明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

善光寺さんにて

2010-03-11 23:31:39 | Weblog
宿坊にての話。いくら善光寺さんといえども、この季節です。母親と息子のほかには、宿泊客はいないだろうと想像していました。しかし、帰ってから聞きますと、意外にも大学生4人組が宿泊していたとの事。何れも大学4年生。就職が決まって、善光寺さんにお礼のお参りに来たとの事。
大学生の就職活動は、超氷河期の就職難。多くの学生さんが苦しんでいます。その現実を、垣間見る出来事。それにしても、この大学生達、よくぞ善光寺さんい来られたと思う。この4月からの、厳しい実社会での活躍を顔も名前も判りませんがこころから期待します。写真は、今日(3月11日)早朝の善光寺さん。息子が撮影。

本当に有難うございました

2010-03-11 22:50:14 | Weblog
行ってきました。珍道中満載の善光寺参り。母親86歳・息子21歳、JRを利用して善光寺へ。私は、お寺の関係で行きません。心配しましたが、一泊二日の善光寺参りを済ませ、夕方に帰ってきました。
往路、松本にて途中下車。タクシーにて、拙寺有縁の門信徒のお宅を訪問。写真は、その時撮影。
当初の予定では、松本からJRにて長野へ。しかし、ご主人の親切にて、長野の善光寺宿坊まで送っていただいた。大変なご迷惑をおかけした事になる。松本は、この寒波で前日より(3月10日)雪降り。しかし、長野市付近は積雪は無かったそうだ。普通とは、逆の状態。しかし、さすがに冷え込みは厳しく、『寒い』を電話にて連発していた。
ご主人は、大の写真好き。しかも、山岳写真を撮影される。今から、10数年前の事。そうです。まだ私が現役の高校教師の時代。クラブ(山岳部)の夏合宿にて、白馬三山の縦走を計画し、大雪渓を登っていた。生徒が一人バテ気味になり、大雪渓の上部で休んでいると、下からスイスイ登ってこられる単独行の登山者がおられる。私達の目の前まで来られて、お互いにビックリ仰天。なんとご主人であった。何の連絡もなしに、白馬の大雪渓で会う確立は事実上不可能に近い。しかし、偶然にも出あった。記念写真を撮ることも忘れて奇遇を喜びあいました。今は、懐かしい思いです。それにしても、本当に有難うございました。合掌。

うつくしきもの

2010-03-10 23:20:54 | Weblog
今日の中日新聞の朝刊に、地元藤原町の梅林公園の写真が掲載されていた。4000本の梅の木。紅梅・白梅と咲き誇り見事なコントラスト。多くの人が訪れ、美しさと梅花の香にうっとりされるに違いない。
でも、少し待ってください。身近なところにも美しきものはあるのでは?勿論、集団で咲く美にはかないません。しかし、白梅・紅梅の持つ本来の美しさを鑑賞するのなら、一本の梅の木に咲く花こそ美の原点があるのではと思う。
そこで、寒風吹く中で拙寺周辺を探索。20分程度で終了。戻り寒波は身に沁みます。結果は、見事な枝垂れの紅梅を発見。まるで、枝垂れ桜の花をみるようです。そこは、いつも車にて通る場所。しかし、今までは何とも思わず通り過ぎていた。人間は、見ようとしなければ、そこに存在する物すら自分の目には写らない場合がある。残念ながら、私もその一人。

私達、真宗門徒

2010-03-10 00:39:50 | Weblog
私達、真宗門徒にとって、お参りすべきは根本は京都のご本山・本願寺(西)。500年の昔、越中五箇山の赤尾の道宗さんは、『一年に一度は必ずご本山の親鸞様のもとへ』と言い残した。それではという訳ではないが、先日ご本山・本願寺にお参りする機会に恵まれた。
何度も京都に足を運んでいる私も、心ゆくまでご本山をお参りする機会はそんなに多くはない。なにがしか別の案件があり、親鸞様のおられる御影堂(ごえどう)前で、頭を下げる事になる。申し訳ない気持ちは充分にありますが・・・・
今回は、10年の歳月をかけて修復なった御影堂の感触に酔いしれた。本願寺の歴史を考える時、幾多の法難があり、存亡の危機があった。しかし、先人達は親鸞聖人の御真影像をまもるべく、『いのち助かる道ではなく、いのち救われる道』を選択し、自分のいのちを投げ出された。時間の流れは、過去があり、現在がある。そして、来年の平成23年は親鸞聖人750回大遠忌法要のご勝縁がある。そんな事を種々考えながらご本山をこころゆくまで参詣した。写真は、坊守と息子

超小型仏壇

2010-03-08 23:57:33 | Weblog
今日、地元の仏壇屋さんにお願いしていた超小型仏壇がお店に届いたとの連絡。そこで、仏壇屋さんに。
高さ25センチ横15cmの超小型仏壇。しかし、内部な金箔。外装は黒色で仏壇らしくなっている。この仏壇を注文されたのは、拙寺のご門徒。しかも、都市部の方。今は、種々の理由、生活環境の変化等により、田舎にて見られる大型仏壇は無理な場合が多い。そこで、相談して決めたのが、この小型仏壇。
今、多くの真宗門徒の家で、子供さん達が都市部に出られ、ご本尊なき生活をしてみえるケースが圧倒的に多い筈。そこには、『有難う』と手を合わせる生活は完全に失われている。だから、ご門主様は蓮如上人五百回遠忌法要に際して、『どんな場合でも、ご本尊のある生活を』と訴えられた。その為には、生活習慣に合致したお仏壇が必要となる。今回のケースがまさにそれ。
不思議な事があった。何ら打ち合わせ等は全くしていなかったが、注文主のご門徒さんが、『コンニチワ』と仏壇屋さんに入ってこられ、余りの奇遇にビックリ。これぞ、仏様の導きかと思うことしきり・・・・・・

