わたしの趣味&道楽  久保田 良雄 JA3MVS

ようこそ当ブログへ・・・ 令和2年10月1日

鉄道ファン

2010年01月25日 | 京福電鉄 嵐電

嵐電 嵐山駅 「京福電鉄 嵐山線」
嵐電嵐山駅に暫らくぶりに訪れてみて ホーム南側が綺麗に整備されてスッキリしていたのが気持ちよかった、確か南側にもう1線留置線があったように記憶していたが・・・
 京都市電廃止時、市電が使用していたZパンダ、2000形、2600形廃車時、連結器を譲り受ける等経費を節約して車両の置き換えが行われていった、尚、日本全国で最後までポール集電で運行されていた電気鉄道がこの嵐電である、嵐電は明治43年3月 「嵐山電車軌道株式会社」 として四輪単車、ハンドブレーキ、ポール集電、乗降口にドアなしでスタート、今年3月で100周年を迎えることになり、多方面で経営努力されているのが一鉄ちゃんとして大変頼もしい限りである・・・
     写真:小生    平成22年1月    001


鉄道ファン

2010年01月25日 | 元 愛宕電鉄

嵐電 嵐山駅 「京福電鉄 嵐山線」
嵐電嵐山駅終点より写真前方左側嵐電上り線の白い建物付近から 手前左側へ分岐して旧愛宕電鉄専用ホームへ入線していた、旧愛宕電鉄嵐電嵐山駅を発車して一旦嵐電の上り線に入線し すぐに左へ分岐、カーブし現在の清滝街道(当時は専用軌道単線)を北上 途中 釈迦堂(この駅は畑のど真ん中にポツンと車庫があった)から徐々に上り勾配になり 坂の途中に鳥居本(昭和50年代にはまだ右側山にへばり付いて幅の狭いホーム跡があった)があり、 清滝トンネル(当時鉄道専用トンネル)を抜けたところ左側に終点清滝があった、この清滝駅の基礎コンクリート部分は永い間放置されていた
 余談であるが戦時中この清滝トンネル内に旋盤等を持ち込み戦地必要品を作っていたと先輩より聞いたことがあった、因みにこの愛宕電鉄は昭和19年、軍から不要不急の鉄道と指定され金属供出で廃止、短い歴史を閉じた (昭和4年12月開通・昭和19年12月廃止)
写真は嵐電嵐山駅ホーム東側先端より四条大宮方面を望む
   写真:小生   平成22年1月      002


鉄道ファン

2010年01月25日 | 元 愛宕電鉄

嵐電 嵐山駅 「京福電鉄 嵐山線」
嵐電嵐山駅終点1番線北側 白い物置小屋のところに旧愛宕電鉄(単線)の発着線があった (嵐電嵐山駅から清滝まで、途中釈迦堂・鳥居本の2駅があつた)
使用されていた車両は元「北大阪電気鉄道」の1形を5両譲り受け、パンタグラフ集電からポール集電に改造され使用されていた
   写真:小生   平成22年1月     003


鉄道ファン

2010年01月25日 | 元 愛宕電鉄

嵐電 嵐山駅 「京福電鉄 嵐山駅」
嵐電嵐山駅終点1番線ホーム北側茶色の建物及び白い小屋の場所に旧愛宕電鉄(単線)(嵐電嵐山駅から清滝まで、途中 釈迦堂・鳥居本の2駅があった)の発着線があった、使用車両は元「北大阪電気鉄道」の1形を5両譲り受け、パンタグラフ集電からポール集電に改造され使用されていた
     写真:小生   平成22年1月    004


鉄道ファン

2010年01月25日 | 元 愛宕電鉄
嵐電 嵐山駅 「京福電鉄 嵐山線」
嵐電 嵐山駅終点1番線に停車中の右ホーム右側茶色の建物があるところに旧愛宕電鉄(単線)(嵐電嵐山駅から清滝まで、途中 釈迦堂・鳥居本の2駅があった)の発着線があった、使用車両は元「北大阪電気鉄道」の1形を5両譲り受け、パンタグラフ集電からポール集電に改造して使用されていた
   写真:小生   平成22年1月     005