鉄道ファン 2018年10月01日 | 京都市電全廃満40年 昭和53年9月30日 京都市電が開業から 66年 「京都電気鉄道」(大正7年6月30日解散)時代を含めて 83年間 走り続けて来た市電が 京都の街から完全に姿を消してしまった そこで今回は「京都市電気局」時代から「京都市交通局」で活躍してきた 全車両をUPしたいと思います 車両のデビュー順ではなく 形式番号の若い順に表示していく事にします 表紙写真は 2600型2610号車 写真:小生保管 文責:小生 0023ー0001
鉄道ファン 2018年10月01日 | 京都市電全廃満40年 1型152号車 1型は 京都市電開業に向け明治45年5月から順次建造され 最多時は169両であった 昭和25年に全車廃車になった 写真下は 廃車になった1型29号車の復元車で「京都梅小路公園」に静態保存中である 写真:小生保存中 文責:小生 0023ー0002 追記:昭和13年 現中国の大連 当時大連都市交通へ10両 長崎電気軌道へ5両 譲渡した記録が残っている
鉄道ファン 2018年10月01日 | 京都市電全廃満40年 写真上 珍しい「貴賓車」で「四条烏丸」交差点を 烏丸線北から四条線東へ左折中の「貴賓車」である 架空複線式時代の交差点は 架線のデッドセクションが目立つ 写真中 「貴賓車」車内の様子 写真下 「貴賓車」は2両製作されたが 使用する事がなくなったのか 一般車に格下げされ 170号・171号の車番が付与され 1型に 仲間入りした 写真は 元「貴賓車」171号車である 写真:小生保存 文責:小生 0023ー0003
鉄道ファン 2018年10月01日 | 京都市電全廃満40年 大正7月7月1日 元「京都電気鉄道」から買収した133両 散水車3両の中の 狭軌1型 N114号車(写真上) 写真中 「京都梅小路公園」で 動態保存中の 狭軌1型27号車である しかしバッテリー駆動に改造され ポールも下ろしたまゝの走行姿は誠に残念である せめてダミーの架線を張ってポールを上げて走らせて欲しかった 写真下 昭和36年7月31日限りで狭軌「北野線」が廃止になってから アメリカ カリフォルニア州ペリスの「オレンジエンパイアー電車博物館」に引き取られ 廃止当時の姿で動態保存活躍中の 狭軌1型19号車である 写真:小生保管 文責:小生 0023ー0004 追記:昭和19年 名古屋市15両 昭和3年 熊本菊池電鉄6両 大正8年 神戸伊藤商事33両 を売却 昭和28年までに 散水車を含む108両が 廃車された事が記録に残っている
鉄道ファン 2018年10月01日 | 京都市電全廃満40年 写真上 昭和9年7月2日 伏見「稲荷線」の「市電と京阪」平面交差で市電1型27号車との追突事故があり27号車は大破廃車となった その代償として「京阪」大津線で使用されていた89号車が入線し180型182号車として使用された車両であるが、ブレーキが「垂直丸型ハンドル手回し」で乗務員から不評であったゝめ 1型と同じ「水平手回しハンドル」ブレーキに改造され運用されていた 写真下 上記182号車の哀れな廃車車体である(九条車庫) 写真:小生保管 文責:小生 0023ー0005
鉄道ファン 2018年10月01日 | 京都市電全廃満40年 「200型」265号車で 4輪単車のエアーブレーキ採用車 昭和2年から順次 93両が建造され 昭和34年廃車になった 乗務員には不評な車両であった 写真:小生保存 文責:小生 0023ー0006
鉄道ファン 2018年10月01日 | 京都市電全廃満40年 「300型」321号車 であり 上記200型と同等の仕様車両であるが 車体周囲は鋼鈑で 上記200型は 木製の細い短冊板仕様車である 大正14年デビューで 50両の建造 昭和34年に廃車 「200型」より早いデビューなのに 「300型」の型番での出番であった 「200型」と同じく不評の車両であったらしい・・・ 「200型」「300型」廃車後 モーター(三菱製)を 狭軌1型「北野線」車両のモーターと交換された 小生は子供の頃に聴き慣れた走行音(力行音)(惰力音)が 違うなぁ・・と感じていた理由に納得した事を覚えている 写真:小生保存 文責:小生 0023ー0007
