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「む・しネット」~女性を議会に 無党派・市民派ネットワークblog

市民自治と市民派女性の政治参加をすすめる「む・しネット」の情報発信ブログ。
4月の統一選には市民派議員をふやしたい!

『む・しの音通信』59号、発行しました。

2007年01月31日 | 『む・しの音通信』
25日から編集作業にはいっていた、
『む・しの音通信』59号、発行しました。
今月号は、「統一選直前~市民型選挙集中セミナー~Part1」。
「勝てる選挙~市民型選挙のノウハウ」の特集。

 

1月のセミナー参加者に、レポートをかねて原稿依頼して、
その原稿を、さらに公選法に触れない言葉に置き換えてもらったもの。

候補者等(選挙に立候補しようとする人)の文書はすべて、
公選法の対象になるので、「事前運動」や「売名行為」にならないように
注意深く文章を書かないといけない。
というテーマで、セッションをしたので、
学んだことを、実地で生かしてもらった、というわけ。

とはいえ、みなさん初稿はとてもはよい出来なんだけど、
「通信」という不特定多数に発信する媒体に掲載する際には
「立候補」とか「選挙」とかは、書けないものだから直すのに四苦八苦。
ここをちゃんと理解していないと、政治活動ニュースも出せないわけで、
伴走するわたしも、つかれましたー。
ぜんぜん理解できてない人もいて、わたし自身の肩の痛みもあって
一時はどうなることかと思ったのですが、
苦労のかいあって、力作ぞろいのよい通信になりました。
「選挙公営」の原稿もけっこう多かったので12ページ立てです。

できあがった通信を、昼ごろ発送スタッフが取りに来てくれて
やっと通信発行の一連の仕事が終わりました(ほっ)。

通信は明日、会員のみなさんのお手元に届くと思います。
こう、ご期待!

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-「産婆」役の立場から-上野 千鶴子『市民派議員になるための本』

2007年01月26日 | 『最新版 市民派議員になるための本』
_________________ 『市民派議員になるための本』のあとがき____________________________
-「産婆」役の立場から-
                      上野 千鶴子
     
 昨年11月に本の企画を立ててからおよそ1年。十月十日月満ちておぎゃあと本が生まれた。書いたのは寺町みどりさん。この人は書ける、書くべきメッセージを持っている、とわたしは確信し、「産婆」役を買って出た。 孕んで産んだのはみどりさん。わたしはそれを手助けしただけ。
 「無党派の風」なんて言うが、どちらを向いて吹いているのか、皆目わからない。長野県の田中康夫と東京都の石原慎太郎がいっしょに扱われるのも、なんだかおかしい。千葉県の堂本暁子に吹いた風と、大阪府の太田房江を押し出した風が同じとも思えない。「無党派って、なあに? わたしにわかるように説明してください」から、本の企画は始まった。
 無党派・市民派はどの議会でも少数派で孤立している。議会のなかには味方がいないが、議会のそとには仲間がいる。政党は新人議員でも守ってくれるが、無党派には市民以外に、だれもうしろだてがいない。そろそろ無党派・市民派の議員たちの経験とノウハウが蓄積され、伝達されていい頃だ。そう思ったら、「む・しネット」のなかには、おどろくべきノウハウが宝の山となって蓄積されていた。
 議員体験記なら他にもあるが、ここまで周到に目配りよく、議員になるまでと議員になってから遭遇するさまざまな課題に、こんせつていねいに応えている本はあるだろうか? 既成政党の議員さんたちが読んでも役に立ちそうなのが、こわいくらいだ。出たいひとにも、出したいひとにも、続けたいひとにも、選びたいひとにも、それぞれに役にたつ、かつてない本だと思う。
 この本をゲラの段階で読んだ市民派議員のひとり、ごとう尚子さんが「本
が売れた数だけ、議会が変わると思います」と感想をくれた。そのフレーズをいただいて、こんなキャッチコピーをつくりたい。
 「この本が売れた数だけ、日本の政治は変わるでしょう。」
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女ならだれでもよいのか?

2007年01月22日 | 『最新版 市民派議員になるための本』
1月20~21日に、選挙直前集中セミナーが終わりました。
このセミナー、参加できる人は、『無党派・市民派の候補者またはスタッフ」だけ。
政党や組織の推薦や応援を受けている人はお断り。
なぜって「女ならだれでもよい」と思ってないから。

「女ならだれでもよいのか?」
わたしは、以下のように考えています。

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『市民派議員になるための本』
(寺町みどり著/上野千鶴子プロデュース/学陽書房)
2-3  女ならだれでもよいのか?

 では、女ならだれでもよいのでしょうか?
 この問いに対するわたしの答えは「女ならだれでもよいわけではない」です。なぜなら「女である」というだけで、手を組む理由がなにも見つからないからです。
 女ならだれでも、「権力指向ではない」のでしょうか。女ならだれでも「権威主義ではない」のでしょうか。女ならだれでも「弱い立場の人を大切にする」のでしょうか。女ならだれでも「ジェンダーの視点がある」のでしょうか。女ならだれでも「ひとを差別しない」のでしょうか。女ならだれでも「環境を大切にする」のでしょうか。女ならだれでも「利益誘導しない」のでしょうか。女ならだれでも「市民自治をめざす」のでしょうか。女ならだれでも「体制を変えたい」のでしょうか。
 わたしの答えはすべて「NO」です。では、男はすべてダメなのでしょうか。前項のすべての答えは、やはり「NO」です。
 女性議員をふやす運動にかかわると、「まず女性がひろく手をつなぎ、女性議員の数をふやそう」そして「女性議員がふえてから質を考えよう」という議論がかならず出てきます。この議論に反対すると、「ココロがせまい」「女の足をひっぱる女のテキ」と言われます。わたしは6年間、女がつながる可能性を運動の現場で模索してきましたが、いまはそこからはなれ「無党派・市民派」でつながる道を選びました。
 ただ女性議員の数だけがふえても、「女性差別を受けいれ容認し、強いものが弱いものを支配する現在の体制に賛成する」「政党に所属し、組織の論理を優先する」女性議員であれば、なにも現状はかわりません。むしろ現体制を補完し、既存の権力構造にはいり、男性議員といっしょに無党派・市民派議員を抑圧する側にまわるだけでしょう。
 政党という制度のなかで政党を変えようとガンバッテいる少数派の女性議員を否定するつもりはありません。また、党派を問わず、ひろく女性議員をふやす運動を否定するものではありませんが、そういう人たちには、まず自分の所属する政党や組織の改革をやっていただきたいものです。
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2-4 無党派・市民派議員になにができるか?
       
