わたしの趣味&道楽  久保田 良雄 JA3MVS

ようこそ当ブログへ・・・ 令和2年10月1日

鉄道ファン

2016年10月01日 | 京都市電N電廃止55周年

今回は 昭和36年7月31日限りで「京都市電(N電)北野線」が廃止になってから 55周年となり 小生が朝夕の通勤に「堀川中立売り」から「京都駅」間を廃止になるまで利用していたこともあって この「堀川中立売り」電停付近に関する事を 中心にUPすることにします 写真は 「鉄道省」現(JR)時代から 「梅小路貨物駅」ヤード跡の「梅小路公園」内で 動態保存され 休祝日に運行されていた「N電(狭軌)北野線」27号車である なぜ過去形にしたか それは同じ「梅小路貨物ヤード跡」に「京都鉄道博物館」が完成 そのため「N電」運行場所が変更された その時に 動力をポール(DC 直流600V)集電から「リチュウム電池」に変更改造され「バッテリーカー」になってしまった 「鉄ッちゃん」にとって誠に残念であり 魅力を削がれてしまったのである 写真は ポール集電で運行されていた頃の「梅小路公園」の「N電」27号車である
小生が この電車で毎日通勤していた事を話すと「いまどきのお人やおへんなァ」と云われる事がある ふと自分でも こんな電車が他の交通機関と同じ土俵で 活躍していたかと思うと 時代が移ったんだなァと つくずく60余年の 隔世の感を また ノスタルジーにかられる 今日この頃である
        写真:小生撮影      文責:小生      012-01

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2016年10月01日 | 京都市電N電廃止55周年

京都市電北野線廃止直前の「N電北野車庫」内の27号車ほかの車輌群 車庫内 屋根等は 全部撤去され 半分以上線路も外され 8月1日始発からの 新設50号系統の 市バス車庫に変更 明け渡すための工事が始まっていた
この 27号車は 廃止後この「北野車庫」入口の ガラスケースに入れられ 展示されていたが 現在は動態保存され「梅小路公園」内で 動力を リチュウム電池に変更改造され 休祝日のみ運行されている 因みに この「北野線」車両はすべて 大正7年7月1日付けで「京都電気鉄道株式会社」より買収した車両で「京電」時代は(127号) 京都市引継ぎ時(N127号) 京都市電広軌Ⅰ形全廃車時(27号)に改番された車両である
         写真:小生保存       文責:小生      012-02

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2016年10月01日 | 京都市電N電廃止55周年

廃止が決定された N電北野線が 転落事故15年後の「堀川中立売り」専用橋を渡る 北野方面行き 「N電」1号車 である
       写真:小生保存     文責:小生      012-03

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2016年10月01日 | 京都市電N電廃止55周年

昭和21年2月8日 午後11時13分頃 北野線最終電車 京都駅行きが 北野神社前を発車し「千本中立売り」で「千本線」交差点を 通過「中立売通り」を「堀川中立売り」へ 向け東進するが この両電停間は(戦中までは この間2箇所の電停あり)距離があり 更に 地形的に「堀川」向けに 緩い下り勾配 「大宮中立売り」付近で ポールがはずれ そのため 電気ブレーキが効かず そのまゝ満員電車は「堀川」に 転落 木っ端微塵となり 多数の負傷者がでた事故であった 下の写真は 見にくいが 事故の記事が載った新聞である 8日に事故があったのに 10日付けの新聞に載るような時代であった
小生は 翌日(9日)学校から帰ってすぐ 見に行ったが 車両は木っ端微塵 車体に「N123」の 文字が 水流の少ない 堀川に映えていた 川淵の石垣に 竹梯子が掛けられ 救助時に付いたのか 凄い血がそここゝに付着していた記憶があり あの事故から70年が経ったのかと思うと ありきたりの言葉ではあるが 月日の経つのは早いと思う
この事故について 今まで真相は報じられてないが 当時 花街 北野「上七軒」の「歌舞練場」であった「北野歌舞練場」を「進駐軍」に接収され「進駐軍GI」専用の遊び場「北野キャバレー」となり その「GI」達が 北野線最終電車で 今の「関西電力京都支店」ビル も 「進駐軍GI」達の宿舎として接収され「ラクヨーホテル」となり そこまで帰るのに利用していたのである そのキャバレーで酔っぱらった「GI」が 最終電車の運転手を唆して 電車ジャックし ノーブレーキでカーブを曲がりきれず そのまゝ堀川へダイビングした事故であった 当時は「進駐軍」に 楯突くことは 出来なかったのである 余談ではあるが この時期 当時「国鉄」(昭和24年に鉄道省から日本国有鉄道 現在はJR)になった直後から「下山事件」・「松川事件」・「三鷹事件」と 立て続けに 鉄道に関する不審な事件が起きたが これ等も真相は 不明のまゝであった
          資料:小生保存      文責:小生      012-04

