身近な発見と出会いのブログ

普段見慣れている風景や身近な出来事などを話題にみなさんとご一緒に散歩しましょう。写真はクリックすると拡大表示します。

軽便鉄道の軌道を歩く・・・

2017年07月31日 | Weblog
軽便鉄道は、明治39年(1906)湘南馬車鉄道株式会社が秦野駅(現在の本町三丁目)から、
吾妻村(現在の二宮町二宮)間の道路9.6キロメートルに、幅2尺5寸(76.2センチメートル)の
軌道を敷設した馬車鉄道の運行が始まりです。

この鉄道は、明治35年(1902)東海道線二宮駅の開設に伴い、
吾妻村の有志が秦野町や南秦野村、井ノ口村の有力者と協力してできました。
馬車鉄道は1頭の馬が小さな貨車を引くもので、 明治43年(1910)6月の時刻表から、
秦野~二宮間を片道65分~75分かけ1日11往復し乗車賃は片道16銭、往復30銭だったことがわかります。
大正2年(1913)には、動力が馬から無煙炭燃料汽動車(蒸気機関)に代わり、社名も湘南軽便鉄道株式会社となりましたが、
大正7年(1918)に湘南軌道株式会社へ軌道特許権が譲渡されています。

当時の沿線は、わら葺屋根の民家がほとんどで、火の粉の飛散を防ぐため、独自に開発したラッキョウ型煙突を付けた機関車が、
客車や貨車を牽引していました。
客車には秦野地方専売局の職員や大山への参拝者が、貨車には葉たばこ、たばこ製品、木材、綿糸など、
この地域の産品が多く積まれ、産業の発展に大きな役割を果たしました。

しかし、自動車の普及や小田急線の開通により、利用者が減少し、昭和12年(1937)に姿を消しました。

今日は上記した軽便鉄道の軌道を歩いてみました。
盛夏中でもあり健康面を考慮し、秦野駅から大竹駅までの約半分の道程を歩き、後半は次回へと持ち越した。

秦野駅の記念碑はイオン秦野店(元日本専売公社秦野工場)入口の信号付近にある。
 

 

台町駅の記念碑は本町二丁目11番の信号付近にある
 

 

台町駅から大竹駅までは現在は宅地整備なども進み、軽便鉄道の軌道を歩く事が出来ない。
 

軽便みちの道標はところどころにあるものの、どうも心もとない。
上智大学入口信号付近にある「軽便みちの道標」
 

この付近で振り返ると大山が綺麗に見える
 

大竹駅の記念碑は西大竹の嶽神社付近にある
 

 

 

軽便みちの道標は大竹バス停付近にある
 

今回はここまでとし、秦野駅へと戻る。
現在の二宮秦野線
 

夏の象徴である「ひまわり」が咲いていた
 

丘の上から見た秦野盆地
 

秦野駅付近・・この道は多分軽便鉄道の軌道であったと思われる
 


夏季例大祭

2017年07月18日 | Weblog
今年も大磯の夏祭りの季節が到来しました。
私は宮役員になり3年が経過し今年で宮役員の交代です。
来年の左義長まで宮役員の仕事は残っていますが実質的にこの夏祭りで終了となります。

今年は天候に恵まれ、宵宮・本宮共に晴天で本当に暑い夏祭りとなりました。
 

神輿の浜降り風景
 

下町通りの渡御
 

宮役員の姿
 

 

 

お疲れ様でした


大井町を歩く・・・

2017年07月13日 | Weblog
7月11日火曜日、今日は大井町の「いこいの村」近郊の赤田地区を歩いた。
大井町は「ひょうたんの町」でもありそこここでひょうたんを見る事が出来る。
いこいの村でもひょうたんが大きくなってきた。
 

 

 

そんな中、栗も大きくなっている
 

赤田地区を歩いて見える風景
 コスモス
  

 竹林とアジサイ
  

 ユリも綺麗に
  

  


7月7日は七夕

2017年07月08日 | Weblog
今年も七夕祭りの期間を迎えました。
三日間という短い期間ですが、天気には恵まれそうです。
しかし西日本方面では七夕どころではない日々が続いています。
これ以上大きな被害が出ないことを祈っています。

さて、今年の平塚七夕祭りの様子を紹介します。
竹飾りも年々小規模になってきてかつての隆盛はどこに・・・
 

 

 

初日は10時半から選任踊りのパレードがあり、その先頭には今年選ばれた「織姫」三人が踊っていました。
 
楽しそうに踊っていますね
 
気が付いたら一番前で写真を撮っていました・・・良いのかな?(笑)
 

会場近くの平塚八幡宮には「茅の輪」が作られていました。