、はんかいと名乗らん」とてよろこび酔う。

そのうちに夜も明け放れたれば、
召し捕りのいかめしき役人、

手下四・五人も連れ来たりて、
「親、兄を殺せし伯耆(ほうき)の国の大罪人、大蔵出せ、

 引っ捕えてくれん」 とて、外より声あり。

大蔵、これを聞きて、 
今はいかにすべきにもあらねばとて、

覚悟を据えて躍り出で、
「我は親を殺せし悪逆にあらず」とて、わびるふりして、

前の男が持ちたる六尺棒を奪い取り、

だれかれの見定めなく、
打ち散らすほどに、

役人も辟易(へきえき)すれば、捕え得ずして逃がしたり。 

   (辟易→たじろぐ事、うんざりする事)


 上田秋成の【はんかい(樊噲)】 中

長崎より逃れて、宛て所もなければ、
野に伏し山に隠れて歩くほどに、疫病みして、山のふもとに転び居たり。

狼の吠える声も恐ろしげなれば、
たまらずして助けを呼べど、道を行き来する人「こわし」とて、足留める人も無き。

ようように熱も醒めかかれども、
しばらく物も食わねば足腰も立たずして、道に這い出で、人の通るを待つ。

夜に入りて、ここ通る人あり、
月明かりに大蔵がうめくを声を聞きてあやしみ、「何者ぞ」と問いただす。

「我は旅人なり、病えてここに数日ありしが、
 やや熱も醒めれど、物も食わねば足も立たず、
 なにとぞ、物を食わせてたべ」と云う。

持ちたる灯火差し出だして見たれば、
青き鬼の如き顔にて、病み衰え、
おどろ髪ふり乱し、ただただ、「もの食わせよ」と乞う。

「まず、人には違いなし」と見定めて後、
心に思うことあれば、
「こやつ助けるべし」とて、
腰に下げた竹行李(たけこうり)より、握り飯を取り出し与う。
  (竹行李→竹で編んだ弁当箱)
ただ おし頂き
「ううぅ」と云いつつ貪(むさぼ)り喰らう。

喰い尽くしてさて云う。

「誠に御恩かたじけなし。
 これより後、いつに有りても、この御恩にむくい申さん」と云う。

旅人わらいて、

「おのれはおもしろきヤツなり、
 そのごとく落ちぶれ果てた身で、今さら何ごとができようや。

 残された道はひとつぞ、盗みして世を渡れ、
 これよりは我が手下に付きて稼げ。」と云う。

大蔵も打ちわらいて、
「さては盗人どのか、 これはよくぞ出会いしものかな、

 博打に打ちふけり、
 その果てがかく山里にさ迷い来たる我が身なり。

 博打打つも盗みも罪あるは同じとかや、
 博打ならひとたび負け色となりては力わざも通じぬが、盗みなら腕ひとつならん、

 これはよかろうぞ。」 

とて、よろこぶ。
 
「さて肝(きも)ふときヤツなり、
 さては近ごろ聞きし 伯耆(ほうき)の国の父兄殺しとはおのれの事か」と問う。

大蔵、悪びれた風もなく、
「それなり、」と認め、

続けて、
「このまま里にて人交わりしていくでは安き心も無し、
 御手下に付きて、
 野山に伏し賊稼ぎする事こそ我が身に合いたり、よし、よし、」

とて、うれし気なり。

その大蔵を見て、盗人の男が、

「こよい、この道を通る旅人あり、

 馬の背に重げなる荷積み、
 付き添うは足軽ひとり、
 老いぼれのほかには邪魔する者とてなし、
 荷の中には大金ありと見たれば良き稼ぎぞ。

 馬子めとともに打ち殺して、奪いとらん。
 まずは手初めにして見よ。」と云う。

大蔵、図太くうなずき、

「それ位の事ならば、たやすき業(わざ)なり、
 その前の力づけに、ふもとにおりて、酒を飲ませられたし」。

男も
「我も寒かりつれば」とて頷き、
十町ばかりくだりて、茶屋の戸たたき、「酒買いたし」とて声かくる。
  (十町→約1km)

まだ宵の内なれば、親父「待たれたし」とこたえ、戸を開けたり。

「良い酒とうまそうな肴ならば、何にてもよし、いくつか出せ」と急ぐ。

「夜分なれば、銭さきにして渡すぞ、」とて、金一分取り出し投げ与う。

あるじ、立ち急ぎて、
「となりの家にシビの煮たるがあれば」とて、
  (「シビ」はマグロ、当時は庶民的な魚)  

酒あたためる間に求め来て、フグのつくりナマスとともに豆腐汁あつくして出す。

「よし、」とて、
ふたりともに充分に飲み喰らいて、
「夜更けぬほどに」とて出で行く。

あるじ、見送りて、
「あの頭目らしき男は大ぬす人なり、
 付いて来たる大男は見知らぬ顔だが、手下であろうぞ」とて、
ひとり呟き、
賊と知りながら、残りの酒さかな物、飲み食いしてそのまま寝たり。

二人の山賊は、
「ここ辺りがよし」とて、
雑木林の陰にてたたずみし程に、馬の鈴ゆらぎての音、聞こえ来たり。

男が、
「ぬかるなよ」と声を掛ければ、
大蔵、
「得物なくてしては」と云いて、
松の木の一杖余りあるを引き抜き、振り立てて見する。 

頭目の男、その様子を見、
「よし、よし、いさぎよし」とて笑う。

馬の足音、目前にまで来たれば、
大蔵、モノも云わずに松の木振り立てて、馬子も馬も打ち倒す。

老いたる足軽おどろき、
「これは」とて、刀ぬく技も忘れたごとくにして、あわて逃げかくる。

大蔵、後ろより追い付きて、
「この腰抜けめ」とて、谷の深きあたりへ目がけ つかみ捨てたり。

「さすがに馬は踏み殺せぬか」と云いつつ、
大蔵が、力足して、
馬の腹強く踏めば、ひと声いななき叫んだまま死にたるべし。

「荷物の縄(なわ)、ほどくも煩わずら()わし、」とて、
ふつふつとぶち千切りて、

「さて、いざ」と云う。

頭目、
「よし、よし、よくせし」とて、
荷解きて見れば、思うごとく、黄金千両の包みあり。

「残りの物はいらず、寒しとて馬が泣こうよ」とて、
馬に荷物うち着せ戯(たわむ)れて、跡は見ず、飛び駈けりて山をくだる。

夜のまだ暗きうちに、早、海辺に着きたり。

波打つ岸に立ちて、
「白波寄する、岸にありや」と合言葉で呼べば、「あ」と応じて、
苫舟(とまぶね)一そう、こぎ寄せ来たり。
   (苫舟→草屋根のある小舟) 

