(以下の記事は、映画の結末に多少触れています。未見の方はご注意下さい)
公開時(昨年2月)、話題になっていたのを覚えているけれど、私が知っていたのは「アメリカのアマチュア・レスリングの話で、金メダルを取った選手も出てくる”実話”に基づく映画(らしい)」ということくらい。
私は元々「レスリング」というスポーツを見るのが苦手で、この映画も観ようとは思わなかった。ショー化されているプロレスもあまり好きではないけれど、アマチュアとなるとよりストレートに(男子女子を問わず)ある種の”生々しさ”を見せつけられているようで、私は妙に居心地が悪いのだと思う。単なるスポーツ、競技だとわかっていても。
ところが今回、家族が録画したのを偶然見つけて、時間があったので、つい何の気なく観てみたら・・・
いや~、もうタイヘンなモノを観たと思う。(話題になったのは当然だ。)私は別に、アマチュア・スポーツ界での選手の努力や苦労・・・といった、いわゆる「実話」をイメージしていた訳じゃあないけれど、ここまで深く人間ドラマの核心に斬り込んでいく作品だとは想像もしていなかった。
映画は最初から最後まで、緊迫感に満ちている。映画の基になった「事件」の存在を知らなかった私でも、その緊迫感の異様さ?は感じ取れるので、「一体何が起きるのだろう(というか、起きているのだろう)」というドキドキ感が序盤から続く。実際にスクリーンに映っているのは、若い選手が「幸運」に恵まれ、前途が開けていく風景なのに。
物語を少し説明すると・・・
経済的に不遇なアマ・レスリング選手(ロス五輪での金メダル保持者)マークは、財閥デュポン家の御曹司(といっても4、50代?)で大富豪のジョンから、次のソウル五輪を目指す私設チーム(その名も「フォックス・キャッチャー」)に加わるよう、破格の待遇で招かれる。同じくレスリングで金メダルを取り、すでにコーチとしての仕事もあって幸せな家庭を築いている兄デイヴからの自立を願うマークは、申し出を受け入れ、デュポン邸の中のトレーニング施設で練習に明け暮れる日々を過ごすのだが・・・
こうして書くと、随分単純な話(スポ根マンガみたい~)に見えるけれど、この主要人物3人の生育暦がかなり複雑で、結局のところその後起きる「事件」の根の部分は、そこに端を発している・・・と、観ている間ずっと言われ続けているように感じた。
富豪のジョンは、おそらく父親は既に亡く、母親は「レスリングのような下品なスポーツは好きになれない」とはっきり口にするような、ある種「手強い」タイプの女性で、ジョンは馬と乗馬を愛するこの母親に認められようと、次から次へと見当違いの努力(というか浪費というか)を続けている。レスリング・チームのコーチ(指導者)として、国を代表するチームを率いて世界の頂点に立ちたい・・・というのも、そもそもその「母親に認められたい」が土台にある。
レスリング選手の弟マークは、幼い頃に離婚した親双方の家を、兄と行ったり来たりしながら成長した。これまでは頼りになる優しい兄に守られてきたものの、親から十分な愛情を注がれたとは言い難い(ように見える)。父親代わりだった兄も、今は温かい家庭とやりがいのある仕事を持ち、その誠実な人柄から広く人望もあり、マークとしてはこのまま兄を頼っているわけにはいかない・・・という焦りや孤独を感じている。
そして兄のデイヴ・・・実は、私から見て一番不思議だったのが、この人の人柄だった。誠実で堅実。誰に対しても丁寧で親切。その屈折を感じさせない温かさと優しさは、この人が自分に本当の意味での自信を持っていること、自分の人生についても自分なりの確かな考えがあるため、簡単には揺らがず、満ち足りていること・・・などを、ごく自然に納得させる。子どもの頃から、世の荒波を弟以上に被ったはずなのに、この人はこういう人格を作り上げ、それは弟マークの人間として未熟・未分化な様子とは対照的なものだった。
結局のところ、この映画は私にとっては、 この3人の人間ドラマだった。俳優さんたちの役作りも素晴らしく、スティーヴ・カレル(富豪)の孤独・切ない願望そして狂気、チャニイング・テイタム(弟)のヒリヒリするような若さ・弱さ・つきまとわれる苦悩、そしてマーク・ラファロ(兄)のあくまで穏やかで円満な人格とその説得力・・・しかも(皆?)レスリングの訓練も相当あったはず(^^;。
