長すぎる「ひとこと感想」その5。
映画のタイトルはドキュメンタリーのようだけれど、ポーランドの実在の画家ニキフォル(1895~1968)の晩年を描いたフィクション作品。
何年か前、『 ミリキタニの猫』という、アメリカのドキュメンタリー映画を観た。女性監督の家に同居した、日本人画家ミリキタニ(それまではホームレス状態)の日常がまさに「ネコ爺さん」で、いろいろ勝手を言う本人には(ぐっと堪えて)文句を言わず、代わりに自分の飼い猫に文句を言っている監督と、それを傍で聞いている画家のバツの悪そうな様子が可笑しかった。
今回の映画の主人公ニキフォルも、映画の中ではミリキタニの上を行く?ネコ爺さんぶりで、振り回されるマリアン(後の後見人で男性)が気の毒やらオカシイやら。(しかも、ニキフォルの方は「バツが悪そう」な顔などチラッとも見せない(笑)。)
芸術家って、年を取るとネコ的になる?人種なのかなあ・・・などとも思ったけれど、そもそもニキフォルには母親譲りの言語障害があり、読み書きもできなかった。絵を描くことがそのまま他者とのコミュニケーションであり、街中で描いた水彩画を路上で観光客に売ることで、なんとか生活しているホームレス画家だったのだ。
地元クリニツァの街の人々には「年老いた少しアタマのおかしな物乞い」と思われていた?ニキフォルの人生に、マリアンがなぜそこまで巻き込まれてしまったのか・・・が、私には興味深かった。
元々は役所の管理部の美術担当だったマリアンは、画家としても活動していて、事務所の一角にはささやかなアトリエもあった。ある日そのアトリエに、小さな旅行鞄を持った小柄な老人がやって来て、居座って勝手に絵を描き始めてしまう。困ったマリアンは老人を自宅へ連れ帰り・・・という辺りまでは、役所の職員であるマリアンとその妻との善意で話が進むのだけれど、その後ニキフォルの絵が新聞に紹介されたのをきっかけに、マリアンの上司の思惑も絡んできて・・・。
ニキフォルは基本的に何も言わない。人の言うことも、聞いているのかいないのか・・・。
彼はただ、「自分のしたい通りにする」老人で、そのことについて周囲に説明もせず、親切に対して礼を言うこともない。そもそも「感謝」しているとは思えなかったりもする。(常識的な「親切」は、彼にとっては余計なお世話だったりするからだ。)
そして私は・・・そういう生き方、そういう人生に、昔からある種の憧れがあるのだと思う。
ある一つのことだけ考えていればいい。それだけが自分の関心事であって、それ以外のことはただ流れていくだけ。自分の喜びも悲しみも、耐え難い苦悩も不幸な体験も、すべてそのことに注ぎ込まれ別物に昇華してしまう。そしてその事を、人にわかってもらう必要を感じない・・・。
私は元々が人懐っこい?(気が弱い??)人間なので、自分と関わりのある周囲の人々には、自分の行動を説明する必要(というか、まあエチケット)を感じてしまう。問われたことに「受け答え」するのも、ごく当然のことだと。
でも、本当は「人と(言葉では)関わりたくない」と思っているのかもしれない・・・と、こういう映画、こういう主人公を見ていると、いつも思ってしまうのだ。
ニキフォルの絵は複雑な中間色が美しい水彩画で、色はともかく全体の印象は私の好みとは少し違っている。が、それでも何枚も続けて見ていると、一つだけわかることがある。
彼は生まれ育ったクリニツァを終生離れなかった。彼が描いたのは、自分の眼で見た緑豊かな風景であり、彼が想像の眼で見た人物であり、要するに彼の周囲にあったごく限られたものだ。
けれど、遠い異国の人間である私の眼にさえ、彼の描く風景には「神の恩寵」と人が呼ぶであろうような、独特の空気と光が感じられる。少なくとも描き手がそういったものを、目の前の風景に感じているのが、無宗教の私にも伝わってくる。「神さまと一対一で向かい合っている」人の幸福・・・私はそう感じた。
