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わたしの趣味&道楽  久保田 良雄 JA3MVS

ようこそ当ブログへ・・・ 令和7年3月10日

鉄道ファン

2018年06月01日 | 旧京電買収100周年

今回は 大正7年6月30日付けで「京都電気鉄道株式会社」が「京都市」に買収されてから「100周年」になるのでUPさせてもらう事とした 明治28年2月1日「京都駅」の前身「七条ステーション」南側より 伏見の「竹田街道下油掛け」(後の{京都市電伏見線})間で開業し「京都市電」が走り出した 明治45年6月11日頃までの 17年間程度「京電」は 我が世の春的な時代で 1割程の配当を実施していた しかし 市電が走り出して大正7年に買収される約7年間は 徐々に業績が下がってきた 再三「京都市」からの買収話を 価格等で折り合いがつかず 拒否を続けてきたが やっと買収額425万円と「京電」の社債50万円 計475万円で決着がつき こゝに日本で最初の電気をエネルギーとした公共交通機関「京都電気鉄道株式会社」が 開業より 23年4ヶ月で 解散した しかし「京都市議会」で そんな古い車両や施設・設備等を 高額で買い取る必要があるのか等々 揉めたが 日本で最初の電気鉄道普及に貢献した云々等で可決した 買収車両は 客車:133両 散水車:3両 であった  翌7月1日より念願の買収により「京都市電」の 仲間入りとなり「京都市電」の「1435mm」ゲージ広軌と 旧「京電」の「1067mm」ゲージ狭軌との 2種類の軌道で運用が始まった しかし「京都市」は「旧京電」車両の廃車・売却 路線は 順次 廃線・改軌を実施してきた 昭和36年7月31日の廃止まで「狭軌」のまゝ運行「四条堀川〜四条西洞院」間が「広軌」「狭軌」の3本レールで運行していた「北野線」が 「京電」開業より 66年の歴史であった   更に「京電」に関する内容を多々UPしたいが 長くなるので今回はこの辺で・・・ 写真は市内線開通記念の 明治28年4月1日「平安神宮前」の写真で 一番前の窓に(高木文平社長)次の窓が(大沢善助取締役)他「京電」幹部の人たちの 試乗写真である
        写真:小生保存      文責:小生     012ー001

   追記

① 「京電」は 解散時 645人の社員の内 運輸関係従事者 約450人で 続けて従事したい
   場合 京都市電気局 後の(交通局)に 採用するとの事であったが どの程度が移ったか
   は不明
      
② 「京電」最盛期の 営業路線は 述べ約25キロメートル であった

③ 「京電」最盛期の最大車両保有台数は 大正3年頃の 客車183両 貨車10両 散水車3両
   であった

④  京都市が買収した車両は 上記本文に記した通り 客車133両 散水車3両 であった
     
⑤  狭軌(北野線)全車両の「車両検査票」(製造年月欄)には(大正7年7月「元京電買収車
   両」)の ゴム印が 押されていた

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2018年06月01日 | 旧京電買収100周年

「京都電気鉄道株式会社」開業に関する 新聞記事で 内容は読みにくいが 貴重な資料として UP させてもらった
        資料:小生保存     文責:小生     012ー002


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2018年06月01日 | 旧京電買収100周年

前記と同じく「京電」開業を伝える 新聞記事で 記事内容は判りにくいが 当時は 新聞に写真を載せる技術が確立してなかったゝめ 今で云う イラストマン的な人が 現場に同行して様子を速記していたという
          資料:小生保存      文責:小生     012ー003

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2018年06月01日 | 旧京電買収100周年

京都市に買収されてからの写真であるが 「北野」終点に停車中の(散水車)「N2」号車 である 当時は 電車通りも舗装されてない箇所が多く 走行時に 砂塵が舞いあがるため(散水車)が 必要であった
        写真:小生保存     文責:小生     012ー004

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2018年06月01日 | 旧京電買収100周年

写真では判りにくいが 後ろの白っぽい建物が 当時「官設鉄道」(現JR)の 「七条ステーション」で 現在の「京都駅」より 七条通り寄りに設けられていた 写真は その「七条ステーション」前に停車中の 「京電」車両である  当時 京都の人達は「七条ステーション」のことを (ひっちょステンショ)と 呼んでいた 二代目駅舎から 現在の位置に移り 「京都駅」となった 現在の駅前広場は「七条ステーション」時代の 駅領域であった
        写真:小生保存     文責:小生      012ー005

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2018年06月01日 | 旧京電買収100周年

「堀川中立売り」にあった 珍しい 人力のターンテーブル(転車台)である 当時 堀川端を北行してきた電車が 堀川を斜めに橋梁を架けるスペースが無かったゝめ 直角に(中立売通り)へ向きを変えていたのである  当然まだ 単線時代であった 余談であるが右側広告看板のある家屋に 中立売通りを 東進してきた車両が止まりきれず 再々壊されたゝめ 乗車フリーパスが渡されていたとのことである 因みに 中立売通りは 地形的に堀川に向け 下り勾配であった  戦後この場所で 電車の大事故があったが、それは またの機会にUPしたいと思います
        写真:小生保存      文責:小生     012ー006

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2018年06月01日 | 旧京電買収100周年

「千本中立売り」京都市電と交差点を 「堀川中立売り」方面へ走行の 珍しい ラジアル台車の 京電車両である
         写真:小生保存     文責:小生     012ー007

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2018年06月01日 | 旧京電買収100周年

「北野」終点を「七条ステーション」行きが 灯篭すれすれに 発車して行く 京電車両である 場所は現在の 「一条通り七本松西入る」付近で この少し奥に「北野線」で 最後まで使用されていた 大正3年に創られた「北野車庫」があった場所である
        写真:小生保存      文責:小生      012ー008

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2018年06月01日 | 旧京電買収100周年

大正時代初期 (下立売通り)「府庁」前を(東堀川通り)方向へ向かう「京電」である 条例で 架空単線方式から 架空複線方式に変更直前時代の一葉である  条例では 架空単線方式は レールにマイナス電流が流れるため 地下埋蔵物に障害が出る(水道・ガス管等)ためであった しかし何等影響はなかったゝめ 京都市電では 戦後になって 架空単線式になり(北野線)も 最後に架空単線に戻され 且つ 廃止になるまで ポール集電であった 尚 架線電圧は 開業時は DC(直流)500ボルト 後に 600ボルトになった 因みに 京都市では 「嵐電」・「叡電」が 同じく DC(直流)600ボルトで運用されている その他「京阪」・「阪急」・「近鉄」・「JR在来線」は DC(直流)1,500ボルト 「新幹線」東海道・山陽・九州 は AC(交流)25,000ボルト 60Hz 他「新幹線」は 電圧は同じだが 周波数は 50Hzである 但し「JR在来線」での 交流区間は 電圧 20,000ボルト で 周波数 60Hzと50Hz の箇所がある 
        写真:小生保存      文責:小生        012ー010

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2018年06月01日 | 旧京電買収100周年

京都市に買収後の「京都市電」で 唯一 狭軌線の(北野線)「堀川中立売り」橋梁上の風景である
        写真:小生保存      文責:小生     012ー011

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2018年06月01日 | 旧京電買収100周年

現在の「堀川中立売り」の画像で 中央の少し山なりの コンクリート部分が「京電」時代の 橋梁跡である
         写真:小生撮影      文責:小生      012ー012