私は「事件」の存在すら知らなかったけれど、物語が進むうちに、「このままで済む筈がない」と思う気持ちが強くなった。それも、起きるとしたら兄デイヴが傷つけられるか殺されかけるか・・・そんな種類のコトのような気がした。苦労人の筈なのに、(おそらく謙虚さゆえに?)この人は自分が相手にとってどれほど眩しいか、時としてそれは脅威として受け取られかねないほどのものであることを、想像もしないだろうと。それがどれほど相手を追い詰めるか・・・ということも。
私がそんなことを思ったのは、自分はこの大富豪や弟の側の人間だという感覚があったからだろう。デイヴのようになれない者にはよくわかる・・・ある種の嫉妬、恐怖ゆえの攻撃(相手に対してか自分に対してかはともかく)に転化しかねないこういう感情は、私の中の深い深い部分にも潜んでいそうな気がしたのかもしれない。
だから「事件」は唐突ではなかった。(もちろん、すべて私の勝手な想像ではあるけれど)
その他に気がついたことを少し。
先に書いたレスリングという競技の「生々しさ」については、作り手も意識していて、それが映像に表れていると感じた。「実話」としてどうだったのかは別として、映画では富豪はゲイと思わせる演出がされていて、レスリングの1対1の練習風景は、それに相応しい装置として利用されているように見えた。富豪の母親が「レスリングは下品」と言ったのも、彼女の貴族的な趣味からだけではなく、息子の性的嗜好を連想させられるのが嫌だったのかもしれない・・・と、後になって気づいた。
母親(ヴァネッサ・レッドグレーヴ)は上品な分、ひんやりとした雰囲気の人だけれど、特に口うるさいとか強権的とかいうほどでもないように見えた。お金を払って使用人の子どもに息子と遊ばせたのも、母親なりの愛情だったのだろう。それが息子の望むやり方ではなかったとしても・・・という風に、現実の母親と息子の目に映っている母親像とには隔たりがあったのかもしれない。でもそれは、親子関係ではまま見られることであって、ただこの親子では最後まで修正される機会がなかった・・・と思うと、どれほどの財産があっても、ほしいものが手に入らなかった富豪の息子の哀れさも眼にしみた。
この映画全体を通じて感じる「説明しない」で「同じテンションの高さ」を保って「まっすぐ斬り込んでいく」感覚は、以前にも観たことがあるような気がしていたら、ベネット・ミラー監督というのは『カポーティ』の作り手だった。そうかぁ・・・と納得。登場人物たちの「危うさ」も似ている。
「危うい」人たちに、私は心情的に引きずられる?ところがあるのかもしれない。今回の映画でも、富豪の哀れさ(「みっともなさ」と言ってもいいくらいの場面もある)や、弟の、どうしたらいいのか分からないまま、眉間に皺を寄せて立ち尽くしているような風情には、いたたまれない思いだった。
(・・・というのが、「タイヘンなモノを観た」顛末です。映画がお好きな方は、機会があれば、どうぞご覧になって下さい。疲れるかもしれませんが、135分を長いとは感じないと思います。)
私の感想をわざわざ検索してくださってありがとうございます。
ムーマさんの感想、深く深くうなずきながら読みました。
レスリングの「生々しさ」を最大限に活用した映画ですよね。
マーク・ラファロがいきなりチャニング・テイタムのからだに巻き付く冒頭のシーンからして物凄く居心地がわるく、この人たちはいったいどういう関係なのかと思って、兄弟としって少しホッとしました(笑)
この監督の「説明しない」で「同じテンションの高さ」を保って「まっすぐ斬り込んでいく」感覚は、怖いもの見たさもあってゾクゾクするほど好きです。
私も「危うい」人たちのドラマに惹きつけられる性質があるのだなあと自覚しました。
映画を観て、何か気になることがあると
TAOさんの感想を見に行きます。
(って、普段は行かないっていうこと?(^^;)
今回は、その「生々しさ」について
何か書いておられないかと
探しに行ったんだと思います(本当)。
あんまりそういうコトに触れる感想は
見かけない気がしたので。
いや~それにしても、凄い映画でした。
(「怖いもの見たさ」って、ほんとそういう感じですね)
何か感想書いておきたいとは思ったのですが
書けないままになるかな・・・とも。
(深いモノがある映画は書きにくいのです)
TAOさんの感想から、いろんな触発を得た結果
こんな長い感想を書いてしまいました。
(やっぱり「簡潔」には書けないようです(^^;)
来て下さって、コメント書いて下さって
本当にありがとうございました。
またいつか、印象的な映画に出会ったら
TAOさんの感想、読みに行きます。
ナマケモノ並みにノンビリと暮らしているので
どうぞ気長におつきあい下さい(^^)。