身近な発見と出会いのブログ

普段見慣れている風景や身近な出来事などを話題にみなさんとご一緒に散歩しましょう。写真はクリックすると拡大表示します。

藤沢駅近郊のウォーキング

2017年01月31日 | Weblog
今回のウォーキングは小田急線藤沢本町駅をスタートし東海道線藤沢駅をゴールとするコースです。
ではそのコース図を下記に紹介します。
 
 

伝 義経首洗井戸
   旧1号線から一寸脇に入ったその奥にある。

 

 

首洗井戸から北に向かい少し行くと1号線バイバス手前に白幡神社がある。
 古くから藤沢の地に鎮座する古社で、相模國一之宮寒川神社で有名な寒川比古命と歴史上のヒーロー・源義経公をお祀りしている。
 寒川比古命は厄除け・方位除けの神様として知られます。
 また武芸、芸能、学問に優れ、才気あふれる源義経公は、学業成就、社運隆昌などのご神徳があります。
 境内には、悠久の歴史を感じる史跡が多く、四季を感じられる緑豊かな自然もあります。

 

 

また南に下がりR467の済美館横の細い道を入ると常光寺裏手に「弁慶塚」がある。
藤沢市本町に鎌倉光明寺の末寺で浄土宗の寺院「八王山常光寺」はある。創建は元亀三3年(1572)。
火災に遭い宝暦12年(1762)に再建。本尊は阿弥陀如来である。
当寺の山裏には源義経の家来となった「弁慶」の霊を祀る「八王子権現社」があったようで近くの丘には「弁慶塚」石塔がある

 

 

R467号には今も藤沢宿の古い家並みが残る

 

境川を過ぎると間もなく「遊行寺」へ到着する。
遊行寺と聞くと、毎年箱根駅伝で有名な坂道で知られているところだ。
通称「遊行寺」の名で知られており、正式には藤澤山無量光院清浄光寺と号す。
現在の遊行寺は、東海道随一と謳われる木造本堂をはじめとした伽藍〔平成27年(2015)に
10棟が国の登録有形文化財に登録〕や樹齢700年と推定される大銀杏などを有する修行道場として、
また市民の憩いの場として今日に至っています。

遊行寺の黒門をくぐり、すぐ左手の墓地の突当りに「貞松院住職列成和尚」の墓があり、
その横に「板割浅太郎の墓の由来」という判読しがたい案内板がある。

板割浅太郎の墓が遊行寺の境内にあるとは知らなかった。

 

 

 

本堂

 

 

黒門と中雀門

 

まだまだ境内には小栗判官照手姫の墓などなど色々見て回りたいところが点在している。
またの機会に詳しく見て回りたいものです。

さて今回最後に紹介するのは隣町大船駅裏にある「大船観音寺」

 

綺麗な観音様である

 

 

 

 

違ったコースを紹介

2017年01月30日 | Weblog
神奈川県立茅ヶ崎里山公園と言うと既に何回となく訪れている公園でこのブログでも紹介したような気がします。
普通は公園内の散策となるのでしょうが今回は公園内ではなく、公園外のウォーキングコースとなります。

ウォーキングコース図は下記の通りです。

 

ではスタートです
西駐車場を出て芹沢自治会館方面へ
この地域では自治会館よりも一般家庭の家の方が広くて大きい、おもしろいところです。

 

下馬落観音堂も今は跡となっており石碑があるのみ

 

この後道が細くなり車に注意が必要です

 

公園の北側になり、水田や小川の風景が広がります。秋には彼岸花の群生地として知られています。

 

このコース唯一の急勾配、といっても大したことはありません。

 

公園東駐車場付近から公園内へ

 

 

簡単に紹介しました。

さて今日は気温が上がり20度、非常に暖かい
お陰で早咲きの桜は、開花が進んだようです。

 

 


中井町ウォーキング

2017年01月29日 | Weblog
今日は天気も良く風もなくウォーキングには最適な日だ。
富士山が雲に隠れて見えなかったのが残念だったが・・・

今日のウォーキングコースは下記の通り
左図はカワセミを見ながら歩く葛川コース。右図は2箇所ともに行き止まりとなったコース。

 

厳島湿生公園脇の葛川を歩き今年初めての「カワセミ」を見る事が出来た。

 

 

続いて中井中央公園をウォーキングすることにして歩き始め初めてのコース取りをした。
通り抜けられる道と思ったが2箇所ともに行き止まりとなり戻ってくる羽目となった。

まぁ、偶にはこんなこともあるだろう(笑)

南足柄市怒田地区ウォーキング

2017年01月28日 | Weblog
今日は南足柄市の怒田地区ウォーキングを紹介
南足柄市運動公園駐車場をスタートし、約5000歩 2kmのコースです。
初めて歩くコースでどんな道程なのか楽しみでした。
広域農道までは上り坂が続きますが距離が短いので苦にはなりません。
ハイカーも殆ど歩かない道なので静かでゆっくり楽しめます。

紹介するコースです

 

運動公園は今日現在早咲きの梅が綺麗に咲いている

 

 

梅が咲く坂道

 

 

 

あと一息で広域農道に出ます

 

広域農道に出たぁ~!

