「日経ビジネス オンライン」に遥洋子さんの「男の勘違い、女のすれ違い」が
連載されていて、いつも楽しく読んでいる。
ベストセラーになった「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」の著者の、
遥洋子さんとは、上野さんのご縁で何度かお会いしたことがあるけど、
聡明で、おハダがきれいで、とても素敵な女性です。
で、今日の遥さんの「男の勘違い、女のすれ違い」のテーマは
「自立とは何か?」で、上野さんの講演が紹介されている。
余談だけど、
たぶんこの講演は、9月7日に横浜で開催された
「上野千鶴子講演会 それぞれの居場所で探す「私の自立」
~自立・・・生き延びるために大切なこと」 のことだと思う。
わたしのブログは上野さんのファンが見に来ることが多いので、ということで、
主催者から、是非案内してほしいというメールが届いて、紹介したことがある。
この講演会は、準備段階から、KJ法とか、ユニークなことをしたみたいで、
「ジェンダー論と自立」のブログの記事でも紹介されていた。
で、本題に戻って、
「遥洋子 の 男の勘違い、女のすれ違い 自立とは何か?」。
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遥洋子 の 男の勘違い、女のすれ違い
自立とは何か?
日経ビジネス オンライン 2007年9月14日
“自立とは何か”と、考える機会があった。単純に「経済力がある人」=「自立」で、「経済を誰かに頼る人」=「自立していない人」と割り切っていいものかどうか。現在は働いていて収入もあり、自由に言動し、日々の決断を自らがして生きているつもりの私でも、高齢になり、それらの能力が衰えたら、「自立していない人」といわれるのか。
どうも“自立”とは何を明確に指すのか自信が持てないでいた。
社会学者の上野千鶴子氏の講演に久しぶりに出向いた。“自立とは何か”がテーマだ。そこで、“自立”とは“手段”か“目的”かが問われた。自立には経済面と生活面と精神面がある。自由にできるお金があり、自分ひとりで日常の家事をこなせ、誰かに頼らず生きている、ということだ。しかし、これら3つを網羅している人はなかなかいない。
家事能力のない仕事漬けの男性や、生活力は万全だが夫に依存する女性もいる。これらのコンビは夫婦としてよく成立している。3つの条件を満たすとなると、彼らは夫婦ともに自立していないことになる。
一見、3つの条件を満たすように見えるのがキャリアウーマンだ。たった一人でも生きられる最強の“負け犬”とも呼ばれる。そしてそのひとりが、私、だ。
長年たったひとりで生きていると、たまにだが主婦の友達を重く感じることがあった。まず、「私の車で送っていかなきゃ帰れない」友達。「おごってあげなきゃいけない」友達。「ぐずぐず愚痴を言うわりに問題解決をしない」友達。私は彼女たちは自立していないからそうなるのだろうと単純に理解していた。
講演にむけての参加者意見カードに「自分だけ自立していても、他の友達が自立していないと、結局孤立する」と無記名で書いて提出した。大勢の参加者がそれぞれの意見カードを提出した中から、私のコメントを上野氏は取り上げた。
「自分だけは自立していると明言なさるが、そんなあなたは周りから浮いているはずだ」と上野氏はマイクを握り、そのコメントの主に容赦なく言い放った。もちろん、その主が私であるとは上野氏は知らない。
私は過去数年、上野ゼミというところで上野氏に手厳しく叱られながら女性学を学んだ経緯がある。あまりに叱られるものでそれを著書で出したくらいだ。無記名で出したコメントでも、やはり、私のコメントだけが叱られるのだ…と、ある種、感慨深く、情けなかった。
上野氏は続けた。なんのための自立か。それは目的か。手段か。人が自由に自分のやりたいことをして生きられる、そのための手段として自立があるのではないか。なにも自立のための能力すべてを自らが持っていなくてもいい。誰か持っている人から調達すればいい。まず自分がなにをやりたいかが、はじめに問われる…。
私はとんでもない見当違いをしていたようだ。
私の主婦友達は自立していないのではなく、私という「車を持っている人間から車を調達した」だけだ。あるいはお金を調達し、愚痴の聞き役を調達した。彼女たちはそうやって行きたいレストランに行き、喋りたいことを喋っていた。自立の能力を備えていようがいまいが、彼女たちにはなんら問題ではない。
では、自立の道具を持っているかに見える私は、自立以前の“やりたいこと”が明確にあるだろうか、と自らに問うことが怖い。経済、生活、精神の3つを持っているように見えても、それらを自らのやりたいことのために存分に駆使しているかと。
ふと、周りを見渡すと、せっかくの自立の道具を持ちながら、そこで力尽き果てている人が少なくないことに気づく。そのもったいなさに、私を含め、どれほどの人が気づいているだろうか。
また、仕事を持って経済力があるから自立していると自負する男性諸氏の何人が、好きにやりたいことが出来、生きたいように自由に生きられているだろうか。
自立はトンカチに似ている。持っているからといって、なにも作らなければ、ただのトンカチだ。
(日経ビジネス オンライン 2007年9月14日)
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「自立はトンカチに似ている。持っているからといって、なにも作らなければ、ただのトンカチだ。」にはわらった。
けだし、名言である。
そういえば、昨日は池袋で、
上野さんの「おひとりさまの老後」講演会があったはず。
ほんとは、わたしも行きたかったのだけど、
明日から山形で「市民オンブズ」の全国大会があるし、
その前に、チラシのめどをつけておかないといけないし・・・・
で、あれやこれややっとかないといけない仕事があるので断念。
友人のTさんが行かれると聞いたので、
12月のチラシをもって行くように頼んだ。
上野さんの講演は、なんど聞いてもおもしろいので、
やっぱり無理してでもいけばよかったかなぁ、
と思いながら起きてきたら、
遥さんのエッセイでよめてうれしい。
12月の「む・しネット」上野さん講演会フォーラムのチラシは、
15000枚を刷って、公的施設などへの発送をおおむね終わった。
個人や市民派議員、女性グループなどには、
「さまざまなマイノリティの抱える困難・現状」の特集を組んだ
『む・しの音通信』通信63号に入れて、今月末に送る予定。
次回スタッフ会は、9月議会閉会日の翌日の9月28日(金)。
議員の仕事とプロジェクの掛け持ちスタッフはいそがしい。
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ベストセラーになった「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」の著者の、
遥洋子さんとは、上野さんのご縁で何度かお会いしたことがあるけど、
聡明で、おハダがきれいで、とても素敵な女性です。
で、今日の遥さんの「男の勘違い、女のすれ違い」のテーマは
「自立とは何か?」で、上野さんの講演が紹介されている。
余談だけど、
たぶんこの講演は、9月7日に横浜で開催された
「上野千鶴子講演会 それぞれの居場所で探す「私の自立」
~自立・・・生き延びるために大切なこと」 のことだと思う。
わたしのブログは上野さんのファンが見に来ることが多いので、ということで、
主催者から、是非案内してほしいというメールが届いて、紹介したことがある。
この講演会は、準備段階から、KJ法とか、ユニークなことをしたみたいで、
「ジェンダー論と自立」のブログの記事でも紹介されていた。
で、本題に戻って、
「遥洋子 の 男の勘違い、女のすれ違い 自立とは何か?」。
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遥洋子 の 男の勘違い、女のすれ違い
自立とは何か?