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2016年10月01日 | 京都市電N電廃止55周年

戦前 ダブルポールで 一番美しい姿の「N電」(N123号)車で まさか自車が 「堀川」へ 転落 木っ端微塵になる運命になるとは 夢にも思ってなかったであろう・・・   後ろの白い建物は 当時の「堀川高等女学校」で 戦後の学制改革で 新制「堀川高等学校」となり 当時 男子トイレがないと話題になった 現在は「堀川御池」付近に移転された 写真は「四条堀川」向け走行中の「N123」号車
         写真:小生保存       文責:小生      012-05

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2016年10月01日 | 京都市電N電廃止55周年

小生が 50歳を 一つの区切りとして 当時 自宅の近くを走っていた N電(京都市電北野線)について ちょうど 廃止25周年だったので 物心ついた頃から 廃止される 昭和36年7月31日 までを 思いつくまゝに 拙い文章を並べて書いてみた もともと出版するような気持ちはなく 知人・友人に 配るつもりであったが 依頼した製本会社が 出版させてほしいと云うことになり 新聞に載ってしまった こんな粗本でも「京都総合資料館」と「京都府立図書館」より 寄贈願い文書を頂き 寄贈させてもらった  あれから30年が経過し 小生も齢い 80歳 に なり 月日の経つのは早いものと 改めて感じながら UP作業中である
          写真:小生      文責:小生     012-06

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2016年10月01日 | 京都市電N電廃止55周年

上の写真は「京都電気鉄道」時代の 「堀川中立売り」で 単線 直角で方向転換して(西陣・北野)方面へ 専用橋を渡って行く 京都市電買収前の 「京都電気鉄道」時代の 車両である 右奥方に見える煙突は「川島織物」  下の写真は 「中立売通り」を 西から また 堀川通りを 北上して来た電車が ターンテーブルに乗り 手動で方向転換をしていた時代の 風景である
         写真:小生保存       文責:小生       012-08

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2016年10月01日 | 京都市電N電廃止55周年

戦後の風景から あまり変わらない「堀川中立売り」であるが 転落事故後 カーブ手前で一旦停止が義務ずけられた その後 写真では判りにくいが 信号機が設置され 古レールで柵が設けられた この「堀川通り」は 戦時中強制疎開になり 写真電車の左側から「堀川丸太町」まで「堀川京極」があり 当時日常の買い物に利用していた 電車左側の 不気味な建物は 旧「川勝銀行」の 名残りで「堀川京極」の入口に建っていた 因みに 現在の 「堀川通り」「御池通り」「五条通り」等は やはり戦中の強制疎開で 広くなった道路である
        写真:小生撮影      文責:小生      012-09

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2016年10月01日 | 京都市電N電廃止55周年

転落事故のあった「堀川中立売り」 鉄橋のあった現在の風景であり 左側歩道橋は のちに架けられたものであるが この付近に 「中立売通り」から 「堀川通り」への 「専用鉄橋」が 「堀川」を 斜めに架かっていて 正面「中立売通り」から 「電車ジャック」された車両が スピードを出したまゝ 鉄橋を曲がりきれず 「堀川」へ そのまゝダイビングし 車両は木っ端微塵になった  尚 中央の細いコンクリート橋は 「京都電気鉄道」時代 単線で 「西陣」から「北野」方面へ延伸した頃の 橋跡 名残りである
          写真:小生撮影       文責:小生      012-10

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2016年10月01日 | 京都市電N電廃止55周年

「京都鉄道博物館」が 完成と同時に 以前も「京都梅小路公園」内で 土・日・祝日 に 運転されていた 元京都市電N電(北野線)27号車の 運転場所が変更され 同じく休祝日 に 運転されている しかし 動力が 現役時代の DC(直流600V)から (リチュウム電池車)に 改造されてしまい また フートゴング の ペタルも 撤去されていた
恐らく 公園来場者の 安全面 および 経費(電気代)等の 関係であろうと思われるが せめて 無圧の 架線を 設置してもらいたかった
いづれにしても 唯の(バッテリーカー) なってしまったのは残念であり 電車としての 興味が半減してしまった 写真は「鉄道博物館」側 乗り場であり レールが 3線になっているのは 後方の建物の中に 広軌1形車両の 29号車が 保存されているからである 写真下は 「市電広場」側 終点である
         写真:小生撮影     文責:小生      012-11

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2016年10月01日 | 京都市電N電廃止55周年

「梅小路公園」内 N電 「市電広場」方へ 動き出した 電車だが 「リチュウム電池車」に 変更改造され 電車としての興味が 半減してしまった
           写真:小生撮影     文責:小生     012-12