楽しく愉快な人生を

ー いつも模索しながら ー

家電量販店の駐輪場では

2016年03月21日 | 日記

21日(月・代休)も青空で明るい休日でした。朝方は風もあり、冷たい感じが一瞬しましたが、昼には暖かくなりました。

大阪・千里は無謀(マナーの悪い)な自転車が多い所です。家電量販店のY電気千里にいく用事がありました。一階出口に近い所に、お客さん用の駐輪場があり、買い物時間中の自転車置き場の意味でしょう。この駐輪場にとてもとてもお客とは想像できない、子ども連れ主婦や春休み中の学校生徒、」幼稚園生等が順を作って自転車を押して入っていきます。入り口には、時には、買い物を本当にしましたか、という”チェックをする時があります”程度の注意書きがありますが、意に介していません。もうかなり前から、勝手に自転車を置いて行ける便利な場所だとして「駐輪場を勝手に利用」が当たり前になっているようです。量販店側もお客になってもらう事もあるかも知れず、さほど厳しい対応はしていない感じ。子どもの前で、いい躾教育をする主婦がいるものですね。驚きました


春分の日はお墓参りと美術館ゆきで

2016年03月20日 | 日記

20日(日・祝)で、朝からまずまずのお天気でしたが、少し西北の風があり、体感的には、やや寒い感じ。でも昼からは青空で無風だし暑いくらいでした。

勤めを持つワイフの希望もあり、こういう日には色々とやるのがいいのだと計画したのは、お墓参り と 美術館入り と 歩き をしようとなりました。

まず、大阪池田市五月山霊園にあるお墓へ年2回程度しかいきませんがご先祖の墓参りに行ってきました。私が買った小さな形ばかりのお墓です。午前11時ごろ。今日はお彼岸中日でもあり、墓参りの人が多くて、送迎バスは満員でした。何回か臨時バスを出して対応しているという話でした。五月山から見た20kmほど離れた大阪空港の方は、折からのガスで霞んでいました。

その後、阪急宝塚線急行で大阪市内の国立国際美術館まで出かけました。中之島堂島川の畔まで来ると、灼熱の陽気に変わっていました。美術館のメインの出し物は、エッケ ホモ となっています。これはきっと人の名前であろうと想像していましたが、全然違いました。何かを感じて絵を描いたり、彫刻を刻んでも「自分の精神の個性が表れないと困る」人たちが作成した作品の展示会でした。エッケ・ホモ とは結局「この人を見よ」という意味のラテン語だそうです。新約聖書の一場面、苦しむイエス・キリストの受難をあらわす主題として、エッケ・ホモはこれまで、数多くの美術作品において取り上げられてきたとのこと。
人間を描き、そこに宗教的ないし倫理的な教訓を込めて、人間のあるべき姿を示すこと、と説明を聞きました。私には、難解で抽象的作品や解説が多く、やや退屈しました。それより、私にはこの美術館入り口に飾られていた大きな絵(ジョアン・ミロの作品)の方が見る価値がありました。また帰りに通りながら見た堂島川反対の南側から見るビル街の凄まじい景色の方が「凄いな」と思いました(上の写真)。今日は少々疲れた。

                                  お墓団地からの遠望

                                  美術館で

                                  ミロの「無垢の笑い」


ボランティアも永年やっていると

2016年03月19日 | 日記

19日(土)は、好天でした。テレビのお天気予想で夕方は時折雨もあるというので、外出に傘を持ちましたが、外れでした。

会社退職後、何年か、色々ボランティアを続けてきましたが、各種の現象に出会います。今日、昼過ぎに電車へ乗ると、何とそこに 約10年前まで、かなり頻繁に参加したボランティアで知り合い友人に近い人ですが、車いすで 脳障害者のI氏(もう約50歳か?)が、介助の男性と乗っていました(写真)。電車内で「お久しぶりだね」と懐かしく話しました。彼は阪急沿線に住んでいて、私と一緒の電車(北大阪急行)に乗るチャンスは希少でしょう。それが偶然とはいえ、お会いしたのは本当にびっくりでした。帽子を脱いだI氏の頭が少々禿げていたのを見て、月日を感じました。

今日19日、出かけて行った大阪国際交流センター(大阪市天王寺区)で、永年にわたり外国人相手に日本語ボランティアを続けたという理由で、お茶・お菓子パーティーが準備されていて、何人かの仲間と一緒に”永年ボランティア”宛ての「感謝状」をいただきました。長くやっていると、知り合いも多くなるし、感謝されるのですね。私は、ボランティア とは むしろ 自分の慶びのためにやっているつもりでした。そういう場を与えてくれたこのセンターにも逆に感謝したい気持ちでした。 永年やっていると何かとあります。今日はたまたま2件が。