日経ビジネス オンライン 2007年9月14日
“自立とは何か”と、考える機会があった。単純に「経済力がある人」=「自立」で、「経済を誰かに頼る人」=「自立していない人」と割り切っていいものかどうか。現在は働いていて収入もあり、自由に言動し、日々の決断を自らがして生きているつもりの私でも、高齢になり、それらの能力が衰えたら、「自立していない人」といわれるのか。
どうも“自立”とは何を明確に指すのか自信が持てないでいた。
社会学者の上野千鶴子氏の講演に久しぶりに出向いた。“自立とは何か”がテーマだ。そこで、“自立”とは“手段”か“目的”かが問われた。自立には経済面と生活面と精神面がある。自由にできるお金があり、自分ひとりで日常の家事をこなせ、誰かに頼らず生きている、ということだ。しかし、これら3つを網羅している人はなかなかいない。
家事能力のない仕事漬けの男性や、生活力は万全だが夫に依存する女性もいる。これらのコンビは夫婦としてよく成立している。3つの条件を満たすとなると、彼らは夫婦ともに自立していないことになる。
一見、3つの条件を満たすように見えるのがキャリアウーマンだ。たった一人でも生きられる最強の“負け犬”とも呼ばれる。そしてそのひとりが、私、だ。
長年たったひとりで生きていると、たまにだが主婦の友達を重く感じることがあった。まず、「私の車で送っていかなきゃ帰れない」友達。「おごってあげなきゃいけない」友達。「ぐずぐず愚痴を言うわりに問題解決をしない」友達。私は彼女たちは自立していないからそうなるのだろうと単純に理解していた。
講演にむけての参加者意見カードに「自分だけ自立していても、他の友達が自立していないと、結局孤立する」と無記名で書いて提出した。大勢の参加者がそれぞれの意見カードを提出した中から、私のコメントを上野氏は取り上げた。
「自分だけは自立していると明言なさるが、そんなあなたは周りから浮いているはずだ」と上野氏はマイクを握り、そのコメントの主に容赦なく言い放った。もちろん、その主が私であるとは上野氏は知らない。
私は過去数年、上野ゼミというところで上野氏に手厳しく叱られながら女性学を学んだ経緯がある。あまりに叱られるものでそれを著書で出したくらいだ。無記名で出したコメントでも、やはり、私のコメントだけが叱られるのだ…と、ある種、感慨深く、情けなかった。
上野氏は続けた。なんのための自立か。それは目的か。手段か。人が自由に自分のやりたいことをして生きられる、そのための手段として自立があるのではないか。なにも自立のための能力すべてを自らが持っていなくてもいい。誰か持っている人から調達すればいい。まず自分がなにをやりたいかが、はじめに問われる…。
私はとんでもない見当違いをしていたようだ。
私の主婦友達は自立していないのではなく、私という「車を持っている人間から車を調達した」だけだ。あるいはお金を調達し、愚痴の聞き役を調達した。彼女たちはそうやって行きたいレストランに行き、喋りたいことを喋っていた。自立の能力を備えていようがいまいが、彼女たちにはなんら問題ではない。
では、自立の道具を持っているかに見える私は、自立以前の“やりたいこと”が明確にあるだろうか、と自らに問うことが怖い。経済、生活、精神の3つを持っているように見えても、それらを自らのやりたいことのために存分に駆使しているかと。
ふと、周りを見渡すと、せっかくの自立の道具を持ちながら、そこで力尽き果てている人が少なくないことに気づく。そのもったいなさに、私を含め、どれほどの人が気づいているだろうか。
また、仕事を持って経済力があるから自立していると自負する男性諸氏の何人が、好きにやりたいことが出来、生きたいように自由に生きられているだろうか。
自立はトンカチに似ている。持っているからといって、なにも作らなければ、ただのトンカチだ。
(日経ビジネス オンライン 2007年9月14日)
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けだし、名言である。
そういえば、昨日は池袋で、
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上野さんの講演は、なんど聞いてもおもしろいので、
やっぱり無理してでもいけばよかったかなぁ、
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「さまざまなマイノリティの抱える困難・現状」の特集を組んだ
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