明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

栴檀の木と逮夜参りと能令瓦礫変成金(のうりょうがやくへんじょうこん)

2014-06-14 23:40:57 | Weblog
6月12日、「蓮如絵伝」を拝見した後、ご住職の案内で村の中央にそびえる栴檀の木を見学。10数メールはある大きな木。

初めて、栴檀の花を見ました。

栴檀(せんだん)と言いますと香木を連想します。昔から、香り高い樹として知られる赤檀(しゃくだん)・白檀(びゃくだん)・紫檀(したん)などの香木を栴檀(せんだん)といいました。でも、これらは日本にない樹であり、同じ文字を使用しますが、ここで紹介する栴檀ではありません。誤解のないように注意が必要です。われわれの栴檀は、初夏の頃、淡い紫色の上品な花(上記写真)を群がりつける日本特産の高木です。昔は、この木で下駄やタンスなどを作っていて、日常生活になじみの深い木であったのだようです。
さて、あるご門徒宅で「逮夜参り」が続いています。満中陰のその日まで親戚・地域の皆が集まって『正信偈』のお勤めを毎晩します。
今日(6月14日)は、故人の「五七日」でした。親戚・近所の人合わせて30数人ほどの皆さんが集まりお勤めです。このような「七日仏事」の導師は私ですが、普段の「逮夜参り」の導師は順番。つまり、誰もが導師となるのです。これが本来の姿なのです。ですから皆さん真剣そのもの。親戚ですから私もお参りしますが「逮夜参り」にては導師は無しです。
写真は、若奥さんの導師と少し心配そうなご主人。

随分と『正信偈』がお上手になりました。後は、「善導独明仏正意」が完成すれば略完璧です。「習うより馴れろ」です。日々の「逮夜参り」を通じて、法を聞くなかで自分自身が変わってくる。これなのです。自己流の解釈程危険なものはありませんし、肝心の法を聞くことを忘れている人が.......。
親鸞聖人の著作のなかに『唯信抄文意』という書物があります。そのなかに「能令瓦礫変成金(のうりょうがやくへんじょうこん)」という言葉が出てきます。(浄土真宗聖典註釈版708頁)意味は、「さまざま者は、みな石・瓦・礫(つぶて)のごとき我らである。その我々が如来の誓いをふたごころなく信ずれば、光明のなかに収めとられて、かならず涅槃の悟り開かしめる。石・瓦・礫が黄金となるが如し」となります。
あたかも日本の栴檀の木が、インド・東南アジアの香木の栴檀に変わるようなものです。そんな風に思う事です。中央仏教学院通信制をお薦めしたいと思っています。

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