 無党派・市民派議員になにができるか、カンタンに整理してみましょう。
 まず議会で、①一般質問をする、②条例案の審議をする、③予算案の審議をする、④決算認定の審査をする、⑤議案について討論し、賛否の意見を表明する、⑥表決により議案に対する賛否の意志を示す、⑦慣例や前例を変え、議会改革をする、⑧政策を提案し、実現する、⑨政策を評価する、⑩請願の紹介議員になる、ことができます。
 自治体(まち)では、①まちに出て市民の声を聞く(情報収集)、②市民に情報(ニュース)を発信する、③市民といっしょに政策を研究する、④情報公開請求する、⑤住民監査請求する、⑥市民運動に参加する、ことができます。
 まちの外では、①情報を収集する、②先進地に学ぶ、③ネットワークをつくり他のまちの議員と交流する、④議員の勉強会に参加する、などがあります。
 無党派・市民派議員は、4年間の議員の任期のうちに、議会や政治の現場で、地域社会で、まちの外で、たくさんのことができます。そのためには、まず選挙で当選しなければなりません。
 第2部からは、「選挙」「議会」「政策」「市民」と、市民型選挙、行政や議会とのかかわり、仲間や市民との関係などについて、ひとつひとつ具体的に、経験とノウハウをお伝えしましょう。
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無党派・市民派議員とは、だれでしょう?

2007年01月19日 | 『最新版 市民派議員になるための本』
明日は「市民型選挙集中セミナー」です。

きのうから、ぞくぞくと課題のレジメが届いていて、対応に追われている。
準備万端、という人はまだ少ないけれど、
それぞれが真剣に、選挙に向けての活動に入るために
ちゃんと課題をこなす姿勢は「市民派」ならではの誠実さ。
テキストは、連載中の『市民派議員になるための本』(寺町みどり著/上野千鶴子プロデュース/学陽書房)。
セミナーでは本に書ききれてないことを主にやるので、
参加者への宿題は「本を読んでくること」。

4年前には、この本だけを読んで当選した、という人を、選挙後に何人かから聞いています。
ということで、本のつづきです。

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『市民派議員になるための本』
(寺町みどり著/上野千鶴子プロデュース/学陽書房)
1‐5 「市民参加」とはいうけれど

 「地方自治の実践は、民主主義の学校であり、民主主義を成功させる最良の保証である」(ジェームズ・ブライス)
 21世紀のいま「行政と市民のパートナーシップを実現しよう」「市民参加をすすめましょう」というかけ声が聞こえてきます。だれが、どこに参加するの? なにかおかしいと、ここまで読んだあなたなら気づくことでしょう。地方自治の本旨から見れば、行政への「市民参加」ではなく、市民の政治に対する「行政参加」というべきでしょう。
 政策を執行している行政は、ほんとうは市民の代行者にすぎないのに、市民に対し権力を行使しています。行政と市民のパートナーシップという口あたりのよい標語のカゲで、行政「権力」とチカラのない「市民」が対等に手をつなげるなどという発想に酔いしれているうちに、市民のエネルギーはガスぬきされ、市民の自治意識はホネぬきにされていくのではないか、とわたしは心配しています。
 それならと、みずからの手で自治をつくりだそうとしているのが、無党派市民派議員です。以下の章では、無党派・市民派議員について、説明しましょう。

《参考》
・James Bryce(1838~1922)法学者・政治家

(コラム)

 市民参加
 「市民参加」とは、市民(住民)が、市民に深い関係のある自治体の政策の立案、審議、意思形成に自発的にかかわることです。じっさいには、行政主導による割り当てや動員など、市民の自発性や自主性によるものでなく、審議会で意見をのべるだけの、意思決定に影響を与えることのないのかかわりが「市民参加」と呼ばれていることが多いようです。 政策形成の過程で、行政職員や専門家だけでなく、ひろく市民の意見や意思を反映させる市民参加型の手法をとっている自治体もあります。
 市町村のような基礎自治体こそ、市民の直接参加を基本とする「直接民主主義型の市民参加」が実現できるのではないでしょうか。
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第2章 無党派・市民派とは・・・        
2-1 無党派・市民派議員とはだれか?

 無党派・市民派議員とは、だれでしょう?
第1に、「市民の政治」を実践し、市民自治をすすめる市民自身です。
第2に、市民と平場でつながり、市民型選挙をする人です。
第3に、政党や組織に所属しない人です。
第4に、市民の視点で議会に立ち、「わたし」の考えで発言し決断する人です。
第5に、だれの代理代弁もせず、直接民主主義を実践する人です。
第6に、弱い立場の市民のためにはたらく人です。
第7に、利益誘導をしないで、公平公正にはたらく人です。
第8に、市民のための政策を提案し、実現する人です。
第9に、現行のシステムや制度をかえる人です。
第10に、差別や暴力のない社会の実現をめざす人です。

最後に、無党派・市民派議員とは、これらを自治体現場で実践するあなたのことです。
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2-2 無党派・市民派議員とはなにか?

 自治体の議員は、選挙でえらばれた「特別職の公務員」です。
 憲法第15条には、「すべて公務員は、全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではない」と定められています。このことは、議員が公平公正にその権限を行使し、利害のあい反する問題や、意見の対立する問題について、一部の人の利害ではなく、市民全体の利益とはなにかという判断をするということです。
 公平公正とはどういう意味でしょう? 市民全体の利益とはなんのことでしょう?
 議員は持っている大きな権力と権限を、どこに行使するのでしょうか?
 「政策」は、市民のすべてにまんべんなく効果をおよぼすわけではなく、特定のだれかに利益をもたらします。いままではそれが既得権を持っている人たちでした。では無党派・市民派議員はどこに立ったらよいのでしょうか?
 強い人と弱い人の利害が対立したとき、強者と弱者が争ったとき、だれから見てもその力の差はあきらかです。大きな力を持つ議員がまんなかに立てば、かならず強者を利することになるでしょう。議員の権限や権力が大きければ大きいほど、絶対的に弱者の立場に立ち、弱者の視点で判断するということが公平公正ということではないでしょうか。
 たいせつなのは、政党や組織に所属せず、数や権力や暴力などを行使する強者の論理を否定し、「わたし」の視点と弱者の論理で政治をすることではないでしょうか。
 わたしが考える無党派・市民派議員とは、強いものが弱いものを統治し抑圧するいまの社会の価値観を否定し、だれもが人間として大切にされ、よりよくくらせる地域社会をつくるためにはたらく「市民の政治家」のことです。
 「ジェンダーの視点を持ち、権力・権威を否定し、現行のシステムや制度を変えたい」と思っている人なら、男女を問わず手を組み、制度を変え、市民自治を実現できるでしょう。でも経験的には、そういう人に女性が多いのも事実です。

《法条文》
・憲法第15条「公務員を選定し及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
②すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。
③公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
④すべて選挙における投票の秘密は、これを冒してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問われない。
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住民自治とはなにか?/「市民の政治」とはなにか?

