明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

承元の法難(弾圧)・・・⑬3人の師匠(ししょう)・・その3

2012-04-27 00:08:14 | Weblog
昨日(4月25日)から珍しく風邪を引きダウン。熱もあるのです。今日は、一日中布団を被っていたかったのですが、そうもいきません。今日は、午後2時から定例法座が開かれる日なのです。本堂修復工事前は、定例法座を開催していた事もありましたが、本堂修復工事に伴い中止。今日は、復活の第1回目。毎月、第4週目の木曜日、午後2時からと決めました。今年一年間のテーマは『親鸞聖人入門』です。しかし、定例法座開催を告げる連絡は地区の掲示板に張り出したのみ。そして、今日はあいにくの雨。しかも、結構降っています。果たして、何人の方が雨のふる中で・・・・と心配していました。
でも、20名近い方が足を運んでいただく事ができました。あり難い事です。
定例法座の時間帯
午後2時・・・・・・・・・勤行(正信偈)
午後2時30分・・・・法話(今日は、聖人誕生から六角堂夢告まで)
午後3時30分・・・・終了(本堂内自由見学)
次回の『親鸞聖人入門の第2回目』は、5月24日(木)午後2時から。参加は自由です。

さて、承元の法難『3人の師匠』・・・その③です。
梅原先生は、法然上人の師匠(ししょう)は「叡空(えいくう)上人ただ一人」と結論付けられました。では、どうして3人の師匠なる通説となったのでしょうか。その背景にあるのは、法然上人を慕うあまりに法然上人の偶像化、聖人(せいじん)化、神格化がもたらしたものと思われます。しかし、これとてなんらかの背景があった筈です。
そのヒントになるのが、親鸞聖人の編集された『西方(さいほう)指南抄(しなんんしょう)』の「源空上人私日記」の次の言葉です。「我が師、肥後(ひごの)阿闍梨(あじゃり)いわく」(真宗聖典・・955頁・・中外出版社版)の箇所です。これは、法然上人が「私の師匠である肥後阿闍梨様がこのように云われた」と訳する事ができます。肥後阿闍梨とは、前回述べましたように皇円上人の事。つまり、法然上人自らが皇円上人の事を、私の師匠であるといわれているのです。これでは、「叡空上人ただ一人」説は成立しない筈です。
写真は、自坊の桃の花。今、咲き誇っています。自坊は、人間も花も全て遅咲き?。

ここの所を、梅原先生は次のように展開されました。・・・続く