めったに口をきかない上、たまに話すとオソロシク口の悪い?ニキフォルは、マリアンの絵にも「駄作だ。」のひとこと。「お前は絵を描くな。」とまで言う。けれど、作品を見る眼を上司に見込まれていたマリアンは、ニキフォルの絵に宿る芸術性が本物であることがわかると同時に、自分の絵の凡庸さもよくよくわかっていたのだろう。
だからこそ、ニキフォルの出自を調べたり、咳を心配して、嫌がる本人を病院につれて行ったり、果ては後見人まで引き受けてしまう。そうしてニキフォルにのめり込んでいく?彼に、妻は愛想を尽かし、娘二人を連れて実家に帰ってしまう。それでも・・・マリアンはニキフォルから離れる気にはなれないのだ。
マリアンとニキフォルが、二人で公園のベンチに座って言葉を交わすシーンが印象に残る。
誰とも特別な関係は作らなかったニキフォルが、唯一作った人間関係。マリオンにとっては、「本物の芸術」を日々見せてくれた、おそらく唯一の画家。中年男と老人、役所の職員とホームレスである二人が、あるとき偶々出会い、紆余曲折の後、やっとここまでたどり着いた・・・そんな不思議な穏やかさに満ちていた。
その後、持病の結核が悪化して入院したニキフォルが、一枚の描きかけの肖像画をマリアンに手渡して、それまでの人生で誰にも言ったことのない言葉をささやく。病室の近くで見守るマリオンの妻の姿と共に、ニキフォルという「ネコ爺さん」のもう一つの素顔を垣間見させる、あのラスト・シーンも忘れられない。
キャストについて、ちょっとだけ。
73歳で亡くなった主人公ニキフォルを演じているのが、80代のポーランドの女優さんと知った時の驚き! 無愛想で、そのくせ巧まざるユーモアと妙な可愛げ?のある姿が、写真で見る本人にとてもよく似ていて、「役作り」というものの凄さを見せつけられた気がした。
マリアンを演じている俳優さん(ロマン・ガナルチック)についても、観た後の私のメモには、「ごくごく普通の人?なのに、子どものように澄んだ瞳を見せる瞬間があって、マリオンがなぜそこまでニキフォルの絵に惹かれたのかを納得させる風情があった。」などと。
グーグルで二キフォルさんの絵を検索してみたら、気に入ったので余計そう思いました。
男優さんがお婆さんに扮するのはわりと見ますが、女優さんがお爺さんを演じるのは記憶に無いような・・・
見てるだけでいい映画なのかしら。
考えさせたり、何かを主張したり、面白がらせたり、…させられるのが嫌いだから(^_^:
もちろん、観てしまったら観る前とは違う自分になってるんだけどネ。
この映画は「知られざる天才画家の肖像」って付いてたから、この人(全然知らない)の描いた絵が見られるのかな~って思って、ただそれだけで観に行きました。
女優さんの演じる画家さんがとにかく秀逸!
(なんというか人を食った?感じのお爺さんで、chonさんはもしかして好きなんじゃないかなあ・・・なんて。)
>考えさせたり、何かを主張したり、面白がらせたり、…させられるのが嫌いだから(^_^:
基本、私もそうです。ぼんやり、ただ観ているだけの映画が好き~。何を思うかは、すべてこちら次第というような。
もちろん、chonさんの仰るとおり「観てしまったら観る前とは違う自分になってる」んですが。
せっかくなんですが、エネルギー不足でメールのやりとりはどなたともしていなくて・・・
(考えてみるとリンクもゼロです。ゴメンナサイね。)
でも、来て下さって
どうもありがとうございました。
「メアド目的」という噂?でしたが、gooブログに出没していて、「みゆき」バージョンもあるとか。
ネット上のこの手の話に、実際に遭ったのは初めてです(笑)。
コメントも一応書いたレスも、記念?にしばらく残しておこうかな。
メールならgooメールを使えばいいんだもんね。
おかしいな?と思ってました^^;
消さずに残してあったコメントが役に立って、なんだかちょっとウレシイです。
色とりどりの絵文字が目立ちますね(^o^)。