ミナミの高層ビルで経済講義を

2016年03月18日 | 日記

18日(金)は、朝方お天気はまずまずでした。昼ごろからどんよりとしてきて、夕方にはパラパラと雨になりましたが、傘はさしませんでした。

ミナミにある有力証券会社の方からお誘いを受けて、国際的な経済の動向 や tpp、株式、増税、さらには、有利な相続手続き、節税なども含めた専門家による講義を受けてきました。連休前とあって、さほど多くの受講者はいませんでしたが、高層ビル内での受講は何年振りの事でしょうか。やはり、何処かの退職者と思しき男性達と、オヤジが亡くなったのでしょうか、オバサン達の姿も見受けました。昔は、集まってくるのはカネの亡者かと受け止めて、良い気持ちではありませんでしたが、最近は、動きの激しい国際的な経済や、我が国の金融動静等を察知できるチャンスだと受け止めています。講義する向こう側の誘導に乗って、簡単に薦める株や投資信託に嵌るほどの幼い受講者はいないようでした。まず、皆さんはオトナの受講態度のようでした。とりあえず勉強して帰ってきました。


春の暖かな有馬温泉は空いていた

2016年03月17日 | 日記

17日(木)、朝から幾らか寒さはありましたが、青空天気で昼からは無風の春日和でした。やっと春の定着でしょう。昔から暑さ寒さも彼岸まで、と言ったそうです。今日は、お彼岸七日間の入りだそうです。

春の陽気に誘われて、有馬温泉へ行ってきました。バスに揺られて約50分。私が入浴に入った時間(午前11時ごろ)いつもの金の湯の小母さんが「今日は、今の所、外国の人がいつもより少ないですね。まとまった団体客は少ないです。静か。でも経営の立場ではもっと外国人が多い方が良いのでしょうがねー」と言っていました。温泉湯船㋨なかにも、100人規模の男性大浴場で、タオル頭の高齢のじいさん達が湯船に数人という寂しさ。こういう静かでゆったりがいいのか、いっぱいのお客がいいのか、はたしてどちらが良いのか、考えながら春の温泉を楽しんできました。帰りのバスでは、春の温泉でいつまでも全身ポカポカ。上の写真は、有馬温泉の典型的風景の一つ。左下の写真は入浴した”金の湯”前の坂道 と 右はその横にあった、足湯(無料)は大勢の客で。

               


豊中市(大阪)も歩道から自転車排除の方向か

2016年03月16日 | 日記

16日(水)も朝方は冷たく、日和だが冬型のお天気、昼からは青空、夏日の高温でした。一日の中で、冬と夏の両存の感じです。

豊中市本町の狭いバス道の歩道を歩いていました。当然、歩道も狭い所です。先日までこの歩道は、自転車に乗った人(特にご婦人が多いのですがー)が当然の如く走っていました。そう言う人の曰く「車道では自分の方が危険だから」だそうです。歩行者からの市役所対応や市警察取り締まりに対する苦情も多くなり、重大事故の発生なども頻繁に発生しているのでしょう。豊中市は、戦災はありましたが、70年以上前にはこの付近は農地・野山が多く、市街地は戦後急に開発された所が多く、自動車道も、その横の歩道も一般都市より狭く人口の急増に追い付けない感じでした。市内には、そういう場所が非常に多いです。道路交通法で自転車は車道だといくら謳っても、これまで効果はあまりありませんでした。思い切った、市役所の決断で、ここは車道端に自転車マークが設けられ、自分が危ない人は、自転車を使わないように、となったようです。でも、歩道が空いていると、たとえば、子どもを乗せて当然のように歩道を行く自転車はいました。空いていると電車の指定席でも、女性専用車でも対象者でなくて、ずかずかと乗りこんで座ることが平気な無茶な人も大勢います。常識のない厚顔な人達です。

                                 車道にできたマーク


大相撲三月場所(大阪)の前を通る

2016年03月15日 | 日記

15日(火)、朝は冷たくて、皆さん、厚手のコートに戻ってマフラーもして震えながら出かけました。昼過ぎには、これがなんと気温急上昇。夕方には汗がにじむ感じ。

夕方近く大阪の大相撲三月場所入り口の前を通り過ぎました。今は、エディオンアリーナ大阪という名前を使っていますが、要するに大阪府立体育館です。午後4時ごろ。この時間はまだ中入り後すぐで、幕の内後半から上位の取り組みはこの後だろうと、思いました。もう25年ほど前には、大相撲は桟敷や椅子に座って何回か観戦した記憶がありますが、最近は近づいた事もありません。懐かしい思いで入り口近くの茶店等をちょっと見学。三月場所という表示の後ろにいくつかの漢字が書いてありました。「千穐万歳大々叶」です。茶店のお兄さんに尋ねました、「野暮なことを訊きますが、あの相撲協会表示の反対にある文字は何と読んで、どういう意味ですかね?」、すると、店番数人全員で??と訊き回って誰も知りません。結局ご返事なしでした。

