現在の阪急嵐山駅ホーム、3面2線規模の現風景だが左右に広い余裕が感じられる、それもその筈、昭和3年11月開通「新京阪電気鉄道株式会社」当時は6面5線で「新京阪」全駅中1番大きく、また駅員数もトップの大ターミナルで、駅舎及びホーム上を大きく覆う屋根があっつたが戦時中の金属回収で撤去され現在の姿になってしまった、当然この嵐山線(桂~嵐山4.1Km)も複線路線であった、しかし、思った程客数は伸びず2年後の昭和5年頃には線路は複線のまゝ単線運行に移行、昭和19年頃には使用されてない単線分の線路も金属回収で供出されてしまい、約80年経た今日も単線のまゝである、春秋の行楽シーズンには「梅田」方面から直通の「梅嵐急行」等も運転されたりしていたが、これも今はなくなっている、しかし去年の秋に「神戸線」から「嵐山」行き直通が運転された、通常「嵐山線」は4両編成運転であるが、「嵐山」終点をはじめ途中の「上桂・松尾」両駅のホーム長が6両分しかなく標準編成8両の臨時運行編成車等が入線できないのもネックの一つでは・・・また神戸線及び宝塚線の車両は京都線に入線できるが京都線の車両は神戸線・宝塚線に車幅の関係で入線できない、嵐山線はじめ「阪急」の各支線は古い車両の(おば捨て山)的な感があり、50年以上の永きにわたり活躍し、平成22年1月現在も45両が京都本線でも活躍中の「2300系」が昭和35年電子頭脳テストカーとしてデビュー、一部嵐山線で晩年4両編成で「桂・嵐山」 間を折返し運転で使用されていたが、京都線の特急看板列車として35年間君臨してきた阪急唯一の2ドアー車「6300系」がその役目を終え、車内をリニューアルのうえ4両編成に編成替えされ嵐山線で余生を送っているのが嬉しい限りである、尚、「6300系」の引退後 「阪急」 では初めて 「日立車両」 に発注した新造車 「9300系」 が活躍中である、また、この車両は京都線用ではあるが、神戸線・宝塚線にも入線できるよう車幅を2780㎜と京都線用車両より約100㎜狭い車両となっている
撮影:小生 平成22年1月 001
昭和3年11月開通 「新京阪電気鉄道株式会社」 時代、嵐山駅は当電鉄全駅の中で1番大きな駅で、且つ駅員の数もトップの大ターミナルであった、当時6ホーム5線路もあったが、現在は3面2線路で、しかも当嵐山線は約80年間単線運行である、写真は現在使用されていない大ターミナル時代の改札口である
撮影:小生 平成22年1月 002
撮影:小生 平成22年1月 002
昭和3年11月開通 「新京阪電気鉄道株式会社」 時代、広大な嵐山駅であり当時ホーム6面、5線路の大ターミナルで、現在は 3面2線路で、写真は1番線の西側にもあったホームへの出入り通路跡である
撮影:小生 平成22年1月 003
撮影:小生 平成22年1月 003
昭和3年11月開通 「新京阪電気鉄道株式会社」 時代は広大な嵐山駅で 当時の規模はホーム6面、線路は5線の大ターミナル駅であり、当然複線路線(桂~嵐山)であった、 現在は3面2線、且つ(桂~嵐山)は約80年間単線路線で運行されている、写真は現在は使用されることのない大ターミナル時代名残のホームへの出入り通路である
撮影:小生 平成22年1月 004
撮影:小生 平成22年1月 004
昭和3年11月開通時 「新京阪電気鉄道株式会社」 の広大なホームの嵐山駅があった(当時6面5線) 現在は(3面2線)で,阪急電鉄嵐山駅東側と西側に広大なホーム跡が残っている、写真は東側にあったホーム跡
撮影:小生 平成22年1月 006
昭和3年11月開通 「新京阪電気鉄道株式会社」 時代の広大な面影を残す 現阪急電鉄嵐山線終点 嵐山駅への入線地点、左側のスポーツコート部分も線路が設置されていた、阪急(嵐山第1踏切り)より 嵐山ホーム方を望む
撮影:小生 平成22年1月 007
昭和3年11月開通時 「新京阪電気鉄道株式会社」 時代の広大な面影を残している(現在3面2線)嵐山駅への入線地点、阪急電鉄嵐山駅ホーム先端より、前方、松尾方面を望む
撮影:小生 平成22年1月 008
撮影:小生 平成22年1月 008