予告編を見て、観るのがなんとなく億劫になったものの・・・行ってみたら、想像したこととは違う種類のことを、色々考えさせてくれた映画。(自分が何を思ったのか、少しでも書き留めておきたくなって・・・)
最初「観るのが億劫」だったのは、(私の記憶違いかもしれないけれど)予告編の中で、主人公の女性カメラマンは「仕事と家庭の両立」に悩み、それでも家族に向かって、「世界が私を必要としているのよ!」といった意味の言葉を投げつけたからだ。
私は定職に就いたことのない人間なので、こういうことを思うのは、無知からくる不遜なのかもしれないけれど・・・
どんな職業であろうと、「代わり」がいないということは、私には考えにくい。「代わり」があるのが「仕事」というもので、代わりが無いのが「家族」・・・という漠然としたイメージを、今の私は持っている。(昔は逆のことを思っていたような気もする)
けれど、映画を観始めてすぐ、私は所謂「戦場カメラマン」である彼女の存在意義に気づかされた。
冒頭から、これは一体どういう状況なのだろう・・・というような映像が続く。やがて、彼女は「自爆攻撃」をする直前の女性のための儀式?を取材しているのが判ってくる・・・
女性は前もって葬儀?を済ませ、身を清めてからおもむろに、身体に多量の爆薬を巻く。傍で、彼女たちと同じく黒衣を身に着け、髪を包んだ主人公が、辺りの気配に気を配りながら、細心の注意を払ってカメラのシャッターを切る・・・
そうかあ・・・と、私は思った。イスラムの世界で、ここまで女性の領分に入り込んで撮影できるのは、女性のカメラマンだけなんだ・・・
その後、主人公は自分のミスもあって、爆発に巻き込まれ大怪我をする。隣国の病院に運ばれ、本国アイルランドから駆けつけた夫と再会。怪我が癒えるのを待った後、2人の娘たちの待つ自宅に戻るのだが・・・
思春期の娘から見て、母親が、常時命の危険に晒される職業に就いているということの重さ・・・当の母親は、そんな娘の気持ちにも、家族の面倒を見ている夫の苦労にも気づかないまま、これまで仕事に没頭してきた。そんな気持ちの食い違いが、爆発事故をきっかけに表面化する。家族は「これ以上耐えられない」ところまで来ていたのだ。
自分の写真には、悲惨な現実を僅かながらも変える力がある・・・と信じている主人公は、仕事上の使命感と家族への愛情との板ばさみになる。悩んだ挙句、彼女は一旦は仕事を辞めようの決心するのだが・・・
この女性カメラマンは、決して鈍感な人ではない。(鈍感では、こういうジャーナリスト?は務まらないだろうと思う)
しかし、これまでは「理解し合っている」と信じていた夫(彼は最初から、「君の生き方を愛している」と言ってくれていた)や、寂しさと不安に一生懸命耐えている娘たちのお蔭で、自分がいない間の家族・家庭の本当の姿を想像することもないままに、ここまで来れてしまった・・・。
「理解がある」ことの限界と落とし穴。名誉や報酬が目当てではない、ただ「誰にも気づかれずにいる現実」を皆に知ってもらいたいという、ある種純粋な?使命感。そういった「善き事」の間で葛藤に苦しむ人間たちの姿を、この映画はきめ細かな描写で描いていたと思う。
主人公は、報道写真家になった理由を娘に聞かれて、「腹が立ったから」と答える。
自分たちが想像もしていないような悲惨な現実が、この世界には存在していること。それを知らなかった自分、知らないままの多くの人々、そのまま放置されているという現状に「腹が立った」のだ・・・と。
そして、その怒りは今も、彼女の中で燃えている。たとえ、家族のために本気で仕事を辞めようと決心していようとも。
この映画はもしかしたら、ある女性の報道カメラマンとしての、母親としての、引いては人間としての、成長物語だったのかもしれない・・・と、私は帰り道で思った。
私などの世代では、「仕事と家庭の両立の困難さ」というのは、働く女性には付き物の悩みだったと思う。私の家族も友人たちも、家庭を持っている女性は皆、苦労しているように見えた。
しかし、この映画の主人公の場合は、それとはちょっと違うような気がした。
彼女のぶつかった問題というのは、ちょっと前までは(私の知る限り)「家庭を持つ男性」が抱えたかもしれない葛藤、悩みのように、私には見えたのだ。意義ある仕事に邁進する自分を、家族は理解してくれている筈だったのに、いつの間にか皆疲れ果てていて、突然(と夫は思う)家庭が壊れかけているのを知る・・・というように。
私は、ほんの僅かずつとはいえ、女性の仕事に対する人々のイメージが、(少なくともヨーロッパでは)昔とは変わってきているのかな・・・などと思った。そしてどんなに葛藤に苦しむとしても、そういう世の中の変化自体は、決して悪いことじゃあない筈だ・・・とも。
映画の終盤、冒頭と同じ状況に再度置かれた彼女は、あの時とは全く違う態度・行動を見せる。それは一見、「成長」には見えないような場面なのだけれど、私はこの人が、人間としての成熟という意味では、更に一段、階段を上がった・・・という風に感じた。
でも、それは・・・苦しみが増すということでもあるのだ。(そういう彼女の姿に、私の周囲の観客たちが涙を拭くのが暗闇でも判った)
主人公を演じるジュリエット・ビノシュの演技力、他のキャストの好演、演出の巧みさもあって、元々は私があまり好きじゃない種類のテーマ(私は、所謂「先進国」側から見た「悲惨な現実」をなんとかしようと頑張る人たちの映画が苦手なので)の映画に見えたのだけれど、もっと深い内容を秘めた作品だった・・・そんな気がしている。
久しぶりにお邪魔したので、これから過去ブログもチェックさせて頂こうと思います。
この作品、ノーマークでしたが
ムーマさんの感想文で興味が湧きました。
あ、この作品に限らず、ムーマさんのご覧になっている映画の数々は、私のようなサブカル趣味ではまず観ない映画が多く、とっても勉強になります。
いつも分かりやすい解説をありがとうございま~すヽ(・∀・)ノ
私もこの映画、美術館でポスター見るまでは、名前も知らなかったんですよ~
いわゆるミニ・シアター系の映画が好きという割には、情報にも疎くて
「分かりやすい解説」になってればいいんですが
そっちもほんとアヤシイし・・・(^^;;
こんな辛気臭い(と書いてる自分も思う)感想を、いつも見に来て下さって
本当にありがとうございます。
もしも映画自体に興味を持って頂けたら、もうすごーく嬉しいです(^^)
でも・・・深刻なばかりで、面白くなかったゴメンナサイね。