2007年01月15日 | 『最新版 市民派議員になるための本』
事務局・みどりです。

今日は、『市民派議員になるための本・・・・立候補から再選まで』(寺町みどり著/上野千鶴子プロデュース/学陽書房)の続きを紹介します。

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『市民派議員になるための本・・・・立候補から再選まで』
1-3 住民自治とはなにか?

 おさないころに別れた友と再会したときから、わたしのなかに大きな問いが生まれました。
 住民とはなにか?
 彼女はわたしと同じまちで生まれ、共に笑い、共に泣き、共に遊んだ友でした。30年後、彼女は「わたし指紋押捺を拒否する決心をしたの。みいちゃん、わたしといっしょにきてほしい」と在日コリアンとして本名をなのり、わたしの目の前に立っていました。
 住民とは、「自由な意志を持ち、地域社会でくらすすべてのひとびと」です。外国人も、おとしよりも、子どもも、障がい者も、「住民はひとしく行政サービスを受け、その負担を分担する」と法律に定められています。でも外国人には住民自治の基本の権利である「参政権」はありません。その他の義務はひとしく住民として負っているのに、です。
 参政権とは、諸権利のなかの権利、自分の運命を自分で決める権利のことです。その地域社会に日々くらしている、すべてのひとびとが、自分の運命を自分の意思で決めることができる-それが住民自治ではないでしょうか。

《法条文》
・憲法93条② 「地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏
員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。」
・〔住民の意義及び権利義務〕 地方自治法第10条
・〔住民の選挙権〕 地方自治法第11条

・《外国人の地方選挙権》 「最高裁(最判平7,2,28)は、憲法93条2項の住民は日本国民をいうと説きつつ、地方公共団体と特段に密接な関係を持つ永住者等に選挙権を付与することは憲法上禁止されていないと判示した。なお、憲法93条2項が「国民」ではなく「住民」と規定していることは、許容説を強化する根拠にもなる。」『法律キーワード事典』P38より。
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『市民派議員になるための本』(寺町みどり著/上野千鶴子プロデュース/学陽書房)

1‐4 「市民の政治」とはなにか?

 自治体政治の現場では、利益誘導型の利権政治が横行しています。行政が、住民の福祉や安全や健康を上から与える行政主導の発想で動き、市民を統治し抑圧しています。 
  「市民の政治」とは、代議制の議会の限界を越える、直接民主主義をみずから実践する「市民による自治」にほかなりません。法律は意思決定においても「議会を置かず有権者による町村総会を設けること」を認めています。
 「市民の政治」の実現は、遠くにある目標ではありません。日々の「市民=わたしたち」のくらしの場で実践されるものです。
 憲法と地方自治法がつくられて55年。いくら待っても実現されない「画に描いたモチ」を、もうわたしは待ってはいられません。「市民の自治」は、市民自身が、あなたが、わたしが、いま・ここで、つくっていくしかありません。

《法条文》
〔議会の設置〕 地方自治法第89条
普通地方公共団体に議会を置く。

〔町村総会〕 地方自治法第94条
町村は、条例で、第89条の規定にかかわらず、議会を置かず、選挙権を有する者の総会を設けることがてきる。
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統一選直前~選挙集中セミナー★開催のお知らせ(転送・転載歓迎)

2007年01月09日 | 市民派議員塾・政策研究会/選挙講座
統一選直前~選挙集中セミナー★開催のお知らせ(転送・転載歓迎)

あなたも「市民派議員」になろう!
~勝てる選挙・「市民型選挙」のノウハウ」


「む・しネット」では、今年4月の統一自治体選挙に向けて、
立候補を決めたばかりでまだ準備ができていない人、
準備が遅れている人、準備をしてきて再点検したい人のために、
「統一選直前~選挙集中セミナー」を開催します。

政治の現場で、行政や議会の意思決定に、市民の納得できる政策や意見を反映させること、そのためには、政党や団体に依存しない市民型選挙を行ってこそ役割が果たせます。
そんな市民派議員や首長を増やすための実践的な選挙講座です。
「ジバン・カンバン・カバン」のない(を使わない)市民的なスタンスから立候補して当選するためには、法律や手法をよく知り「政策とイメージを、候補者のメッセージとして、的確かつ効果的に有権者に伝えること」が不可欠です。
4月の選挙本番を控えて、候補者は今から、何をするのか、何が出来るのか、何をしなければいけないのか・・・・
「市民型選挙」のノウハウとスキルを伝えるための2回連続の「選挙集中セミナー」です。
参加を希望される方は、寺町みどりまでお問い合わせください。

★統一選直前~選挙集中セミナー★
~あなたも「市民派議員」になろう!~
勝てる選挙・「市民型選挙」のノウハウ」

★ Part1:1月20日(土)13~20時
★ Part2:2月24日(土)13~20時
★ 【会場】ウイルあいち・視聴覚ルーム
【講師】寺町みどり&ともまさ

講師プロフィール
●寺町みどり :「む・しネット」事務局
 著書に『市民派議員になるための本』(寺町みどり著/上野千鶴子プロデュース/学陽書房)、『市民政治を実現するための本』(上野千鶴子・寺町みどり・ごとう尚子共編著/コモンズ) 
 「みどりの一期一会」http://blog.goo.ne.jp/midorinet002/ 
●寺町知正:岐阜県山県市議会議員
 ・くらし・しぜん・いのち岐阜県民ネットワーク事務局
 「てらまち・ねっと」http://blog.goo.ne.jp/teramachi-t/
《対象》無党派・市民派の立候補予定者およびそのスタッフ
    (新人もしくは現職。政党関係者は除く)

参加費: 会員 5千円・会員外1万円/一講座

主催:「女性を議会に 無党派・市民派ネットワーク」
   (「む・しネット」blog)
お問い合わせおよび連絡先:tel0581-22-4989(寺町みどり)
担当スタッフ・tel0594-31-6641(小川まみ)

●1月と2月の通しでの参加を原則としています。
●参加を希望される方、詳細については、寺町みどりまで、
 必ず電話(tel0581-22-4989)でお問い合わせください。
●会員以外の初参加の方は、申し込みの前に、所定の「誓約書」提出が必要です。