男ふたり、出で迎えて、「こよいの首尾はいかに」と問う。

頭目こたえて、満足げに、

「よき男を召し抱えて、稼ぎよくしたり、
 いざや、よろこびの酒飲むべし」と云えば、

「おう」とこたえ、
「この海にて釣りたるばかり」、とて、鯛やサワラをナマスにして出す。

大蔵、笑顔にて、
「我は"はんかい"と申すなり、これより兄弟と思せよ」と云い、
盃に二.三杯続けてやり取りすれば、頭目、大蔵が髪、掻きさぐりて よろこぶ。

互いに、
「良き巡り合わせしたり」とて打ち笑い、
続けさまに飲み喰らうさま豪胆なれば、
二人の手下、気圧(けお)され、大蔵が顔色をうかがいつつ飲む。

「さて、我が名は名乗れど、御ン名はまだ承らず」と云えば、

頭目こたえて、

「我が名は村雲、昔は相撲取りなり。
 さしたる罪でなけれども、
 喧嘩して追い放たれたれば、そのまま故郷にて、這いつくばり暮らすもつまらず。

 いっそ、盗みでもして暴れ歩かんと思い立ち、
 この三年ほどは、野山をかけての山賊暮らし、海に浮かびて海賊と、
 人の宝を奪うは、いとた易いことなれば、東の方へ向かうまでもなし。

 この海の向かい、

 山陽道から筑紫九国の間、
 又、伊予、土佐、讃岐に漕(こ)ぎ寄せて稼げど、いまだ役人の手に掛からず。
 (筑紫九国は九州全域、伊予、土佐、讃岐はぞれぞれ愛媛、高知、香川各県) 

 ここは伊予の国なり。

 千両の宝費やすほどの処にはあらねど、
 まず、春になるまでは、道後の湯につかりて遊ぶべし、

 酒よし、海の物よしなれば」とて、夜も明けたれば漕(こ)ぎ寄せ行く。

「二人の男どもは、ここにて一日二日過ごせ、
 その後は、見咎められぬためにも、海向こうの飾磨(しかま)にて春を待て。
   (飾磨は姫路の港)  

 そのためのカネ与える、
 これで充分のはずなれば、必ず盗みはするな。

 商人に身をやつして、われが飾磨の港へ行くを待て。」とて指図し、

カネを分け与え、舟を漕ぎ出ださす、
"はんかい"には、百両を分かち与えたり。

道後の宿を訪れ「宿を」と言えば、
あるじ、大蔵らを見て、「いづこの人よ」と問いたり、

「四国八十八ヶ所巡りせんとて来たれど、
 いと寒ければ、二・三日、湯あびて、それより出でたたんとと思う」と答えおく。

あるじ聞きて
「弘法大師の徳を慕う巡礼の中に長者が居るとは、変り種もあることよ、」とて、数日逗留させる。

大蔵、心に思うは、

「"はんかい"と云う名、ものものしければ人目に立ちたり。

 この後、触れの廻る中、
 旅して何処へ行くとも名で目立たば、
 親殺しと結びつけられ、身の破滅をも招きかねまじ。

 ここは旅の僧にでも身をやつすべし。」とて、

宿より見えし山の峰にある寺を訪れ、
様子を見たれば、
老いたる僧の腰かがまりしが、
か細き声にて「南無大師遍照金剛(なむたいしへんじょうこんごう)」と唱え居るのみにて他に人影もなし。
    (「南無大師遍照金剛」は弘法大師を信心して唱える言葉) 

外より声を掛け、

「我は、都の方の者なり、
 母に付きて、四国霊場を巡りしほどに、
 きのう、舟より陸に上るに踏み違いて、母、海に落ちたり。

 「あれよ、あれよと叫べど、船頭どもが云うに、
 『ここは海深くして、
  鰐(わに)と云う魚の棲(す)みて、人を呑み喰らう。
  もはや呑まれたるべし、いかんともしがたし』と云う。

 夜更けて、つらつら思うに、父は既に没し、
 兄はしっかり者にて、
 国に帰り、これこれにて母失いしと云えば、憎みて追い出すべし。

 見知らぬ土地にて、身より頼りなく生きる世渡りの術(すべ)知らねば、
 今は僧となりて、大師の霊場を巡り果たし、
 その上は、諸国を巡り歩かんよりなし、とて思い立ったり。

 今は髪の毛もわずらわし、剃(そ)りてくだされ、
 その上で、古ごろも、一枚与えたまえ、」とて、

むら雲が分かちし百両の中から一両を取り出し、
うやうやしげに捧げ、差し出したれば、

山法師、
春咲く菜の花の類のほかには、黄色き光見ねば、
押し頂きて納め、
「受戒さずけ申さん」と云う。

「いや、難しきこと煩わし、
ただ『南無大師へんじょう金剛』のみに」とて、手を合わせ高らかにとなう。

大蔵、髪剃り落とされて「心よくなりたり」とよろこぶ。

老僧、擦り切れたる墨染めの衣を持ち出し、
大蔵に打ち着せんとすれども、大男の身に合わねば、手も通らず。

「仮の衣のことなれば」とて、
「かたじけなし」と礼を述べ、寺をくだり、湯の宿に帰りたり。

むら雲が待ちくたびれしか、とて急ぎ部屋へはいれば、
見て、
「さても、さても、とうとき法師ぶりとなりたるよ、
 しかる上は、よき衣なりと、ひとつ買い与えてしんぜん。」とて、

あるじにかけあい、
墨染めのころも、大きめなるを裁ち縫わせ、大蔵に与う。

大蔵着て、
「この体に合わせたる衣は、
 人目に立ちて大きかれば、見る人恐ろしがるべし」とて、

首をひねるを見て、
むら雲、
「身をすぼめ、修行し歩け、
 笈(おい)も見あたらば買いて与えん」と云うに、 
大蔵、
「いや、それはいらず、
 中に何を入れて背負い歩くぞ、
 頼むは仏ばかりなり、南無大師へんじょう金剛」と、高らかに唱えてのち、

