明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

「和国の教主聖徳皇」から学ぶもの

2014-04-19 09:36:18 | Weblog
和国(わこく)とは、日本の事。教主とは、「日本ではじめて仏法を教えられた」という意味。聖徳皇(しょうとくおう)とは、聖徳太子の事。つまり、「和国の教主聖徳皇」とは、「この日本ではじめて仏法を広められた聖徳太子」という意味になります。では、誰がこのように言われたのか?浄土真宗の開山である親鸞聖人です。親鸞聖人は、聖徳太子を篤く敬われました。聖徳太子の行跡を讃えられる歌=和讃(わさん)までつくられています。上記の言葉は、聖徳太子を讃えられた和讃の一首の冒頭の言葉なのです。
全文は、以下の通りです。
和国の教主聖徳皇
広大(こうだい)恩徳(おんどく)謝しがたし
一心に帰命(きみょう)したてまつり
奉賛(ほうさん)不退(ふたい)ならしめよ
現代訳
日本ではじめて仏法を教えられた聖徳太子の広大なる恩徳は感謝しても感謝しきれない程である。聖徳太子が勧められた阿弥陀仏に心から帰依して、その深き恩を讃えまつる事を怠ること絶対にあってはならない。
この有名な和讃は、聖人が84歳の時に製作された『正像末(しょうぞうまつ)和讃』のなかに含まれている『皇太子聖徳奉讃(こうたいししょうとくほうさん)』のなかにある和讃です。
親鸞聖人は、このように聖徳太子を阿弥陀仏の化身(けしん)とまで認識され最大級の賛美を贈っておられるのです。その理由を種々書いていきたいと思います。
写真・・浄土真宗本願寺派の寺院であれば必ずお掛けしている聖徳太子像

上記の聖徳太子像は、浄土真宗でよく見られる両手で柄香籠(えごうろう)をお持ちの教養太子像と呼ばれる聖徳太子像です。ただし、この聖徳太子像は絶品中の絶品です。裏書が凄いのです。
本願寺 釈 准如 花押
上宮太子真影
慶長16年9月8日
江州志賀郡大津○○
○○ ○○○○
となっています。本願寺釈准如とは、江戸時代最初期の西本願寺第12代宗主の准如上人の事。わかりやすく書けば、本願寺が東西分裂した際の西本願寺の最初の宗主様です。
上宮太子とは聖徳太子の事です。慶長16年とは1611年。しかも、上記の裏書の書き方から一般末寺に下付されたものではなく直属寺院(当時でいえば、本願寺宗主の親戚寺院等)に下付されたものです。これを物語るかのように、この御影(ごえい)の色彩は豊かであり今でも鮮明です。現在の滋賀県大津市内の寺院に下付された筈の御影が、平成23年に開催された「藤原町の仏教文化展」で町内の某寺院から出てきた事は意外であり我が目を疑いました。法物の流転を物語る悲しい出来事です。
さて、聖徳太子といえば誰もが知っている「憲法17条」です。この事について述べたいと思います。(続く・・・・)

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