《内容および日程》
★Part1:1月20日(土)13~20時
 「告示日までにすること~政治活動の手法&選挙の準備行為」

13:00~ はじめに (説明および自己紹介)
セッション① 13:15~15:15
     ・選挙の仕方が議員のスタイルを決める
     ・政治活動と選挙運動の違い
     ・「公選法」とは何か? ~違反になること、ならないこと
セッション② 15:30~17:30
     ・政策・公約とはなにか~メッセージをどう届けるか
      /リーフ・ニュースの作り方・配り方
     ・選挙はがきの作り方、使い方
     ・ネット利用の仕方 できること・できないこと
セッション③ 17:45~19:45
     ・当選するために必要な要素 あなたの選挙の現状分析
     ・演説の仕方 話し言葉のメッセージのコツ
まとめ  19:45~20:00

◆オプション講座 1月21日(日)9:00~14:00(希望者のみ) _________________________________________________________________________________________
 
★Part2
2月24日(土)13~20時
「いよいよ選挙。告示日から投票日まで~選挙運動の手法」
 
13:00~ はじめに (説明および自己紹介)
セッション① 13:15~15:15
     ・告示日までに準備すること~選挙の流れを理解する
     ・選挙でできること、できないこと 公選法上の留意点
セッション② 15:30~17:30
     ・選挙チームの考え方 ヒトとモノのうごかし方
     ・当選するために必要な要素 あなたの選挙の現状分析
セッション③ 17:45~19:45
     ・選挙カーの具体的な回し方のコツ
     ・本番の街頭演説の基本とスキル
まとめ  19:45~20:00

◆オプション講座2月25日(日)9:00~14:00(希望者のみ)
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●【選挙オプション講座】
いずれも翌日曜日は、集中セミナー参加者のための【選挙オプション講座】。
立候補予定者およびスタッフが個別の選挙で抱えている問題について、
具体的にアドバイスします。
★前日のセミナーに参加した人なら、だれでも参加できます。
★参加を希望される方は、担当スタッフの小川まみさんまで連絡してください。
★参加者は、個別の選挙で解決したい問題を、事前に課題として提出。


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「私の市民論」/『市民派議員になるための本』1‐2「市民」とはだれか?

2007年01月08日 | 『最新版 市民派議員になるための本』
今日は一昨日のスタッフ会で概要を決めた「選挙直前講座」の打ち合わせを、午後からつれあいと二人でしています。
内容を詰めたら参加者にお知らせして、webにアップしてPR。
明日にはマスコミにもお知らせして広報を始めます。

『市民派議員になるための本』は、市民自治を考える上での原点ともいえる「市民だれか?」。
わたしの「市民」の考え方は・・・・迷ったとき、常に原点に立ち戻って考えるとき、一貫してこの考え方を通しています。
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『市民派議員になるための本』
(寺町みどり著/上野千鶴子プロデュース/学陽書房)1‐2 「市民」とはだれか?

 あなたは、市民ですか? 住民ですか? どう呼ばれたいですか。
 「市民」というと、主体的な意思を持つ住民、という意味のように聞こえます。法律には、市民という言葉は出てきません。「住民自治」「住民監査請求」「住民及び滞在者」「住民の意義」すべて住民と書いてあります。
 「自治」が住民自治であることを考えれば、「市民」は「わたしのことは、わたしが決める」ひとびとのすべてをいうはずです。
 自治体の当事者はすべてのわたし。
 この本では「わたしのことは、わたしが決めたい」すべてのひとびとを、「市民」と呼ぶことにします。

《参考文献》
『超入門 地方自治制度はこうなっている』今井照著・学陽書房
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『市民派議員になるための本』のなかの、この「市民とはだれか?」は短いけれど、市民自治を考える人たちの間で話題になりました。
そのなかで、「市民とは」という問いについて、2004年に『Volo』4月号「私の市民論」(大阪ボランティア協会)に以下の文章を書きました。
「私の市民論」は各界の「著名人」による連載で、『Volo』10月号に書いた上野さんから、「著名人」でもないわたしにと指名されたものです(笑)。

わたしが「市民」をどのように考えてきたか、わたしの原点とも言える経験を、あわせて読んでみてください。
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個人的なわたしの、市民「論」
                     寺町みどり

●アリシアさんとハルちゃんのこと
 「妊娠8カ月の外国人女性と3歳の男の子が路頭に迷っている。岐阜県に住んでいた人だけど、受けいれ先を探してもらえないだろうか?」
 3年前の7月、アジア女性を支援する活動をしている友人から電話があった。
「ほんとにどこにも行く所はないの?」 アリシアさんとハルちゃんという名の母子は、パスポートもビサもお金もなく、もう何日もロクに食べていないという。ハルちゃんは日本人を父とする無国籍児だった。わたしは迷わず母子を受け入れることに決めた。翌日、わが家にやってきたふたりは疲れはて、ハルちゃんはやせておびえた目をしていた。8カ月と聞いていたが、知人の助産婦さんに診てもらうと「もういつ産まれてもおかしくない」という。紹介してもらった公立病院の女医さんは、アリシアさんの事情を了解した上で、「この状態で断ったらどこにも行くところがないでしょう。ここで産んでください」と言われた。
 平行してメールやファクスで友人や知人にカンパや生活用品の支援を頼んだ。 ハルちゃんは、日一日と元気になった。笑顔のかわいい男の子だった。ハルちゃんは、県女性相談センターに頼み込んで「緊急保護」ということで、出産がすむまで預かってもらえることになった。「超法規的」な唯一の措置。最初に相談した県庁の責任者は「どんなケースにも対応します」と言っていたけれど、けっきょく公的支援、扶助、措置も含めて、救済する制度が何もないと回答を受けていた。町役場や警察にも相談したが、法律も条例も皆無。法の谷間にいる彼女たちはそもそも、いまここに、いないはずの存在だった。
 どこへ相談に行っても「母子はきわめて幸運なケース」と言われた。
 じょうだんじゃない。他の無権利状態の人たちは、どこでどのように暮らしているのか。外国人を生かさず殺さずはたらかせ、法的に存在しない人たちに支えられて成り立っているわたしたちの社会。あまりに冷たい法制度やシステムの不備こそ、大きな問題だと、わたしは憤りを感じていた。
 8月、赤ちゃんはぶじ産まれた。解決できない問題は山積していて先は見えなかったが、ひとりひとりが少しずつできる力を出しあって、彼女たちを「いまここで」支えた。9月、たくさんの人の善意に支えられて3人は国に帰って行った。迎えが来るまで、彼女とわたしは抱きあってすごした。「ずっとここにいたい」という彼女を「またいつか会おうね」と送った。ハルちゃんの笑顔がまぶしかった。わたしは彼女を救おうと思ったけれど、救われていたのは、わたしだった。

