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神社で見た「お手水舎」での奉納柄杓

2015年02月26日 | 日記

26日(木)は、大阪は朝から雨でした。止むような上がった時間もありましたが、昼ごろには、かなりきつい雨で一日外出することを阻まれた感じです。

朝方、予約済みの整形外科のお医者へ行ってきました。真剣か深刻な病状の人は、お天気に関係なく予約通りに通ってきます。でも軽度で気楽な人は「今日は、雨だから止めとくよ」と断る人もいるようで、かなり待合室は今朝は空いていました。いい加減な患者も多いのですね。医者帰りに、神社脇を返ってくると、ここも誰も拝殿しているように見えません。通常のお天気であれば、いつも誰かが信心深く拝んでいるのですが、今日は姿が見えません。そこで、本殿前のお手水舎(ちょうずや)へ立ち寄ってみました(以前ご紹介済み)。真新しい柄杓になっていて、それには「奉納」と記入されていました。要するにお金か、現物を寄付した氏子か信者がいると言うことです。私は、一時、この柄杓で水をくみ上げ直接口に水を含んで漱ぐ事が清めだと思っていました。それは間違いでした。

昔は井戸の水をくみ上げそれを丁寧に汚さないよう使った精神が分かります。私はちょっと、反省。 もともと伊勢神宮内宮の御手洗場(五十鈴川手水の起源は、神道に由来し、聖域を訪れる際に周辺に流れる河川湧き水で身を清めていたことにはじまるのだそうです。その名残は、伊勢神宮の御手洗場などで見られるとのことです。それが、全神社に採用されて今のお手水になったのでしょう。神社の清めの作法を確認すると、手を洗ったうえ、右手に柄杓を持って、水を左手に溜めてから口にあてがうのだそうです。水を吐き出す時には、左手をかざすのが本式だそうです。そりゃそうですね、いまどきのママたちの衛生観念で行くといくら聖なる神社でも大勢の人が、口を付けている柄杓に直接口をあてて清める気にはならないだろうと、感じます。作法を覚えましょう。


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