moving(連想記)

雑文(連想するものを記述してみた)

ネット系のテクニカルタームの利便性(身体性の回復)

2005-09-07 | エッセー(雑文)

ネット系のテクニカルタームはとても便利なコンセプトだ。
まだ日が浅いので歴史的テーマにとらわれていない分、
意味がすっきりしていて、わかりやすく整理しやすい。
が、物事を単純に還元、置換する姿勢に為りがちで、
知の浪費を良しとせず、効率的知の体系に傾く。
知は浪費するしかないものであって、いかに効率的に体系化しても
すべてはすくい取れない。
しかし、最近ではネットワーク系の用語を、用いるのが便利かとも思う。
接続、切断、遮断、継続、などのネッワークに映りこんだイメージは
関係構造の説明にすこぶる便利に機能するかもしれない。
ネッワークがもたらした身体のパースペクティヴは、
「ここ」「そこ」「あそこ」に同時にいて、「展望する」ことに近似の
体験を与えてくれる。
たとえば、個人と共同体組織の関係のアンビバレンスな問題
個人が契約することで成り立つ共同体組織の存立矛盾を解消し
組織の継続は維持ではなく、「鏡に映った鏡」のように虚像が際限なく
続く、「接続」行為であり、それは切断、接続という繰り返しのように
みえて、同じサイトが同じ内容ではないように「継続」されていること
接続、切断を可能とするネットワークの自動性・プログラムは
身体の能動性、運動の意味を回復させ、空間に閉ざされている身体に
解放的意味を促す。
「ここ」「そこ」「あそこ」で、「展望されている」
関係になり、それは多層構造という「見かけ」イメージをもたらし、
網の目状に偏在する「存在」を容易にイメージ整理させ、説明をやさしくする。
・・・と思うこの頃。