●「無党派・市民派とはなにか?」-上野さんへの手紙
 同じ夏、上野千鶴子さんが、ひょんなことからわが家にあらわれた。その夜、上野さんに「無党派・市民派ってなあに? わたしにわかるように伝えて」と問われたが答えられなかった。数日後、とりあえずお返事を書いた。
 「わたしは5歳のとき、社宅でエリちゃんという友人と遊んでいて、日本人の友に取り囲まれ『ちょーせんかえれ!』と石をぶつけられた。男の子も女の子もいて、悲しいことにみんなわたしの友だちだった。わたしはえエリちゃんをとっさにかばい、あちこちから飛んできた石はわたしの背中に当たった。もろともに差別され、怒りにふるえ、でもわたしたちから投げ返す石も、投げ返すどんな言葉もなかった。わたしたちはただ抱きあってじっと耐えていた。・・・・・・
 そのときわたしは石を投げる側にはけっして立たないと思ったにちがいありません。なぜなら、わたしはこの記憶を忘れてしまったけれど、強い側、差別する側にはけっして立たないという一念だけは、なぜか忘れませんでした。今日までのわたしの生きかたや、市民運動は、すべて弱者の側から強者の側に発する問いであり、投げかけであり、異議申し立てでした。わたしは力を持たない弱者のまま、十全に生きようとすることにより、強者の論理を突き返してきました。
・・・・・・『無党派・市民派』は、女たちが暮らすそれぞれの場でかたちをかえ、拡散し、とてもひとつにはくくりきれません。しいていえば、力を持たない『弱者の論理でする政治』でしょうか。
 わたしたちの、政治のかかわり方が新しいのは、利権や既得権を持つことを望ま
ず、ただ弱い立場の人に共感し、当事者としてその思いを実現したいと働いていることです。わたしたちは、議会で地域で、強者の論理をまずつきくずし、弱者の論理を、ゆずらず主張します。わたし自身は、<権力・権威>にかわる、新たなどんな<ちから>もほしくありません。とりあえずいまある権力を、強者の論理を、生きているあらゆる場面で<無化>していきたい。その先にあるものは、少なくともいまよりはフラットな、いまよりはましなものではないでしょうか。
・・・・・・わたしは人生をかけて、ぶつけられた石に対して石を投げ返すのではない、やられたらやり返すのではない、弱者が投げかえすことのできる言葉を探しています。わたしはいまの政治の、すべての強者の既得権を疑い異義を申し立て、支配され差別される側からの『弱者の政治』をつくりたい。」と。

 ●「わたしのことはわたしが決めたい」すべての人が市民
 わたしは、家族から「いらない子」と言われ、存在を否定されて育った。たったひとりの友人だったエリちゃんとは幼いころに引き裂かれるように別れた。アリシアさんとハルちゃんは、たしかに存在し、わたしといっしょに暮らした。3年前の夏、わたしは、自分の子ども時代を思い、在日のエリちゃんを思い、アリシアさんと子どもたちのことを思い、市民ってなんだろうと考えつづけた。
 その年の12月、わたしは一冊の本を書いた。上野千鶴子さんプロデュースの『市民派議員になるための本』(学陽書房・2002)。この本のなかで「市民とはだれか?」という問いに、わたしはこう答えている。
 「自治体の当事者は、すべてのわたし。この本では『わたしのことはわたしが決めたい』すべてのひとびとを『市民』と呼ぶことにします。」
 幼かったわたしも、エリちゃんも、アリシアさんもハルちゃんも、みんな「市民」だ。彼女とわたしをわけたものはなんだったんだろう。彼らとわたしをわけたものは、なんだったんだろう。
 わたしはいま、2冊目の本を書いている。『市民派政治を実現するための本-わたしのことはわたしが決める』(発行:コモンズ)。この4月刊行予定で、上野千鶴子さんとごとう尚子さんとの共編著である。「市民派政治」は、わたしが問いつづけたものへの、ひとつの答えのような気がする。
 ひとの唯一のお仕事は、ただ「生きる」ことだと思う。人を人として生きさせない政治があるなら、変えるべきは、人ではなく政治である。
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この「私の市民論」を読んで、上野さんは、その直後に出した『ことばは届くか―韓日フェミニスト往復書簡』(上野千鶴子,趙韓惠浄著・佐々木典子,金賛鎬訳/岩波書店)の「往復書簡を終えて」のなかで、わたしの2冊の本とこの記事を紹介してくださっています。