顔見合わせ、打ちわらい合う。
  (「笈」は、旅の僧や修験者が背に負う箱)
さて日数過ごし、
「このまま、いつまでもは居られず」とて、
船便求め、海の向かいの播磨(はりま)路にと渡る。 
   (播磨→兵庫県の南西部、)
むら雲、
「飾磨の港に叔母の家あり、ここにまず」とて、大蔵つれ門に入る。

門に入るより、
「おば御、いかにおわす」と声掛ければ、

おば出で来て、むら雲を見、

「そなたの久しく来ぬ故に、銭も米も乏しくてあるわ、
 さぞ、みやげ物は多かろう。」とて打ち笑い、

「酒でも」と、立ち走り買いに行く。

ここに又、二十日ばかり在りて、

「東の方、いまだ見ねば、修行し歩きたし」とて
包み物ひとつ背負いて、笠かぶり、衣のすそからげ別れを告ぐ。

むら雲も機嫌よく、

「都より東へ越える坂路にある逢坂山と云う里は軒ごとに絵を吊りて売る、
 その大津絵という絵の中に、
 鬼が墨染めの衣着て、鉦(かね)叩いて念仏を唱え歩く図があり、
 そなたの写し絵のごとくあるぞ。」とて、

大笑いし、旅立ちの宴、にぎわしくして送り出す。

飾磨にては、酒飲み、物食い飽いて過ごし、
出で来たれど、

「これよりは」と、用心し、
「大道を行かば、見咎める者もあり、ここは山沿いに行くべし」とて、
進む行けば、
荒れ野の広がる処に出で、そこにて日が暮れたり。

一夜の宿り求めんにも家なし。

はるか先に灯り見え、
近寄れば一つ家のようにて、「一夜の宿貸したまえ」と声掛ける。

女あるじ、のぞき見れば、おそろしげな顔した大男の僧なれば、
一度はおどろけど、
たとえこの僧がぬす人にてあろうとも、
取られて惜しき物もなければと、また思いなおし、

「あすは亡き亭主の命日なれば、
 その前の日の夜に坊さまとは、これもみ仏のなすところ」とて、戸を開け、

「今、息子は米買いに総社と云う処まで行きおれば、
 入りて、経を読みて手向けしたまえ」と大蔵を導きいれる。

「心得たり」とて、まず上り込み、
囲炉裏(いろり)のそばに座り込み、
「これはあり難し、暖か、暖か」とて、手足をあぶる。

女あるじ、
「今はまだ食い物もなければ、息子が帰るを待たせよ」とて、
芋の塩にて煮たるを出して勧める。

これにて腹をふくらまさんとて、
芋の多く盛りて出してあるを、「うまし、うまし」とて食うほどに、
近所の者なりとて、男入り来たる。

谷川の向こうの家よりなり、
後に付きて商人一人、

「息子どのはいまだ帰られずや、
 この商人どのは、いつもいつもこの辺りへ売り買いに来る人なり。

 今日も来られたにより、
 ここの家には、黄色い小判とやら云うモノを一つ持ちたり、と語れば、
『それは珍しき物なり、
 世にはニセのカネ有りて、春は大坂のエビス祭りに、
 又、京の鞍馬の初寅もうでにも商う、それらは皆ニセモノなり、
 我は良く知りたれば、見て参らすべし』とて、
 夕飯の箸おさめて、夜分なれど急ぎここに来たるわ」と云う。

「はて、息子が何処に置いたやら、
 人にもやらずば、何処かには有るはずなれど」と云うほどに、

息子、米背負いて、帰り来たり。

「御坊を泊めたれば、
 供養の米炊きてさしあげるべし、お前は米洗え、我は飯炊かん」とて、

柴に火付け、炊きくゆらす支度しつつ、
「かの黄なる金見たし、とて、隣りへ来た商人殿が待ち兼ねて居らるるよ」と云う。

「それはここに」とて、
息子、神祭る棚より取り出だして見する。

包みたる紙の破れより、光きらきらしく、
まばゆく見ゆるは、人のまさぐり倒さぬ証拠なり。

商人の目に、
「この家の親子が小判の値打ちを知らぬ」、
とは、すぐに見えたれど、
囲炉裏のそばの僧が目つきの恐ろしさに、まるまるのいつわりも云いがたし。

「これはまことの金なり、
 銭なら今すぐ、二貫文に換えて参らせよう、
 又、米なら、今は持たねど、総社の町へ行きて三斗に換えて参らすべし」とそ云う。

大蔵、商人を憎みて、
「小判なら、我もここに持ちたるなり、
 国々を廻る歩くなれば、小判の値打ちも聞くこと多し、
 その金なら、米なら一石、銭ならば七貫文には買うべし。」と睨みつけて云い放つ。

この横槍に言葉もなくて、
「商人とは云えど、己が商う物のほかは、よくも知らず」とて、逃げて去(い)ぬ。

「あの商人めは、ぬす人とまではあらずとも、
 我居らずば騙 (かた)り取らんと云う心根たるべし。
  (騙り→詐欺)  
 必ず必ず、知らぬ人に見するな、

今宵の宿の代として、今一枚与うべし」とて、
かの金、ざらざらと取り出せば、
百両の中、使いしは僅かなれば、一つ家のなか黄金の光、めざましかり

「あしたも飯炊き、 芋煮て御坊に供養申せ、
 一夜のあたいに黄色い金たまいしぞ」とて、親子してよろこぶ。

こんな里より離れたる処には、
純朴そのもの、実に憂き世離れした、聖人のごとき人の住むものなるか。

日明けて、大蔵、
「南無大師、へんじょう金剛」とて高らかに唱うれば、

朝、柴刈りに向かう里人、
「この家には、鬼でも入りたるか、恐ろしき声聞こゆる」とて、
怖々、覗き見れば、供養の経読む僧なり。

亡き人の命日と知りて、なるほどと頷き、
「坊様は、これぐらいの声こそ尊きか、よく供養して頂け」とて、去り行く。

大蔵も、面白き一夜を明かしたれば、別れを告げて出れば、
親子して、
「また来てくだされたし、
 その日のためには、明石の浦のワカメ、
 又、椎茸、氷豆腐も、総社の町に行きて取り揃えておくべく」とて、心込めて云う。

うなづき、うなづき出でたるが、
足疾ければ、野越え山に沿いて、今日の日暮れには難波(なにわ)に出たり。
  (難波→大阪) 
日本第一の大港にて、
何処の国より来る船もここに泊ると聞けば、
我を見知りたる者もあるべし、とて、宿りとらず。