茶畑

2010-03-08 23:11:13 | Weblog
今日、お葬式に参列させていただいた。そのお家は、拙寺のお隣町(北勢町)の山間部にある。お家は、真宗大谷派(お東)のご門徒。今回は、特別の理由がより浄土真宗本願寺派(お西)の住職である私が、ご招待により参列。
さて、葬儀が終了し車を停めた場所に戻ってくると、そこは広々とした茶畑の入り口。三重県は、全国でも有数の茶の生産地。四日市の水沢地区が有名。
昔は、拙寺の近くでも茶畑があったが、今は荒れ放題の茶畑が圧倒的。しかし、目の前に広がるのは手入れの行き届いた茶畑。
灯台下暗しとはこの事。お葬式のご縁がなければ、隣町に広大な茶畑がある事を知らずに過ぎていったであろう。是非とも、この茶畑の管理者に種々質問したい事があるのですが・・・・・・

祝 12000 願いと教え

2010-03-07 23:29:45 | Weblog
今日は、『春の永代経法要』の二日目。残念ながら冷雨。そんな中で、二十数名の方が参詣された。1時間も前からお参りの人あり。本堂は、広い。そして寒い。つくづく頭が下がる。
朝戸先生は、『教章』の後半部分のお話。その中で、自死の問題にふれられた。本願寺新報(浄土真宗本願寺派の新聞)最新号(3月1日)に、先生がこの事について書かれている。詳しくは、そちらを参照されたいが、日本では、自死の方が3万人以上。おそらく、未遂の方も含めれば3倍以上の数になるだろう。作家、五木寛之さんは『大河の一滴』という本にて、日本は『こころの内戦』の時代に入ったと書かれた。見えない戦争が起っているという意味であろう。無縁社会と称される現代社会。人と人とのつながりが極端に無くなった社会。ここに、原因の大半が集中しているのではと思う。しかし、阿弥陀様の願いは全ての人に対して願われている筈。決して、見捨てることはない願い。親鸞様は、この事を私達にお示しくだされた。だから、すべての人に阿弥陀様の願い、親鸞様の教えを届けたい、そんな事を深く考えるお話であった。写真は、法話終了後に撮影させていただいた。
尚、訪問者の方が一昨日(3月5日)で12000人(正確には、12084人)を超えていました。

こころいき(春の永代経)

2010-03-06 23:43:26 | Weblog
坊守が、拙寺庫裏の大広間にコデマリの花を活(い)けた。そう、今日から春の永代経法要。お参りしていただく門信徒の皆さんに、春を実感していただく為の心意気(こころいき)。朝から冷たい雨が降っていたが、幸いにして午後から太陽が顔を出した。実に『ラッキー』と思う。お参りしていたく方の立場で言えば、雨が降る中を一歩踏み出すのはかなりの勇気がいる。私自身に、立場を置き換えて考えれば、冷雨の中でお参りの為に家から出ることはおそらくないであろうと考えてしまう。実に情けない自分を発見する。だからこそ思う。浄土真宗は、このような熱心なご門徒の皆さんに支えられている事を住職として決して忘れてはならない。
春永代経のご講師は、岐阜県高山市神通寺ご住職の朝戸臣統師。『テーマ』は、ご門主様の願いをこめて最近新しく改定された浄土真宗本願寺派の教章について。教章とは、浄土真宗のみ教えをコンパクトにまとめたもの。逆に言えば、真宗門徒であれば是非『これだけば知っておいてね』という基本。しかし、住職の力不足が最大の原因であるが、拙寺のご門徒の皆さんは殆どご存知ないのが実情。かなり、赤面気味でお聞かせいただいた。ともかく、本日お参りいただいた50名近い門信徒の皆さん、ようこそのお参りでありました。

根性

2010-03-05 23:23:03 | Weblog
拙寺境内にて、早春の花であるクロッカスの花が咲いた。クロッカスは、耐寒性秋植え球根植物であるが、拙寺の場合は植えっぱなし。しかし、根性にて毎年早春に咲く。このクロッカスの花を見て思う事が毎年ある。
この花は、この時期の為にこそ、少ない栄養分(拙寺は、植えっぱなし)を地中から摂取して球根に貯え、この早春を迎える。自分は、昨年一年の間、どんな養分を摂取して、花を咲かせたのだろうかと考える。すると、「頑張ったよね」と思う事は、だんだん少なくなってきているように思う。これが、「老い」という現象もかも知れない。でも、数年に一度でもよし。「頑張ったよね」と思える自分で今後ともありたいと考えている。これが、「日常に流されながら日常を大切にする」という事だと思う。なにしろ、我々には親鸞聖人がおられる。聖人のご一生を思う時、今に輝く聖人の一連の著作集は、晩年の70歳以降からである。そして、亡くなる直前(90歳)まで続いた。この事も忘れずに頑張ろう。さあ、明日から春の永代経・・・・・