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・・・・・・ わたしがこんなことを言うのも、このところ、自治や市民権などの問題に、関心を持っているからです。福祉の問題に関心を持ってからは、「上野さん、最近は女のことは放りだして、高齢者の問題に夢中なんだって」、と言われましたし、市民自治の本を出してからは、「畑違いのあなたがなぜ」、と聞かれました。わたしにとっては、あれもこれも、ひとつながりのものです。「女の問題」から遠ざかったわけではありません。むしろ「女の問題」をほりさげていけば、出会うべくして出会った主題だった、とわたしには思えます。
 障害者を施設から地域へ、と運動してきた障害者自立生活運動のカリスマ的リーダーである中西正治さんと共著で出した本のタイトルは、『当事者主権』(岩波新書、2003年)と言います。最近出した地方自治についての共編著、『市民派政治を実現するための本』(上野千鶴子・寺町みどり・ごとう尚子、コモンズ、2004年)の副題には、「わたしのことはわたしが決める」とあります。もちろん、この当事者による「自己決定」は、ネオリベラリズムのいう、「自己決定・自己責任」とは何の関係もありません。
 思えば、フェミニズムって、「わたしが女であることは、わたしが決める。ほかの誰にも決められたくない」という弱者の自己定義権の要求ではなかったでしょうか。
「ブスは女でない」から始まって、「やさしくなければ女でない」「たばこを吸うのは女らしくない」「論理的な女は女じゃない」果ては「男に選ばれないおまえは女じゃない」まで。要するに「女らしさ」の定義は男の手中にあったのです。よくもまあ、ぬけぬけとこれほどまでに自分につごうのいい「女らしさ」を吹きこんできたものだ、と感心します。だからこそ、「男に選ばれても選ばれなくても、わたしはわたし」とフェミニストは言ってきたのですし、そこから「他人に存在証明してもらわなくても、わたしはわたし」まであと一歩でしょう。
 地方自治の本は、寺町みどり著『市民派議員になるための本』(学陽書房、2002年)の続編といってよい本で、著者は岐阜県の山間にある人口19000人の小さな町で無党派・市民派の議員を経験したあと、ひとりでも多くの市民派女性議員を増やそうと、ネットワークをつくって活躍している女性です。前著はこれから議員になりたい人のために、次の本は、議員になってしまった人のために、書かれました。日本の地方政治の舞台でも、「ひとりでも多くの女を政治に」という段階から、「議員になっていかに闘うか」「議会で何を実現するか」へと問いがステップアップしてきているのです。
 みどりさんは、無農薬の農産物を直接消費者に届ける専業農家でした。今や崩壊状態にある日本の農業も、こうやれば立て直すことができるということを、現場で実践してきました。農薬を使わず、環境にやさしい農業を学びにくる農業研修生を受け入れてきたこともあります。
 市民派議員って、もっと都市部の意識の高いところじゃなきゃ、支持者がいないわ、という人がいますが、彼女と彼女につながる人たちは、日本でももっとも保守的な地方の、人口規模の小さな自治体で、小さな変化をまきおこしています。そういえば、前にお話しした介護サービスを供給する福祉市民事業体の人たちも、九州という男尊女卑の伝統のねづよい保守的な土地の、中小の地方都市でがんばっている女性たちでした。彼女たちはこう言ったものです。「首都圏でできることは、首都圏でしかできない。でも、わたしたちがここでできることは、日本中どこでもできるはずだ。」なんていう殺し文句だったことでしょう。わたしはこれにころりと参って、まる3年間を、彼女たちとつきあったのですけれどね。
 そのみどりさんが「市民派政治って何?」と聞かれて、こう答えた文章があります。そのタイトルは「私の市民論」(『Volo』4号、2004年、大阪ボランティア協会)。
 「・・・わたしは5歳のとき、えりちゃんと遊んでいて、社宅の中で日本人の友に取り囲まれ『ちょーせんかえれ!』と石をぶつけられた。男の子も女の子もいて、悲しいことにみんなわたしの友だちだった。わたしはえりちゃんをとっさにかばい、あちこちから飛んできた石はわたしの背中に当たった。もろともに差別され、怒りにふるえ、でもわたしたちから投げ返す石も、投げ返すどんな言葉もなかった。わたしたちはただ抱き合ってじっと耐えていました。」
 在日の友だちとの交流が、彼女の原体験でした。そこにいるのに「市民」として権利さえ持てない人々。
 彼女のつくりたい「政治」は、次のようなものです。
「わたしは人生をかけて、ぶつけられた石に対して石を投げ返すのではない、やられたらやり返すのではない、弱者が投げかえすことのできる言葉を探しています。わたしはいまの政治の、すべての強者の既得権を疑い異義を申し立て、支配され差別される側からの『弱者の政治』をつくりたい、と。」
               *
 「当事者主権」って、英語でなんて訳せばいいの?と聞かれて、そうね、selfgovernanceじゃないかしら、と答えました。「自己統治」とも訳せるこの語は、もちろん地方自治の「当事者」は市民であり、自治とは市民による自己統治である、という考え方と結びつきます。それに「主権sovereignty 」といういささか強いことばを与えたのは、「わたし」の運命を決める権利を、わたし以外のだれにも_夫にも親にも、国家にも支配者にも_委ねない、という立場を鮮明にしたかったからです。
 20世紀のように、国家が個人の運命_のみならず生命までも_を翻弄してきた時代を過ごしたあとには、国民主権_しばしば以上に「国家主権」と誤解されますけどね_ということばすら、じゅうぶんではないように思えます。もとはといえば、国民主権ということばこそ、君主が臣民の運命を自由に決める「君主主権」に対抗して、個人を守るためのものだったはずなのですけれど。21世紀の現在(いま)になっても、イラク人だというだけで爆撃を受け、アメリカ人だというだけで殺害され、日本人だというだけで人質になる。お互い個人的にはなんの憎しみも持たない人々が、国家に翻弄されて殺したり、殺されたりしています。まさか21世紀にもなって、こんなむきだしの暴力が吹き荒れる野蛮な時代に立ち会うとは、夢にも思っていませんでした。・・・・・・・・・・・・・・・・・
(『ことばは届くか―韓日フェミニスト往復書簡』P208~212より)
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この本、とってもよい本です。
長くなりましたが、興味のある方は、ぜひあわせてお読みください。


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『市民派議員になるための本』1-1自治とはなにか?

2007年01月07日 | 『最新版 市民派議員になるための本』
『市民派議員になるための本』、先日から連載していますが、今日からいよいよ本文です。
選挙に出たいと思っている人の目に留まって、1月と2月の選挙直前講座に出てもらって、めでたく当選・・・となるといいんだけどね。

まずは、第一部の「自治」編「1-1 自治とはなにか?」です。

1節ずつの文章は短いのですが、基本のき、いわゆる「理論」編にあたる部分です。
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『市民派議員になるための本』(寺町みどり著/上野千鶴子プロデュース/学陽書房第一部 自治
第1章 自治とは・・・

1-1 自治とはなにか?

 まずはじめに、基本のキからおさえておきましょう。でないとなんのために「政治」にかかわるのか、とりちがえることになりかねません。
 自治ってなに? 自治体ってなに? 政治ってなに? 意外とみなさん知らないものです。あなたもきっと、ヘェーって思うことでしょう。
 「自治」とは、「みずからの自由意志に基づき、自由に行為を行うこと」です。
 「自治体」とは、ものごとを決めるシステムのある地域社会のこと、そこで日々くらすひとびとの集団です。「役所は自治体の事務所」と法律に書いてあります。「みずから」とは、あなたのことであり、わたしのことです。
 当事者はわたし。
 「わたしのまちのことは、わたしが決める」。目からウロコ、でした。

《法条文》
・憲法第92条「地方公共団体の組織および運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、これを定める。」
・〔この法律の目的〕 地方自治法第1条
・〔地方公共団体の事務所の設置又は変更〕 地方自治法第4条
《参考》
「地方自治の本旨」とは→地方自治の本旨とはなにか明文された規定はないが、「国から独立した地方公共団体がその判断と責任で行う団体自治と、その事務の処理や事業の実施を住民の意思に基づいて行う住民自治の二つの要素がともに満たされることが必要である。団体自治は地方分権の原理を示し、住民自治は民主主義の精神をあらわすものと考えられるが、一般的には住民自治が地方自治の本質的要素であり、団体自治はその法制的要素である。(『議員必携』より)」といわれている。
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『市民派議員になるための本』はじめに

2007年01月06日 | メディア/ほんetc
今日は、岐阜市文化センターで、「む・しネット」のスタッフ会。
選挙講座のことと通信59号の発行について話し合いました。
市民派議員を増やしたいから講座を企画するんだけど、必要な情報がニーズのある人になかなか届かないのが悩みですね。
とりあえず、選挙講座については、7月のシンポの参加者と、コンタクトをとってくれた人たちにお知らせすることにしました。

