一冊目は、月刊誌の『大法輪5月号』(840円)。特集は、「知っておきたい浄土真宗の基礎知識」です。「基礎知識」となっていますが、お念仏の流れを頂戴する人ならば、是非とも読んでもらいたい5月号なのです。5月号表紙のタイトルを見れば、浄土真宗の世界が網羅されているのがわかります。特に、親鸞聖人・蓮如上人のみ教えを基本から詳しく説明しているのが特徴です。
勿論、難しく感じる箇所も多々ありますが、それでも浄土真宗とはこのような宗教なのだと理解する為の最適な本の一冊とも思えます。特に、「節談(ふしだん)説教いまむかし」(5月号120頁から121頁)のコラムは、非常に示唆的(しさてき)です。今、浄土真宗のお寺では一部のお寺を除いて、法座等の参加が極めて減少しています。その原因を筆者は次のように分析しています。「明治以降、浄土真宗の布教は、仏教用語や概念を合理的にわかりやすく説明するスタイルが主流であり続け、結果として参詣者の減少の一因を作っていまったのではなかろうか」と指摘されています。つまり、何かが抜けていると言うのです。何が抜けているのか。筆者も、私もその思いは共有のものでした。それは、「情念」であると思うのです。筆者は「心の奥底に共振する情念の布教の世界こそ、必要になってくるのではないか」と分析されています。・・これにつては、詳しく取り上げたいと思います。
2冊目は、週刊誌の『ポストGW合併号』(420円)。特集が、「日本の宗教「カネ」と「実力」」。読まれた人も多い筈です。特に、島田裕巳氏の「人を救えなくなった現代宗教」(44頁から46頁)は、衝撃的な内容。尚、島田裕巳氏は「浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか」(幻冬社新書)の著者でもあります。
特に、以下の文章は仏教界の本質を抉り出していますし、ある意味で我が意を得たりという内容でした、「サービスを充実させることは、一方で宗教のもつ「聖」の部分を衰退させ、「俗」の部分をより色濃くさせる。それはかえって「救い」を求める人々を失望させ、宗教がさらに敬遠される要因にもなる」という文章です。サーブスの充実とは、色々あるでしょうが、「易きに流れる」という事でもあります。それは、守るべき「聖」なる部分を自らが放棄するに等しい行為だと思います。島田裕巳氏の云われる通り、このままでは崩壊の序曲を歩いているようなもの。「聖」なる部分の堅持の中でこそ、最大のピンチは小さなチャンスにもなると私は思っています。これ以外に、進むべき道はない筈です。
勿論、難しく感じる箇所も多々ありますが、それでも浄土真宗とはこのような宗教なのだと理解する為の最適な本の一冊とも思えます。特に、「節談(ふしだん)説教いまむかし」(5月号120頁から121頁)のコラムは、非常に示唆的(しさてき)です。今、浄土真宗のお寺では一部のお寺を除いて、法座等の参加が極めて減少しています。その原因を筆者は次のように分析しています。「明治以降、浄土真宗の布教は、仏教用語や概念を合理的にわかりやすく説明するスタイルが主流であり続け、結果として参詣者の減少の一因を作っていまったのではなかろうか」と指摘されています。つまり、何かが抜けていると言うのです。何が抜けているのか。筆者も、私もその思いは共有のものでした。それは、「情念」であると思うのです。筆者は「心の奥底に共振する情念の布教の世界こそ、必要になってくるのではないか」と分析されています。・・これにつては、詳しく取り上げたいと思います。
2冊目は、週刊誌の『ポストGW合併号』(420円)。特集が、「日本の宗教「カネ」と「実力」」。読まれた人も多い筈です。特に、島田裕巳氏の「人を救えなくなった現代宗教」(44頁から46頁)は、衝撃的な内容。尚、島田裕巳氏は「浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか」(幻冬社新書)の著者でもあります。
特に、以下の文章は仏教界の本質を抉り出していますし、ある意味で我が意を得たりという内容でした、「サービスを充実させることは、一方で宗教のもつ「聖」の部分を衰退させ、「俗」の部分をより色濃くさせる。それはかえって「救い」を求める人々を失望させ、宗教がさらに敬遠される要因にもなる」という文章です。サーブスの充実とは、色々あるでしょうが、「易きに流れる」という事でもあります。それは、守るべき「聖」なる部分を自らが放棄するに等しい行為だと思います。島田裕巳氏の云われる通り、このままでは崩壊の序曲を歩いているようなもの。「聖」なる部分の堅持の中でこそ、最大のピンチは小さなチャンスにもなると私は思っています。これ以外に、進むべき道はない筈です。