鉄道ファン 2018年10月01日 | 京都市電全廃満40年 写真上 「500型」537号車 であり 京都市電初の大型ボギー車で 大正13年デビュー40両が建造され 昭和45年「伏見線」廃線と同時に廃車された 京都市電最初のエアーブレーキ採用車で エアーブレーキの信頼が薄かったのか 初期の17両には 「垂直ハンドホイール」の手動ブレーキも付いていた デビュー当時のトピックとして「500型」最終ナンバー540号車の内部を全部取払い(人糞樽)を積んで西江州の農家等へ運んだ記録がある 「東山三条」の市電・京津交差点に「京津線」大津向き線路より「市電」祇園方面線路に渡り線があり こゝから市電540号が「京津線」へ入線して(大津)方面へ運んでいた 京津線(蹴上)あたりから(九条山)方面は66.8パーミルの勾配で よく540号が(肥え樽)を積んで登ったなァと思う 写真下 「514型」515号車で 上の「500型」の 514号・515号・516号・517号 の4両を 当時の「川崎車両」と「汽車会社」の2社で2両ずつ小型ボギー車に改造した車両で 車両番号はそのまゝ引き継がれた この車両が基本になり 後に建造される「600型」で 京都市電のスタイルを確立したのである 写真:小生保存 文責:小生 0023ー0008
鉄道ファン 2018年10月01日 | 京都市電全廃満40年 写真上 昭和12年から戦後間なしの永きにわたり建造されてきた「600型」で95両のデビューであった この「600型」は当時市電として いろんな新機能が採用された車両で初期の頃の607号車である 先ずは「ドアーエンジン」(自動ドアー)・ヘッドライトが文字道りヘッドに付きヘッドライトが点灯したか確認モニター窓が運転台上に・救助網が車体の下に潜り緊急時ペダルを踏むと排除器が車体下に折畳まれ救助網機能が・ドアーに(自動開閉)の文字等 他にもいろいろあるが何よりも京都市民に(青電・・青電)と親しまれた事であった 他車は全車(茶色)であったからである 写真中 この「600型」を昭和41年「ワンマンカー」に改造 型番を「1600型」に改番され「1605号から1667号」の63両が「1600型」ワンマンカーで運用が始まったが昭和51年に順次廃車された 写真は1616号である 写真下 「2600型」この型番車両は 京都市交通局技術員が総出の結晶車両である 「600型」の車両を輪切りにし1メートル車体を延長する工事が施され 後にUPする「2000型」と同等の性能機能に大改造され「2600型」に改番され「2601号から2618号」の18両が誕生した 市電では珍しい(間接非自動総括制御)を採用(連結運転)が可能になり この「2600型」と「2000型」の連結運転が実施された 初期は「2600型」「2000型」は他車と見分けるため(コバルトブルー)カラーで出場したが後に全車が(ワンマン)になり元のカラーに戻された 昭和52年に全車廃車された 写真:小生保存 文責:小生 0023ー0009
鉄道ファン 2018年10月01日 | 京都市電全廃満40年 昭和33年デビューの「700型」で 昭和37年に掛けて48両が建造された この型番車両は他車に比べ(軽量化)が計られ車体高さが約26cm低いため屋根上に 櫓状の台が付けられ その上にZパンダが装備されていた ボディーカラーも他車と違い(薄い草色)で出場した この「700型」には前代未聞のトピックがあった 軽量化の上モーターの出力を60kw×2と他車より大きくしたゝめ 「烏丸線」御所の横 「京都駅」方面走行中 白バイにスピード違反で止められ 一悶着あった この運転手が当時小生と同じ職場にいた(N君)の親父さんであった その為か その後「700型」にスピードメーターが取付けられ 35kmのところに赤線が引いてあったのを記憶している しかし美人薄命か 軽量車両が仇になり ワンマンに改造される事もなく 昭和49年全車廃車になった 参考:701号〜723号 は「直接制御」車 724号〜748号 は「間接自動制御」車 写真:小生保存 文責:小生 0023ー0010
鉄道ファン 2018年10月01日 | 京都市電全廃満40年 写真上 ツーマン時代の「800型」835号車で 昭和31年から順次90両がデビューした形式である この形式より車内照明に蛍光灯が採用されたゝめ 照明用電動発電機が積載された車両である 写真上中 上記「800型」をワンマンカーに改造した車両が「1800型」に改番された 写真は「1800型」1839号車で 昭和53年廃車になった 写真中下 京都市電廃止後 この「1800型」6両を 大阪「阪堺電軌」が購入し「251型」として運用されていた「256号車」元市電当時「1870号車」が京都市電時代のカラーに戻され披露された「256号車」 写真下 「アメリカ アリゾナ州ツートン オールドプエブロ トロリー」に 引取られ活躍している 「255号車」元京都市電「1869号車」である 写真:小生保存 文責:小生 0023ー0011 参考:801号車〜865号車 881号車~890号車 「直接制御車」 866号車~880号車 「間接自動制御車」