野寺の門の陰に転び寝して、夜を明かす。

カラスの鳴くに目を覚まし、
また笠かぶり、杖つきて身を細め、
市町を通り行けば、人多く、賑わしきこそが恐ろし。

住吉、天王寺なども見ずして、
河内、和泉、紀州路を過ぎ、
大和路のここかしこを見巡りて、京の都に着きたり。

難波ほどの賑わしきにはあらねど、
「さすがに人目多ければ」、とて、この冬は北陸路の雪にこもりて、

春になりてより、東の国々見巡り歩かんとて、
急がぬ旅にも、何やら心せかれ、近江の湖水を右に眺め渡して越の国(北陸地方)へとこころざす。

大蔵、
敦賀(つるが)、海沿いへの路を訊ねつつ、越路行く。

雪いささかなれど梢にかかり、
月明々と映えたれば、「夜道明るし」とて弾みを得、荒乳(あらち)の関山越える。

行く手、岩の上に小男ありて、

「法師めはいづこへ行くぞ、
 懐中には路銀があろう、酒代に置いて行けよ」と云う。

後からも男が廻りて、
笈(おい)をしっかととらえ、
  (笈は箱型の背負いカゴ)
「この坊主めは、金多く持ちたるぞ」とて、許さぬつら付きなり。

大蔵、笈を解き下ろして、
「金ならたっぷりあること、取りたくば取れ」とて、岩の上に腰掛け、

火切り出して煙草くゆらす。

「さて、さて図太き奴なり」と云いつつ、笈の金数えてみれば八十両あり。

「分かちて取れ、
 小僧らに花持たせてやることよ」とてあざ笑い見る。

「おのれ、憎き奴かな」とて、
一人が立ち向かえば、立ち上がり様に蹴り返されて仰向けに引っ繰り返る。

すかさず小男が、大蔵の手を取りたるを、
赤子のごとくに抱き据え、
「おのれ等、盗みするに、これしきの力よりなくば、命みじかき定めと知れ」と突き放す。

「力も才覚も無くば、我に付き従いて稼げ、
 このごとき金なら、常に得させん。」 と云う。

二人の男、恐れ入れば、

「小男めは、小猿と呼ぶべし、
 おのれは、こよいの夜に釜抜かれたつら付きなり、月夜と名付くべし。

 思う心有りつれば、
 この冬の間は、雪にこもりて遊びたし、よき処につれ行け」と云う。

加賀の国 (今の石川県)に入りた辺りで
小猿、
「山中と云うは、湯治しに冬より春にかけ人多く集まる処なり、
 ここに宿りて、雪見したまえ」 と云う。

ならばとて、二人に案内させ、宿を定める。

宿のあるじ、
「この二人はぬす人なり」と見知りたれど、
強げなる法師の、心安く二人扱うさま見たれば、それを心頼りに宿をかす。

悪人二人をして、
幼き者のごとく呼び使う法師 頼もしとて、あるじ心置かず。

雪の多きが名高き処なれば、雪は日毎に降る、
「今年の雪、殊に深し」とて、湯浴みする人ども語り合う。

山寺の僧ら、湯浴みに訪れ、持ち来る篳篥(ひちりき)、笙(しょう)吹き合わせて遊ぶ。
  (篳篥、笙いずれも古代からある楽器)
大蔵、おもしろく聞きて、
「教えくだされずや」と云うと、
僧、よろこびて、
「良き友出来たり」とて、喜春楽と云う曲をまず教うる。

生れつきたる資質あるにや、
拍子よく、節もすぐ合い、喉ふとければ息強く、笙の音も高し。

僧よろこびて、
「修行者どのは、弁財天が鬼の姿にて示現なされたまわんや」と驚く。

大蔵云う、
「弁財天の侍女に、我ごとき鬼の有りしはずなし」とて、

打ち笑うありさまただならず、正に、夜叉、仁王の如し。

「おもしろき修行者殿なり、
 愉快なる冬ごもりも一たびは留め、寺に帰りて正月の支度などするべくにあれど、
 又、来たれば、その時には新たなる一曲を合わすべし」と云えば、

大蔵、
「いやいや、これにて充分、数多く覚えるはわずらわし」とて習わず。

僧ら、口々に、
「新春には必ず山寺に来たれ、尊き妙音菩薩なり」とて、打ちわらい出で発つ。

手下の月夜に、
「お送りしてまいれ、これは一曲の御礼に」とて、
小判一枚を包み、その旨書き付けし書状とともに渡し送り出す。

僧ら、思いがけぬ宝を得て山へ帰る。

湯に入るにも笙の笛持ちて行き、捧げて吹く。

かくするうち、
「今年は雪多し」とて、湯治の客ら去ぬる者多し。

寂しくなりて、
「どこぞに、もっと賑わしき処やある」と問えば、

「ここより先、
 粟津と云う処にもよき湯わく、
 加賀の城下に近ければ人も多く入り来たる」とて、

あるじには、存分なほどの金与え、立ち出ず。

粟津にも諸国より来る人多く、賑わしさは山中にまさりたり。

例の喜春楽、夜昼となく吹きて遊ぶ。

城下の人、
「さてさて妙(たえ)なる音色なり。
 一曲だけ吹かれるも又よきかな、我は横笛吹きなれば」とて、笛取り出して吹きあわす。

「節よく、音高く、いまだかかる妙音を聞かず、
 我が家に、一・二度は立ち寄りて宿られよ。」とて、

次の朝、迎いの人来たるにより
行きてみれば、棟高く、庭広き邸にて、さぞ富める人なるべし。

「小猿、よく見るべし、いずれ仕事のおりもあろうぞ」とて、
ひそかに云い含めつつ、奥の方へといざなわれる。

篳篥(ひちりき)吹く友も来て、
幾たびも幾たびも吹きあわせたれば、友も「妙音なり」とて感じ入る。

酒、吸い物、焼き魚などささげ出でて、
あすじ
「御坊は一向宗にて御座ろうぞ、
 湯本にては、気兼ねなく魚も食べてござるを見し」とて、様々の物を勧むる。

酔いが廻れば気も乗りて、又、笙持ち、とうとうと吹く。

「一向宗の教え、
 一向一心の境地にて、一曲の妙を会得したまえり」とて、

繰り返し奏する喜春楽にも、倦(う)むことなく、聞き入りて居たり。

睦月(むつき)過ぎて、 
二月の三日と云うより、ここ立ちて行く。
   (睦月→一月)