ところで、1月3日から、
『市民派議員になるための本・・・・立候補から再選まで・・・』(寺町みどり著/プロデュース・上野千鶴子/学陽書房)の連載をはじめました。
女性の政治参加や議会のことを考えているたくさんの人の眼に触れたほうがよいので、一日遅れで、「む・しネット」ブログにも載せていきます。
通しで読みたい方はこちらへ

この本を書いてから、5年経ちます。

その間に、市町村合併がすすみ、国は小泉政権から安倍政権へと
いっそう右傾化しています。
「国」を重視し基本とする政策は、当然に地域社会の一人ひとりの
「ひと」を見捨てることになり、弱者切捨ての政治手法は、
子どもやお年より、しょうがいしゃ者など、いちばん弱い市民を直撃しています。
合併したらバラ色のはずだったのに、国からの合併特例債は数年で打ち切られ、
甘いことばはウソだったと気づいたころには、どの自治体も
厳しい財政状況に追い込まれていきます。そんな流動的な政治状況は、
市民派候補者にとって、不利なことばかりではありません。
既得権を持つ議員たちも、いままでのように地域密着の
利益誘導型選挙ができにくくなりました。
「ピンチはチャンス」。
今の政治状況に不安を感じている市民はたくさんいますし、
このままでよいと思っている人ばかりではありません。
「政治を変えたい」市民にダイレクトに実現したい政策やメッセージを届ける
市民型選挙は、手法さえ身につければ、だれにでもできます。
これから毎日ひとつずつ、わたしからあなたにメッセージを届けます。
                                   
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はじめに

 -わたしの趣味は、「政治」です。-
 エッとおどろくあなたは、「政治」のオモシロサを、きっとまだ知らないのでしょう。 わたしも以前は、政治も選挙も大キライでした。だから政治ギライの人の気持ちがわかります。コリ性だけどあきっぽいわたしが、「政治」の市民運動に10年もかかわって、生まれてはじめて本まで書いているのですから、“好きこそものの上手なれ”です。 政治の現場でつぎつぎにぶつかる問いに、さまざまな出会いのなかで、感じ、かんがえ、わたしなりの答えを見つけながら手さぐりで今日まで歩いてきました。そのみちすじをあなたと共にたどりたいと思います。
 わたしは1991年9月、岐阜市の北隣の人口19000人の小さなまち、高富町の議会議員に当選しました。立候補すると決心し、わたしのやりたい市民型選挙に取りくみ、当選してからは、初議会、議会での質疑・討論・採決、一般質問と、未知の経験ばかりで、セクハラにも遭遇しました。
 この本には、はじめて議員になる人が、じっさいに選挙や議会でつぎつぎに出会う経験を、立候補から再選まで時系列にそって、できるだけわかりやすく書きました。
 この本を読んで、「わたしもやってみよう」とあなたに思ってもらいたい-それがわたしの願いです。
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『む・しの音通信』58号をHPにアップしました。

2007年01月04日 | 『む・しの音通信』
事務局・みどりです。

11月25日に発行した『む・しの音通信』58号を
「みどりのwebページ」にアップしました。

★トップページ
★『む・しの音通信』のページ
★新着情報のページ

福井事件の特集と選挙講座の記事もあり、読みごたえがある号なので、もっと早く更新したかったのですが、前のPCのホームページビルダーに書いた記事が取り出せず、起動もできないので、あきらめかけていました。
そこで、ともちゃんの出番。
ネットワークコンピューターで、今までの記事を全部コピーして移動してもらいました。
エッ、こんなにに簡単なの・・・・と思うほど。

「寺町みどりのブログ」(エキサイトブログ) では、
『市民派議員になるための本・・・・立候補から再選まで・・・』(寺町みどり著/プロデュース・上野千鶴子/ 発行 学陽書房)の『勝てる選挙』編の連載もはじめました。
一日、ひとつずつ掲載していく予定です。

市民自治や市民型選挙に関心のある方は、こちらもぜひ併せてご覧ください。


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公的な手続きと手法を駆使して「福井発・焚書坑儒事件」でたたかう/寺町みどり

2007年01月03日 | 『む・しの音通信』
みなさま

あけましておめでとうございます。

ずっと更新をサボっていたのですが、2007年の初アップ。
今年は2007統一自治体選挙の年。
遅れてきた人のための「市民型選挙直前講座」も、1月と2月に予定しています。


『む・しの音通信』58号は、福井「焚書坑儒」<特集>。
ブログに順次アップしているのですが、女たちの未来 明日へのメッセージ~上野千鶴子さん発「闘って得たものは闘って守り抜く」に続いて『インパクション』154号の特集《反撃するフェミニズム》にから転載したわたしの記事です。

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公的な手続きと手法を駆使して
       「福井発・焚書坑儒事件」でたたかう
                       寺町みどり