鉄道ファン 2018年10月01日 | 京都市電全廃満40年 写真上 昭和30年から32年にかけて35両建造された「900型」で写真は「ツーマン」時代のトップナンバー「901号車」である 性能は上記「800型」に準じているが 窓1個分ボディーが長くなっていて京都市電の中で一番バランスがよくスタイル的にも良くまとまっていたと思う車両である 昭和53年廃車 参考:901号車~915号車 「間接自動制御車」 916号車~935号車 「直接制御車」 写真中 この「900型」をワンマンに改造して「1900型」に改番された車両であり写真は1930号車である 写真下 京都市電廃止後15両を「広島電鉄」へ売却 写真は広島市内で活躍中の元京都市電「1900型」で「広電」でも「1900型」で 写真は「広電」1904車(かも川号)である 尚「広電」では各車に京都の名所等の名称が付与されている 京都市電時代 広島電鉄 名 称 1916号車 1901号車 東 山 1917号車 1902号車 桃 山 1918号車 1903号車 舞 妓 1919号車 1904号車 かも川 1920号車 1905号車 比 叡 1921号車 1906号車 西 陣 1923号車 1907号車 銀 閣 1924号車 1908号車 嵐 山 1925号車 1909号車 清 水 1926号車 1910号車 金 閣 1927号車 1911号車 祇 園 1928号車 1912号車 大文字 1929号車 1913号車 嵯峨野 1930号車 1914号車 平 安 1931号車 1915号車 鞍 馬 写真:小生保存 文責:小生 0023ー0012
鉄道ファン 2018年10月01日 | 京都市電全廃満40年 昭和24年戦後初の京都市電新車がデビューしたのが この「1000型」である 京都市電一番のロングボディーで 約13m80cmで32両が投入され昭和47年全車廃車された この「1000型」の特筆すべきは「京都市営競輪場」が「叡山電鉄」(山端駅)現(宝ヶ池駅)近くに建設 競輪ファン輸送のため 市電東山線(元田中叡電交差)より「叡電線」へ乗入れ線が設けられ この「1000型」が(宝ヶ池駅)までノンストップで活躍した また市電(百万遍)交差点にも(今出川線)西側から(東山線)北側への渡り線も設けられた 尚 長尺ボディーが災いオーバハングの関係から一度も(伏見線)に入線する事なく姿を消していった 写真は(叡山線)を(宝ヶ池)向け疾走する1012号車 写真:小生保存 文責:小生 0023ー0013
鉄道ファン 2018年10月01日 | 京都市電全廃満40年 写真上 昭和39年~40年にかけて京都市電最後の新造車「2000型」6両がデビューし 写真は(2003号車) この「2000型」が京都市電初の「ワンマンカー」として出場 「ツーマンカー」と区別のためコバルトブルーカラーで京都の街を走り出した 朝夕多客時には2両連結で「2600型」との2連でも運用さた車両で そのため「2000型」「2600型」には連結器が出場時から装備されていた 市電では珍しい「間接非自動総括制御車」であった 後に他車全車も「ワンマン」運用になったゝめ京都市電カラーに塗り替えられた しかしメンテが複雑なため市電全廃一足先の昭和52年に廃車になった 写真下 上記「2000型」廃車後「2002号車」~「2006号車」の5両が 四国「伊予鉄」に売却され(松山市内線)で「広軌台車」を「狭軌台車」に改造され 車両番号も京都市電当時のまゝ「2002号「~「2006号」車番で「伊予鉄」カラーで活躍中である 写真は(伊予鉄松山市内線)「2005号車」 写真:小生保存 文責:小生 0023ー0014
鉄道ファン 2018年10月01日 | 京都市電全廃満40年 写真上 「2000型」の(2005号車)+(2006号車)連結運転車で2両共コバルトブルー当時の運用 写真下 「2600型」(2607号車)+「2000型」(車番未確認)の連結運転車で(2607号車)が元のカラーに戻され「2000型」車両がまだワンマンカラーのまゝで塗り戻しの過渡期の頃だったのか・・・ 写真:小生保存 文責:小生 0023ー0015