「能登、海沿いにめぐるは、まだまだ寒さ厳し」と教える人ありて、
「浜千鳥の鳴く声聞いたをよしとして、
 道を変え、
 噂に聞いた、越中立山の地獄谷とやらを見ん」とて山路を目指す。

山高ければ道遠く、いまだ雪深し。

大蔵の足にてどしどし歩けども、地獄谷見えず、
二人の手下に、
「地獄谷はまだか」と問えば、
「おそろしさに近寄らねば、我らは見たこともなし」と云う。

足にまかせ、谷峰越えて無闇に歩けどそれらしきもなし。

「噂だけなりと云う人もありと聞いていたれど」とて、
心落とし
岩の雪はらい、一休みする間に、

陰のごとくやせ衰えたる、
亡者の如き姿したるが二・三人、

目の前にあらわれ、物欲しげに立てば、
その顔、青白くうらめしげにして気味悪し。

「聞き覚えたる餓鬼にてあろうぞ、物喰わせるにしかず」
とて
腰に下げたる糧(かて)、みな打ち払いて与う。

餓鬼ら群がり喰らいてうれし気なるうちに、
笙とりい出し、
ひときわ高き音にて奏すれば驚きて、
たちまちにその姿、かき消すごとくに、消え失せたり。

「立山まで修行に来た甲斐あり」とて、山を下る。

神通川に舟橋あれば、雪解けの水速くとも渡ること易し。

珍しければ、大蔵、
川の中央に立ち止まりて、立山の方見やるに、
川上より、大なる根こそぎの木、流れ下り来て、舟橋に打ち寄せたり。

「よき杖にならん」とて、軽々と取り上げ、橋の上杖にして突きつつ行く。

これより魚津の浮島見んとて、進む行くてに、
かの、むら雲、歩き来たるを認めれば、
「いかに、いかに」とて、互いに声掛け合い奇遇を喜び合いたり。

むら雲語りて、
「船上の隠れ家を探られ、襲われたれば傷負えど、命ばかりは逃れたり。」

大蔵も
「この北越に冬ごもりして、
 山中に湯浴みして、手足伸ばしたれば、又出で立ちしなり」。

小猿、月夜、二人には、
「おのれ等は、ふもとに宿取りて、待て」と云い捨て、むら雲と二人、山道をのぼり行く。

着きければ、
大きなる沢に水鳥鳴き遊ぶ中を、浮きたる島、二つただよいたり

また、この岸よりただよい出んとする島あれば、
大蔵引き留めて、
「いざ乗れ、浮きて遊ばん」と云う。

むら雲飛び乗るを見て大蔵、力にまかせて押し出したり。

むら雲、驚きて、
「いかにするぞ」と云えど、大蔵わらいて答えず。

ゆうゆうと笙(しょう)取り出して、
喜春楽たかく吹き遊ぶ中、
「いかに、いかに」とむら雲の叫べどこたえず。

打ち笑いて、立ち去り行く。

あくる朝、宿を出でしあたりでむら雲に行き合いたれば、
むら雲、不機嫌にて、

「おのれ恩知らずめ、
 命助け、金百両与えし折は、『親とも思う』と云いしを忘れ、
 我を、水上に放ちたる、
 許すべきにはあらねど、今は別に思う処あらば見過ごす」とて、連れ立ち行く。


上田秋成の「はんかい(樊噲)・下」
2014年08月25日 | 読み物

上田秋成の【はんかい(樊噲)】 下

やがて城下町に出でたり。

小猿、月夜らの云うに、
「ここは、何とやら申す殿さまの領地にて、国ゆたかにして人も多しとかや」

又、広壮なる屋敷の前を通りかかりて、

「この家は、殿さまの一族なるが、臣下にくだり、
 今では大層なる長者どのにて、北陸道に並びなし」などと二人して大蔵に語り聞かす。

石垣高く積み、白壁そびえ、
門もまた大きく、中を覗けば、敷地広く奥深し。

大蔵云う。

「我、盗人となりて、いまだ物盗りたることなし、
 今宵、この家に入りて試みるべし」とて、屋敷の周囲など巡る。

酒肆(さかみせ)に入り、
まず金取り出だして投げ与え、

「酒あたためよ、四人が中に酒一斗買うぞ」と云えば、

あるじ出で来て、随分に驚けど、
金の力ありければ、云うままに温め、小女に出させる。

「さかなは」と問えば、
「山の物がござる」とて、兎、猪の肉焼いて出し来る。

存分に呑み、
喰らう内に日も暮れたれば、
「いざ」とて、また、彼の家目指して行く。

月明かりなれば、
昼見しよりは、塀高くそびゆるに、
「さて、何処より忍び入る」とて、謀(はか)り合えば、

大蔵云う、
「あの奥に見えるは、金納めたる蔵にてあるべし、
 別棟なれば廊下伝いに通うものとみえる。

 小猿、おのれは身軽し、ここに来い」と云いて

高塀のもとに立ちて、
小猿を肩にのぼらせ、庭より伸びたる松の枝に取り付かせたり。

「枝伝いして庭に下り、この大門のくぐり戸開け」と教ゆる。

小猿、
さしずのままに庭へ下り、くぐり戸開けんとしたれど鍵あり、

「黒金の強かなる鎖にて二ヶ所に戸締りしたり、
 その上より、大なる鍵かけてあれば、とてものこと開けがたし」と内より云う。

「石垣も人が積み、鎖も人の手にて降ろしたる物ぞ、
 おのれ等は盗人と名のりながら、落ちこぼれたる物のみを拾うか。

 月夜、おのれも松の枝より下りて、小猿めに力を添えよ」とて、

又、これも肩へ上らせ、
した枝に寄り付かせ、内に入れたり。

さて、二人の者かかれど、その力足らずとて、鎖開かず。

時半ば過ぎれど開かずとて、大蔵、怒り、 (時半ば→小一時間)
石垣の中、大きなる石の上の土の
少し欠け損じれたる隙間に手入れて、 

「えいっ」とひと声掛けて、石抜きたり。

「むら雲、跡より入れ」と云いて、ここより這(は)い入る。

彼の金蔵と思しきは、まこと堅牢なる造りにて、
「これほどにては、何処より侵(おか)すべしや」と思いをめぐらす。

暫しありて、
「思案出来たり」とて、
廊下の柱より取り付き上りて、
この屋根の軒より、鳥獣の飛ぶごとくに蔵の屋根に移りたり。

上より、
「おのれ等二人も柱より上がり来たれ、
 されど、この屋根には移れまい故 この錫杖(しゃくじょう)に取り付け」とてさしおろす。
  (錫杖→修験者などが持ち歩く大型のつえ。)
二人も盗人なれば、、身軽くして、
廊下の屋根より錫杖を頼りにて、引き上げられたり。

