わたしの趣味&道楽  久保田 良雄 JA3MVS

ようこそ当ブログへ・・・ 令和2年10月1日

鉄道ファン

2010年07月01日 | 京都市電全廃32年

昭和53年9月30日の京都市電全廃から本年9月30日で満32年になる、本来全廃30年時にブログUPしたかったがタイミングを逃したので今回から数回に亘りUPしていこうと思う、ご存知の方も多いと思うが 「京都市電」は、昭和36年7月31日に惜しまれながら廃止された「京都市電北野線」狭軌の前身「京都電気鉄道株式会社」(高木文平社長)が 明治28年2月1日 日本で始めて電気をエネルギーとした公共交通機関をスタートさせたのが始まりであったが 大正7年7月に京都市に買収された、他線は広軌(1435㎜)に改軌され、また廃止されたが、明治45年6月11日開業の京都市営電車(広軌)が走るようになり、元京電の「北野線」だけは改軌されず狭軌のまゝ廃止されるまで「京電」スタイルで走り続けた、そのため広軌車両「Ⅰ形」と車両番号が重複せぬよう 狭軌車両にナローゲージ(Narrow gauge)のNの頭文字を旧京電車両の番号の前に付与したゝめ 通称「N電」と呼ばれるようになった、その後昭和25年頃広軌Ⅰ形が全廃になり区別する必要がなくなったゝめ 狭軌旧京電の改番が行われNの文字がなくなった、開業時の区間は当時の「七条ステンショ」後の 「京都駅」南側から 伏見線 「油掛」 廃止時の「京橋」までを単線で 架線電圧(DC)直流500V 25馬力モーター1個  シングルポール 定員21名 窓7個のオープンデッキ狭軌(1067㎜) 車長20尺(約7000㎜)であった
   写真:市内線(明治28年4月1日)木屋町線開通記念車 9号車左端の人物は(高木文平社長) 当時の「七条ステンショ」前 後の「京都駅」前   京都新聞発行(京都市電物語)より    001


鉄道ファン

2010年07月01日 | 京都市電全廃32年

京都市電は市電「北野線」狭軌(昭和36年7月31日廃止)の前身「京都電気鉄道株式会社」が 明治28年2月1日「伏見線」から開業させた、写真は開業当時の 「竹田街道城南宮」付近、単線で周囲一面の田園風景で 線路が土に埋まってるように見え 現在ではとても想像出来ない景色である、尚、当時は電車通りで手を上げれば何処でも止めてくれて乗車、また降車もでき電停はなかったのである
   写真:京都新聞発行 「京都市電物語」より   002


鉄道ファン

2010年07月01日 | 京都市電全廃32年

京都市電は、市電「北野線」狭軌(昭和36年7月31日廃止)の前身 「京都電気鉄道株式会社」が 明治28年2月1日「伏見線」から開業させたが、明治35年4月に1等車が2両登場した 2両では不足で2両増備し計4両に増車した、一般車と判別し易いように車体の色はブルーであったと云われている、しかしデビュウーして3年もしないうちに廃止になった、原因は普通車との乗り間違いから車掌と乗客が怒鳴り合いの喧嘩があったり、また明治37年の東洞院車庫 「京電本社車庫」の火事で 1等車2両を含む23両が灰燼と化した為 1等車は廃止となった、せめてもの慰みとして 時の 常宮、周宮 両内親王が乗車された事が記念となった 尚、火災の原因はその後も不明のまゝで 当時「人力車」の全盛時代で「人力車」の車夫は「京電」を目の仇きにしていたので 車夫が「放火したのでは・・・」と京すずめ達の間でもっぱらの噂さであったと云う・・・
   写真:京電1等車の Ⅱ号車  京都新聞発行 「京都市電物語」より     003