 5月1日「ジェンダー関連の図書約150冊が『福井県生活学習館』の書架から排除された」という情報が飛びこんできた。「ひとごとではない」と強いいきどおりを感じた。
 著書10数冊が排除本に入っているとされた上野千鶴子さんからもメールが届き、福井県敦賀市議の今大地はるみさんと、行政手続きに詳しいつれあいの知正さんと対応を相談した。療養中の今大地さんは「問題をみすごすことはできない」と抗議行動を起こす決意をしていた。わたしは、彼女と行動をともにすると心に決めた。
 5月2日、まずは事実関係をおさえようと、「図書排除に関連するすべての文書」を情報公開請求した。同時に、当面の目標を「図書を書架に戻させる」と定めた。そうとなれば話しは早い。「住民監査請求と抗議文」提出のダブルアクションを起こすため賛同者を呼びかけた。
 5月11日、今大地さんが福井県に対して「住民監査請求」と「抗議文」(2団体44名)を提出した。「図書代金の全額返還もしくは書架への復帰」を求めた監査請求は職員にはかなりのショックのはず。これで図書は戻るだろうと思っていたら「本は元に戻す方針」と翌日の新聞に載った。わたしたちが行動を起こさなければ、図書はひそかに処分されていただろう。5月16日、図書はぶじ書架に戻った。
 5月18日、わたしたちの抗議文に対し、福井県知事から「個人に対する誹謗中傷や他人の人権の侵害等公益を著しく阻害するような内容がないかなど再確認を行いましたが、著者の思想的、宗教的、政治的活動について確認したわけではありません。・・・現在は、当該図書の確認作業を終了し、全ての書籍を元の書架に戻しております。・・・」と図書の排除を正当化する回答が文書で届いた。一連の「公権力の検査=本の内容を確認する行為」自体が、憲法で禁止されている「検閲」にあたる。図書の排除は、思想・表現の自由の侵害である。
 公文書の公開決定は1カ月延期され、6月16日、404枚の公文書が届いた。内訳は「書籍リスト」は「非公開」。意思決定文書や検討文書などはすべて「不存在」。「不存在は納得できない」と抗議すると、「文書はある」という。書籍リストの「非公開」も取り消され、「一部公開決定通知書」と経過が分かる公文書10枚、「黒塗りリスト」5枚が届いた。当事者の上野さんにも150冊の図書リストの非公開を伝え、訴訟を前提に4人の連名で呼びかけて、6月26日、著者や編集者、議員など21人で「約150冊の書籍リスト」を情報公開請求した。
 7月7日、「書籍リスト」は「黒塗り」で公開された。(公開しない理由)は、「公にすることにより、個人の権利利益を害するおそれがあるため」「公にすることにより、事業を営む個人の権利、競争上の地位その他正当な利益を害するおそれがあるため」。非公開は著者の権利を侵害する。決定を不服とするわたしたちは訴訟の準備をはじめた。
 7月27日、図書リストの公開を求めて「情報非公開処分取消訴訟」を、1カ月後の8月26日に提起することを公表した。原告は上野千鶴子さんを代表とする20人。
 8月11日、福井県からとつぜん電話があり「153冊の図書リストを公開する」という。リストは、当事者の請求人に公開する前に公表する予定というので強く抗議。福井県の唐突でイレギュラーな処分変更に対し、即日「抗議文」と「公開質問状」を送付した。「153冊の図書リスト」が公開された時点で、勝てると確信していた提訴は「まぼろしの訴訟」となった。処分の違法性を、司法の場で争えなかったのは残念だが「所期の目的は達成できた」。変更理由は、本来なら「県の条例解釈に間違いがあったから非公開処分を取り消す」となるはずだが、理由はうやむや。訴訟を回避したいというのが本音だったのだろう。
 集会前日の8月25日午後、福井県から、公開質問状の回答と、37冊のあらたな排除リストと「図書選定基準」がFAXで届いた。リストは4月に推進員が排除せよと持ち込んだもので、要求したら任意提供された。このリストが任意公開できるなら、そもそも153冊の「非公開」もなかったはずだ。
 8月26日、「提訴集会」を変更して、福井市内で「ジェンダー図書排除問題を問う」と題して抗議集会を開催した。今大地はるみさん、知正さん、わたしの3人が事件の経過と問題点を報告し、原告団代表の上野千鶴子さんが「わたしたちの勝利」と宣言。福井県内外から参加した180人のあつい思いが結集した3時間。ほんとうにやってよかった。
 8月29日、福井県知事に対し、集会で提案した「福井県男女共同推進条例」20条2項に基づく「苦情申出書」を「『ジェンダー図書排除』究明原告団および有志」80名(42人は福井県民)で提出した。
 公開された公文書を精査すると、以下の事実が浮かぶ。
 「昨年11月1日、男女共同参画推進員からの『生活学習館のすべての図書について内容を確認し、不適切なものは排除するように』との苦情申出に、県は28日『情報の提供は学習する上で必要である』と文書回答し、申出を却下。その後、推進員は190冊の書籍リストを作成。今年1月に153冊分のリストを持参し、その後何度も排除の申し入れをくり返した。県は3月下旬になって、153冊の図書を書架から撤去した。4月にはさらに37冊の排除も求められたが拒否。5月に図書排除への抗議を受けると、153冊の内容を『個人への誹謗や中傷や人権侵害、暴力的表現などの公益を著しく阻害するものがないか』検閲し、5月15日、問題がないとしてすべての本を書架に戻した」。
    *   *   *
 法律は、どのような理由であれ、蔵書を公的施設から撤去することを認めていない。この事件が起きて以来、わたしは情報公開請求の当事者として、県職員と話し合いを続けてきたが、場あたり的な対応と無責任さにあきれている。図書排除は、一推進員の圧力に屈したというよりは、むしろその場のがれの行政の事なかれ主義と隠蔽体質が引き起こしたというべきだろう。国と自治体は、法的には対等な関係で、福井県の政策は「条例」が根拠であり、図書の選定に国の権限は及ばない。「国の方針変更に従った」というのは、福井県の失態である。そもそも、現場の職員が、法令を遵守して、勇気を持って毅然とした対応をしていれば事件は起きなかった。
 わたしたちは今回の事件に「福井発・焚書坑儒事件」となづけ、迷走する福井県に対して、有効な手法を選択しながらたたかってきた。勝因は、メンバーの役割分担とチームワークのよさ、合意形成がはやかったこと、制度を熟知してタイムリーに動けたことだと思う。MLやブロクを駆使しての情報発信も役だった。現行制度は、表現の自由や基本的人権を守り、「男女共同参画」政策を推進するものだ。数はあるに越したことはないけど、バックラッシュ派のやり口は法に抵触している場合が多いので、制度を味方につければ、少数の市民でもできることは多い。
 国や地方の権力に抵抗するには、まず「わたしがノーということ」。情報公開制度を使って、なにが起きたか事実関係を精査し、問題を特定することによって、有効な解決方法を選択することが可能になる。
 図書排除事件は福井県だけの問題ではない。図書や講師の選定に対する圧力は、全国どこでも起こりうることだ。事件はいつも、わたしたちの足元で起きる。バックラッシュに対抗するには、わたしたち市民が「行政監視の手法」を身につけて、公的な手続きを駆使して、自治体(行政や議会)にはたらきかけることが不可欠だと思う。
 わたしは行政のカベにぶつかり続け、いま「政治を変える」運動にかかわっている。市民運動は、あらゆる政策において、権力に対峙し「バックラッシュ」や声高に叫ぶものに対し、着実に「正攻法」の異議申し立ての運動と経験を積み重ねてきた。現行の法や制度には限界もある。けれど、力を持たない市民として、制度を熟知し有効な手法を選択しながら一つひとつの出来事にていねいに対応していきたいと思っている。 
 「わたしの(まちの)ことはわたしが決める」。直接民主主義の法や制度をつかった個人のネットワークが、上意下達の中央集権的な動きに対抗できることを女たちに伝えたい。
 わたしは未来に対して楽観も悲観もしていない。仲間とともに「いまここで」わたしにできることを実践していくだけだ。いままでも、そして、これからも。
 (『インパクション』154号・特集《反撃するフェミニズム》より転載)
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PCを変えたので、Windows98のほうをほってあるのですが、
書院に入っている通信の原稿でHPも更新しなくちゃ。
年を越してしまったのですが、全文をアップしますから、
また見にきてくださいね。

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