調べてみると 「せんしゅうばんざいだいだいかのう」と読むそうです。
元々相撲とか歌舞伎に使われるそうですが、意味は千秋(字が違うのは火が入ってると言うことで縁起を担いで亀にしたそうです)楽まで土俵(舞台)の無事と満員御礼を祈願したものだそうです。意味が深いことでした。今場所注目の 白鵬 や 琴奨菊 など景気付けの幟旗が立てられていました。入り口前には、もう取り組みが終わった?のか ちょんまげ姿 が見えました。幕下?十両?でしょうか。今日は、急に暖かくなり、春場所三日目らしく楽しい雰囲気でした。

                                         

  

              


家族葬専門の葬儀場を見て

2016年03月14日 | 日記

14日(月)、朝から北大阪は強い雨になりました。その上、春らしからぬ冷気に包まれ、大急ぎの冬格好になりました。執拗に戻る寒さです。

あるバス停で待っていると、そこは、葬祭ホールと言う家族葬専門のこじんまりとした葬儀場の横でした。一日に一回だけの家族葬専門のようです。葬式には昔(約50年前)、葬儀場へ親族、遠縁、友人、同僚、何かの縁者等が集まり、普通に数えても多い所は、100人以上もいた葬式がありました。若いころご自宅や大きな葬儀場で、そのお手伝いさせてもらいましたが、出席者への心遣い、飲み食い、香典のお返しなど大変でした。ご家族は、葬儀の準備や後始末、後の法事などでお手伝いの我々以上に大変でした。最近、葬儀はこじんまりと家族だけで済ませたい希望者が多いと聞きます。前後の準備、後始末等の煩雑さも原因の一つでしょう。この葬儀場には親族だけの葬式をお考えの方へ家族葬 お任せ下さい。費用を節約した葬式や少人数での家族プラン、ご相談ください(相談・見学無料)と言う意味が入り口に貼ってありました。

数年前、会社時代の友人の死で家族葬で済ませるつもりの家族意向を無視して、お葬式に、(私自身は出席を止めましたが)、無理矢理、お家へ行って位牌にお祈りだけでも、と出かけようとした元会社同僚いてたしなめた記憶があります。家族が自分流の葬式をするのも時代の趨勢です。会社の元同僚などは逆に出席をしない位の気遣いが要る時代ですね。公式な社葬や大型葬儀をする数も傾向的には減少でしょう。とにかく心の問題です。


今年もデコポンの季節

2016年03月13日 | 日記

13日(日)は幾らかどんよりとした春らしいお天気でした。風がないので、体感的には暖かい感じでした。

今日、ワイフがスーパーで「デコポン」を買ってきました。デコポンは、冬後期から初春にかけて旬と言われる柑橘類のこと。これは私が子ども時代や青年時代には、お眼にかかったことがありません。かなり年をとってから、なんかの機会に食べてからフアンになりました。丸い形は普通のミカンですが、頭部にデコがあり、面白い形。味が意外に柔らかく、それまでのミカン類とは違う美味しい味でした。これは1972年頃、長崎県農林水産省の果樹園で開発された温州ミカン(きよみ)とポンカン(中野3号)の交配でできたと聞きました。皮がむぎ易く、ネーブルなどのようにわざわざわざ4切りに切る必要もなく、食べやすいのも魅力です。この晩冬から初春にかけての数少ないミカン類の一つと思い、味わっています。産地は、熊本、愛媛、広島、和歌山等が生産が多いそうです。デコポンと言う名は商標登録されていて、全国農協JAに参加している農家は使えると聞きました。何と、韓国済州島でも生産しているのだとか、名前は漢拏峰(ハルラポン)だそう。済州島最高峰の意味だとか。ちゃんと権利所有者の認可を取っているのでしょうか。ポンカンでは売っていないので良いのかな。


ベルギー「フランダース」の自転車遊び?

2016年03月13日 | 日記

12日(土)大阪は非常に好いお天気でした。朝方はやや冷たいので、着込む人もいましたが、昼には暖かい感じでした。春本番。

大阪国際交流センターでのボランティア終了で帰ろうとすると、面白いポスターを見つけました。獅子のマークを付けたベルギー事務所のポスターでした。ここには、ベルギーの出先機関があります。大阪との友好150年記念で大阪のあちらこちらを遊んで回る「自転車のツワ―」をすると言います。メンバーを募集しているのでしょう。その名がフランダースツワ―になっていました。フランダースとは18世紀ごろ、ベルギーにいた有名な公爵の名前です。いまは正式にはベルギーは王国。昔この公爵は広い敷地を持っていたある地域の貴族でした。小説「フランダースの犬」等の元になっている名前ですが、いまはオランダ語を話す一地方名です。でもブリュッセル等は、自分の地域をフランダースと言っているそうです。その宣伝ポスターにはフランダース公爵が持っていた王冠シンボルの獅子マークが付けてありました(写真)。ヨーロッパでは色々の国が獅子をシンボルにしている国が多いです。ベルギーもきっと、フランダース候の獅子シンボルを使っているのでしょう。でも大阪との150年の付き合いについては、詳しいことは分りません。なぜ??