瓦四・五枚はずし、
屋根を支える垂木(たるき)に打ちたる板
紙破るごとくに引き放ちて、
「これにて、人入るほどにはなりたるわ、さぁ行け」とて、二人をつかみたる手、投げ放つ。
(垂木→棟から軒に渡して屋根を支える角材)

夜更けてあれば、物の音大きく響きけれど、
蔵の中にて、人の寝たる場所から遠ければ、人驚き起き来る気配なし。

大蔵、火縄に火付け、
上より投げ落としたれば、
小猿、月夜、火縄拾い持ちて、辺りを見めぐれば、確かなる金蔵なり。

二階より 梯子(はしご)降りてみれば、金銀入れたる箱、あまた積み重ねたり。

「狙うは金のみ」とて、
一箱、二箱肩にかけて二階に上れど、「さてこれをば如何にすべし」と云う。

大蔵、上より、
「その辺りに縄などは無きや」と云う。

見れば、麻縄の太きを束ね重ねて置きたりければ、
「これあり」と云う。

「それをおのれ等が内の一人、
 おのが身にからみ付け、どうにかして這い上れ」と指図す。

小猿、
身に麻縄の端、くくりつける間に、、
月夜、梯子を持ち来て二階へ引き上げれば、それを壁につい立て、小猿這い上がる。

大蔵、上より
「今、少しなり」と励まし、錫杖を差し伸べ引き上げたり。

下の月夜に向かい、
「この綱の先にくくれ」とて云う。

「心得たり」とて、金箱二つをよくからめて、「いざ」と声掛ける。

大蔵、釣瓶で水を汲むがごとく、さも心安気に引き上げたり、
中を開け見るに、二つの箱に二千両納め居たり。

月夜も又一つ上げ来たり。

今度は、綱にからめて蔵より吊り下ろすに、
下に待ち構えたるむら雲、「得たり」と抱え下ろす。

さて、二人の者を又、廊下の屋根に渡し、
大蔵は気が急いたか、蔵の屋根より一気に飛び降りたり。

誰も怪我せず、
金箱荷ないて、石垣の穴より四人が這い出たれば、皆口々に、

「はんかい殿の御働きぶり見事にて、
 何度も場数を踏み、修練を重ねた達人のごとし」とて感嘆す。

大蔵、千両入りの箱三つを前にして、むら雲に云う。

「冷や飯食わせ、百両くれし恩を大仰に『命助けし』とはよくも云いたり、
 百両は元より、冷や飯の代価ともどもにまず千両取れ。

 残る二千両は四人にて五百両づつ分かつべし、
 我も五百両を得る」とて、惜しげなく分かちける。

これにより、ついにむら雲も心服(しんぷく)したり。

   (心服→心の底から尊敬し、服従する。)

城下遠く離れたころになりて夜は明けたり。

大蔵云う、
「この風体の四人連れにては、目立ち過ぎて悪しかるべし、
 小猿、月夜の二人は江戸に向かえ」と指図し、

「して、むら雲はいかにするぞ」と問う。

「我は未だ、津軽の果てまでは知らず、なれば行きたしと思う」と云えば、
大蔵も頷き、
「それは良き思案、我も地の果てとやらを見たし」と笑う。

今は、ひとまずの別れぞとて、酒店に入りて、盃を交わす。

大蔵気分良く大酔して、
「伝え聞くに、唐人は別れに際して、柳の枝を折るとかや、
 さすれば、」とて、

川渕の老いたる柳の木を抱え、
「エイッ」と声を掛けて抜き取りたり。

大蔵、苦笑いして、
「さて、この後如何にするやまでは知らず」とて、大道に投げ捨てたり。

酒屋のあるじ見て、
大きに驚き、恐れて口震わせ、物も云えず、
それよりも存分に飲み食いして、小猿、月夜の二人は江戸へと志す。

むら雲、
このまま千両の金取り納めしとては、
今は恥ありとて、
「半ばを返すべし」と云えば、

大蔵、打ち笑いて、
「金多く持つとて益なし、
 足らずば盗むは、盗人にとりてはごく易きことなり、
 餓えれば喰らうべし、金なくば盗むべし」とて、納めず。

共に金、ワラ包みにし、背負いて行く。

日も西に傾き、暮れなずめども宿るべき里見えず。

丘の上に、
さも貧しげなる寺院ありければ、近づきて今宵の宿り乞う。

出でて応対したは、病げなる若き僧にて、
「ここには既に人宿りたれば、差し上げるにも食なし、
 二十丁行けば、良き宿場あり。」と云う。

ふたり、
「喰らわずともよし、
 寝ずも可なり、
 知らぬ道を迷うよりは増しなれば、一夜の宿貸されよ」とて、

押し入り見れば、
破れ障子の奥に、宿りたる人の姿ありて咳払い聞こゆ。

その時、
小者ひとり外より帰りて、「米もとめ来たりし」とて袋おろす。

大蔵とむら雲、
「その米、高く買うべし、売れ」と云いて、小判一両投げ出す。

横より僧、
病身には強き声にて、
「ならぬ、これは客人の米なり、
 その値も不当なれば、汝ら行きて宿場にて買い来たれ、
 この米も、この者のあるじが買いに走らせしぞ」と云う。