 

 

 

紅梅白梅が咲き誇る、南足柄市運動公園へ戻ってきました

 

 

 

 

 


小田原庭園巡りウォーキング

2017年01月27日 | Weblog
小田原は明治にはいると、全国でも有数の保養地として注目されるようになりました。
まず明治20年代には海岸保養施設が数多く造られたほか、時の首相・伊藤博文などの有力者が西海子(さいかち)
などの海辺に別荘をかまえるようになりました。

ついで明治30年代になると、明治34年(1901年)に元の小田原城が御用邸として整備されたのをはじめ、
皇族の閑院宮家、元首相の山縣有朋、三井財閥を支えた益田孝が小田原に別邸を設けたため、
これらの人々とゆかりの深い要人たちが次々と別邸・別荘をかまえました。
そのうちの一人、山下汽船(現・商船三井)創業者の山下亀三郎別邸では、「坂の上の雲」の主人公として知られる
秋山真之が療養中にその生涯を終えています。
とりわけ山縣や益田のもとには、日本を代表する茶人たちが集い、小田原は「茶の湯総本山」といわれたほどです。
この時期の別邸・別荘は「天神山」や「板橋」といった箱根から続く尾根の斜面に拡がったのが特徴です。

さらに戦後の小田原の邸園を代表するのが電力業界の基礎を築いた松永安左ヱ門の邸宅・老欅荘です。
松永は戦前、益田孝から茶の手ほどきを受け、益田が亡くなった後も長く小田原で過ごしました。
益田と松永は近代日本三茶人と呼ばれ、三茶人のうち二人までが小田原を拠点にしていました。

今回は、こうした小田原の邸園を巡りました。
散策ウォーキングコースの概要は次のとおりです。

藤棚臨時駐車場➡清閑亭➡三の丸廓➡西照院➡板橋見附➡大久寺➡人車鉄道・軽便鉄道 小田原駅跡➡小田原文学館➡滄浪閣跡
➡正恩寺鐘楼門➡山角天神社➡駐車場
約12000歩 距離約4,5km

小田原短期大学前から小田原城天守を望む

 

人車鉄道・軽便鉄道小田原駅跡 今は歩道の脇に小さく碑が建つのみである

 

小田原文学館 西海子小路を西方向に100mほど進んだ左手が、田中光顕の別邸で、
その敷地内に「小田原文学館」「北原白秋童謡館」「尾崎一雄の書斎」があります。

 

滄浪閣跡 
滄浪閣は、伊藤博文の別邸として明治23年(1890年)に完成しました。
伊藤博文は明治26年(1893年)民法改正に着手し、起草委員に選ばれた3名の法学博士は
滄浪閣の一室に閉じこもって民法原案の立案執筆を行ったことからこの場所は「民法発祥の地」と呼ばれています。
小田原に来る途中の車窓から眺めた大磯の松林が気に入った伊藤博文は、明治30年に滄浪閣の名前ととともに大磯に移ります。
滄浪閣は養生館という旅館として再開発されますが、関東大震災で壊滅します。
現在は跡地に、伊藤博文の胸像と滄浪閣跡の碑が建っています。

 

 

正恩寺は真宗大谷派東本願寺の末寺です。
入口の鐘楼門は小田原市指定文化財です。
近年、吉川英治の先祖(小田原藩士)の墓が寺内墓地から発見されたとのことです。

 

 

山角天神社 
山角天神社は、地元の人々から「天神さん」と親しまれており、祭神は菅原道真です。
山角天神社の創建年代は古くて不明です。
ご神体は木造で、裏に「永禄4年極月吉日」と刻まれているとのことです。
山角天神社には、北条氏康が奉納したという「菅原道真画像」があります。

境内には芭蕉句碑や瓜生海軍大将の像があります。
瓜生外吉は、アナポリス海軍兵学校を卒業し、日露戦争(1904年~1905年)の仁川沖、蔚山沖、
日本海の各海戦で活躍し、1912年に海軍大将に昇進しました。
ここから西に200mほどの高台に別荘を設けた外吉は、小田原の生活をこよなく愛したとのことです。

 

 

一号線沿いにある「ういろう店」

 

ウォーキングの締めは再び小田原城天守閣を望む