聞き分けて床に上がり、
隔てたる襖(ふすま) 開けみれば、齢 五十余りの武士なり。

打ちわらいて、
「お二人とも壮気あふれる人々なり、
 こちらに来たまえ、夜もすがら物語りしたきもの、
 この寺の住職は我が甥(おい)なり。

 常に病して、体よわし。
 飯なら我が小者に炊かすなれば、分かちて食うべし。
 別に求めるまでも無かろう」とて、

手厚き言葉に、心落ち着き、
傍に座りて、煙草くゆらせ、湯など飲み、物語りなどするべしと思う。

武士云う。
「御坊は、僧なるに似ず、いとも猛々しく、眼つきおそろし。
 そちらの大男は、いかなる故にや、ひたいに刀傷二ヶ所見ゆ。

 わずかの米に、金一両出されたるは法外なれど、富貴の人の旅行くとも見えず。

 察する処、血気盛んにして博打旅か、
 それとも、盗みでもしてあぶれ歩くか、どうもそんな処に見えるがいかが。」と問う。

むら雲応じて、
「まさに盗人なり、
 夕べは首尾よく大金得て、ワラに包みて持ち歩きたり。
 金もあまりに多きは煩わしとて、いかでか使い棄てんとす」と云う。

武士、
「いかにも そう見えた、
 その男つき、僧のふるまい、まことに悪者とこそ見ゆる。

 命を塵芥(ちりあくた)のごとくして暴れ歩くは、
 乱世の世なれば豪傑の名を挙げ、 国を奪いて敵を恐れしめん、

 勇ましきことなり」と云う。

大蔵云う、
「盗人とても命は惜しきぞ、
 財宝(たから)は得やすけれど命は保ち難しと云うではないか、
 もし、百年の寿命盗む術知りたらば教えよ」とぞ。

武士、からからと打ちわらいて、

「財宝かすめ取られた者の怨みは無き とでも思うてか、
 公儀は、そう云う者捕えるべしとて、備えたり。
 人をも殺し、盗み数多して、
 その報いに命百年などと云うこと有るべからず。

 我聞く処には、

 『盗人は、己の罪を知りても、良民には返り得ずして、
  まだ若き身に罰受け、刑に処されることは覚悟の上なり』とぞ。

 汝らはこれに異なるか。

 乱世ならば英雄の名あるや知れず、
 されど、すでに泰平の治世久しければ、盗賊の罪科に処されるよりなし。

 今さら足洗おうとも、大罪ならばいずれは捕えられるべし、

 望みも無きに、
 あだ口たたいて、我をなぶった気でおるのか。」と叱りつける。

大蔵、にらみつけ、
「力は身に余りたり、
 これまでも捕えられず、又、逃げおおせた事も度々ぞ、

 我が天命は長ければ、罪ありとて、逃れ続けて見せるわ」と云う。

むら雲も付いて云う、

「老いぼれめが云いそうな事よ、
 老人は老人らししく、念仏でも申して極楽往生を願え、

 一子出家すれば九族天に生ずとやら、
 聞けば、この寺の僧は甥子とかや、

 さては、その甥からのおこぼれを得んとて、
 ここに宿りて念仏せらるるか」 と、云いて、嘲り笑う。

武士、鎮まりて云う、

「老いたるとも武士なり、
 君に仕えて忠誠を励むのほかに願いなし。

 寿命も天にまかせてあらば、長くも短くも思いの外なり。

 百年の齢を願いても、
 ここかしこと逃げ隠れ、安らぐ地なくば、若死にの人に同じことぞ」とぞ。

大蔵、
「いつまで口争いしても益なし、
 君に忠誠とやらの人の心がけ見るべし」とて、面打つべく拳を振り上ぐ。

武士かろく動きて、腕を取りたれば、大蔵引き倒されたり。

「さては腕立つぞ」とて、跳ね起き、
立ち蹴りに蹴りかかれば、
その足とらえ、
このたびは横様に投げ、
「エイッ」と気合して、拳にてあばら骨強く打ち込みたり。

当て身、したたかにて、起き上がれず。

むら雲、立ち代り、
錫杖にて打ちかかれど、武士身をかわして右手をとりて動かせず。

「おのれが面の刀傷、
 二ヶ所もあるは、度々痛い目に合いたる証拠にて、無術の盗人なり、
 この手放して見よ、
 公儀には、我ごとき人、数多ありて、易く捕えらるべし」とて、これも突き倒す。

むら雲の手しびれ、打ちかかる事もかなわず。

大蔵、うめき出て、
「骨折られたり、憎き奴め」とて、

怒り声しぼり出せど、そこにて力つきたり。

武士、打ち笑いて、
「さあ、夕食が出来たるぞ、食わせてやるべし」とて、

大蔵引き起こし、
背より「う」云いて蹴り、活を入れたれば、ようよう起きなおりたり。

むら雲、
「手の筋違えし」とて呟(つぶや)き居るを、
武士、その手とらえて如何にかしたれば、
痛く思いし跡は直り、
手、常のごとく動きたり。

小者と主の僧、手に夕めし持ちて運び出づ。

「おのれ等には一椀づつやる、牢獄の内なればと思い知れ」とて、
高く盛りたる飯、一椀づつくれたり。

口惜しければ喰わず。

さて、夜更けて寝床分かちて臥す。

あくる朝、
起き出でたれば、
「これ痛む処へ貼れ」とて、薬与えたり。

「これは有りがたし」とて、おのおのいただきて貼る。

武士、朝げ食いて発ち支度し終え、「さて」と云う。

「その者たちよ、
 主の僧、若ければど、病いに疲れたる人なり。

 武士の子なれど僧なれば、
 武術の心得あれど、包み隠して使わぬであろう。
 痛み引けば、一礼して速やかに去れ」とて、云い残し 門を出ず。

主の僧、送り出て、

「あの盗人らは篭の鳥に似たり、
 いかに病み疲れしとは云え、手荒き素振り有らば、骨ぐらいは外して見せましょう、
 心安く思して発ちたまえ」

と云うその顔つき、目配りは、只者(ただもの)ならぬ気配なり。

ようように昼時を過ぎ、
薄がゆ与えられ、
夕べ出せし小判、宿の代とて差し出せば、
「盗みし金を法師が納めるはずがなき」とて、

目もくれず、
囲炉裏に柴くゆらせたり。

おそろしくなりて物も云えず、うつむきて寺を去る。

さて、むら雲が云う、
「何となく、海より上がりてこの方は心おくれたり、
 江戸は、相撲の昔に見知られたれば危うきもあり。

 ここは 本国の信濃に帰りて、身の養生を心掛けたし」とて、ここに道を分かつ。

大蔵も心寂しげに、
「今は、ひとり奥羽の果て見たとて せんかたもなし、
 江戸に出て遊ぶべく」とて、

又出会うを契りて、互いの道をとり別れ行く。

江戸に出たれど、
数多 人の立ち集う処へは、懸念ありて心進まず。

ひと日、
雨ぱらぱらと降り続くを幸いに、
浅草寺に心ざして来たれば、この空模様と云うに静かならず。

あじろ笠、目深くかぶりて、
酒店(さかみせ)に入れど、懸念有れば足りぬほどに飲みおき、店を出る。

店を出て、雷門に入りたれば、何事のあるか人々立ち騒ぎたり。

「盗人よ」と人の口々に云うを聞き、
「もしや小猿、月夜がここにて危うきや」と行きてみれば、

果たせるかな、二人して返り血を浴び、おのれ等も刀打ち振りたたかうなり。

若侍の五・六人が、
二人を中に取り囲みて斬り合うが、この五・六人も、いささかの傷 負うていたり。

威勢のよい町の者、寺の見張りなども駆けつけ、
それぞれに棒持ち、騒ぎを追っ取り巻く。

「哀れなり、助けてくれよう」とて、
人押し分けて、
「この喧嘩は如何なるわけぞ」と知らぬ顔に問えば、

「あの二人の盗人め、
 酒に酔いて、若ざむらい達の懐をさぐり取りしを見きわめられたり、

 屋敷へ連れ帰り、首を打つと仰るに、
 逃れようとて、刀抜きて一人に傷つけたり。

 皆、お仲間の侍なれば、かく血にまみれて斬り合うなり。」と云う。

「しからば」とて、近く寄り、
「今は互に無益の闘いなり、仲裁いたそう」とて割ってはいる。

小猿、月夜は、大蔵の声に力を得、大樹の下に寄り立つ。

侍ら、
「ならぬ、
 かく我らも疵つきしかば、帰るべき道なし、
 この上は、彼奴ら首にして帰り、主君に詫びるよりなし。

 法師も、
 仲立ちなどといらぬ口出しして命損なうな」とて、聞き入るべくもあらず。

「首は彼らが物なり。
 盗みし物さえ償わば、助けてとらせ、

 ふるまい悪しくて疵負うたは、各々の不運なり。

 聞き入れずとあらば」とて、

錫杖振上げ、二・三人一度に打ち倒せば、
「それっ、盗人のかしら来たるわ」とて、群がり逃げるもあり、

「打ち倒せ」
「打ち殺せ」とて、叫ぶもあらば、その突き出す棒は、笹薮のごとし。

「おのれ等は物見えぬか、
 我は修行者なり、

 ことの次第を聞き分け、人の命、失わすまいとするを、
 分別出来ずば、もろ共に打ち倒してくれるわ」とて、
 
錫杖振る勢いにまかせ、
前にたつ七・八人を、一息に打てば、「あ」と叫んで、皆打ち倒れる。

侍らも今はうろたえ逃げ行くをそのままに、
「来い」とて、小猿、月夜の二人小脇にはさみて、飛び駈け行く。

人声のみさわがしくて追いも来ず。

広き所へ連れ行きて、
血をふき、
顔、手足を洗わせて取りつくろい、そのまま物も云わせずして走り駈けり行く。

ようように江戸を放れ、気が付けば、金入れしワラ包みはなし。

「どこぞで落とせしとは思えど、今さら引返しても得られまじ、
 おのれ等のために大損したわ。

 前にやった金ももうあるまい」と問えば、

二人打ちしおれて

「博打に負け、遊郭に、酒の価にとまき尽したればなし。

 今あるは、彼の侍のふところよりかすめし財布のみ、
 大した金にはあるまじと思えど、酒代ぐらいには」とて、

開け見れば、わずかに金一分あり。

これにて又酒買い、
鰒(ふぐ)と汁とで腹を満たし、
「江戸には居り難し」とて、東を指して行く。

下野の那須野の原にて日が暮れたり。 (下野→しもつけ→今の栃木県)
小猿、月夜云う。

「この辺りは、えだ道多く、暗き夜に迷うたことすでにありき、
 ここにて暫く休みたまえ、その先のようす見てまいる」とて、走り行く。

「殺生石とて毒あり」と世に知られたる石を囲みたる垣根あり。

そのくずれたる処に場所をとりて、
焚き火赤々と燃やすに、向こうより僧ひとり、通りかかりたる。

目もくれで知らぬ顔に通るもこしゃくなれば、
大蔵声を掛け、
「法師よ、
 物あらば食わせよ。
 旅銀あらば置いて行け。ただでは通さじ」と云う。

法師、立ち止まりて、

「ここに一分あれば取らそう。
 食うものは持たず。」とて、

はだか金を大蔵が手に渡して、振り返りもせず行く。

大蔵、後ろより声を掛け、

「その先に若き者二人立ち居るべし、
 はんかいに合いて金渡せしと云うて過ぎよ」 と云う。

僧、ただひと声、
「応」とこたえて、足静かに歩み去りたり。

片時には未だならじと思うに、僧、立ち返り来て、
  (片時→小一時間)
「はんかい おわすか」と呼ぶ。

はんかいがあらわれしを見て、
僧の云う、
「我、発心の始めより偽り云わざるに、
 先ほどは、ふと物惜しく、
 今一分懐に有るを残したは、心清からず。 これも与うぞ」とて、つかみ与う。

手の上に金置きければ、
大蔵、ただただ心寒くなりて、

「これほどに心直ぐき法師もあり。
 我、親兄を殺し、多くの人を損ない、盗みして世にある事、
 
 あさまし、あさまし」との思い、頻りにつのりて、

法師にむかい、
「御徳に心あらたまり、今はお弟子となり、行いの道に入りたし」と云う。

法師も感じて、
「なにより、来たれ」とて、連れ立ち行く。

途中、小猿、月夜出で来る。

「おのれ等いづこにも走り、いかにもなれ。

 我はこの法師の弟子となりて、修行す、
 襟元の虱(しらみ)のごとくに我が身につくな、

 これよりは二度と合わず」とて目をくれ、別れ行く。

師僧、
「無益な子らは捨てよかし、懺悔は行く行く聞こう」とて、先に立ちて行く。

この物がたりは、陸奥に古寺の大和尚八十の齢して、
「今日、終わりなり」とて、
湯浴みし、衣あらため、椅子に座し目を閉じて仏の名も唱えず。

弟子、客僧ら進みて、
「いと尊し、逝く前に遺渇を一章しめしたまえ」と申し上ぐ。

「遺渇(いげ)などと云うは皆いつわりなり。 
まことのこと語りて命終わらん。  (遺渇→臨終の時に示す詩句)

 我は伯耆(ほうき)の国に生まれて、 (伯耆→今の鳥取県)">
 然々(しかじか)のことしたる悪徒(わるもの)なりし、
 ふと思い入りて今日に至る。

 釈迦も達磨も我もひとつ心にて、曇りは無きぞ」とて、死にたりとぞ。

「心納むれば誰も仏心なり、 放てば妖魔。」とは、この"はんかい"の事なりけり。



  ~~~~~~~~~~~~~~~
                        終






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