moving(連想記)

雑文(連想するものを記述してみた)

バイオ燃料と松岡農林水産大臣・・・雑談

2007-05-29 | エッセー(雑文)
最近自殺した松岡農林水産大臣は、国産バイオ燃料の大幅な生産拡大に
意欲的だったようだ。
日本の場合「米」などバイオ燃料の元になる生産物がおおかったので、
アメリカにも負けない生産力をつけようと目論んだのかもしれない。

それが、アメリカなどの農業輸出国の目ざわりとなって、
不明朗な事務所経費や官製談合事件に絡む業者からの
献金などの情報をリークされたのかもしれない。
過去大臣クラスが自殺に追い込まれた事件では、
必ず、C◎Aなどの情報操作があったと噂されていたが、
今回の事件も、その線が濃厚のような気がした。

強引ともいえる政治手法で存在感を発揮し、
「政治とカネ」をめぐるうわさがたえない政治家が
某国は、角栄氏以来嫌いなようで、
北海道の某政治家も、C○Aなどの情報操作に
陥れられたという噂があるらしい。
(将来、某国の経済的不利益になる政策を進めようとする政治家は
必ず、「政治とカネ」の悪徳性を暴かれて一線を退かされるという噂。)

聞くところによると、日本を農産物の輸出国として、推進させようと
目論んでいたようだから某国に睨まれて当然かもしれない。

しかし、日本の政治家て「カネまみれ」すぎて、
陥れられるのが簡単すぎるのも問題なのかもしれない。

自民党も安倍政権で新しさをイメージさせようとしていたが、
その体質は、小泉体制の反動か、旧体質を頑固に維持していることが
あきらかになったような気がした。
小泉体制でメッチャクチャになった後の処理だから
たいへんなのはわかるが・・・。
自民党は、また野党になって、世論をうまく吸収する休息が
必要なのかもしれないと思った。 

派遣労働の悪条件化諸問題・・・

2007-05-12 | エッセー(雑文)
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070512k0000m040149000c.html
によると派遣労働者の労災が急増しているらしい。
『派遣で働く労働者の労働災害事故が急増していることが、
東京都内の派遣業者を対象とした東京労働局の
06年の調査で明らかになった。
前年に比べ5割近い増加となっている。
急増の背景には、日々派遣先が変わる「日雇い派遣」が増え、
仕事に不慣れなことがあると見られる。
派遣労働者の労災実態が明らかになるのは初めて・・・。』とある。


3~5月頃だと、日雇い派遣で多い仕事といえば、男子では、引越しだろう。

といっても、派遣の場合その条件は極めて悪い。
4~5階の団地マンションの階段要員と呼ばれる仕事になり、
重い荷物をもって2~3人で手渡し、50~100往復もしなくては
ならなくなるようだ。
さらに、引越し業者によっては2箇所3箇所と安い賃金で
(日給7千円前後と思われる)使いまわすらしい。
当然、小遣い稼ぎの20代の若者は賃金と労働が見合わないので、
そんな派遣先の仕事を断る率が多く、
生活がかかっている30~40代のリストラ派遣労働者が
悪条件の現場に赴かされるようだ。
当然、足腰に負担がかかり疲労も蓄積されるが、
翌日も同じような条件の現場へという悪循環が重なるのが実態らしい。
(膝や腰の故障につながり、踏ん張りがきかなくなって
事故を起こすケースが多いようだ。)
膝や腰の故障は、目に見えず、本人も後になって自覚するので
表立つ事が少ない、49.6%増とされているが、実際は日雇い派遣の
労働者では、7~8割増しの事故がおきているとおもわれる。

軽作業の女性派遣が増加し、男性派遣先の労働条件はいっきに悪化し、
たとえば、倉庫作業等に派遣されても、その社員食堂を使用できず、
朝コンビ二で弁当を買って、休憩所で食べようとしても座る場所もなく
路上で食べるなど日常茶飯事とのこと
このような条件では、昼休憩時間で疲労をとるどころではなく、
休憩の意味もないだろう。
蓄積された疲労から事故が頻発するのは、当然ではないだろうか。

女性の倉庫作業でも、比較的軽い作業といわれているピッキングという仕事が
あるらしいが、一日しか作業しない派遣労働者に
作業の数字化した張り紙を見せて、圧力をかけている業者があるようだ。
現在は機械化されていて商品バーコードを読み取ることで、
瞬時に何点ピッキング出来ているのか分かるらしい。
そのシステムを利用し、派遣労働者に
~の派遣会社は成績良いのに~の派遣会社はダメだ
というように競わせ、移動にも小走りさせるように仕向けているようだ。
(しかし、無駄に疲労が蓄積され場所の把握ができなくなり
混乱すると思われる。あげくのはてに疲労から階段を踏み外したりして
怪我をする女性が増えているようだ。)
元々はいくつもの派遣業者を採用し、癒着を防ごうとしていたらしいが、
しかし、逆にこのシステムで癒着がおきているとの噂もあるらしい。
ピッキング作業は、経験というか「どこに何があるのか」熟知していることが
その作業の効率を高めるわけで、一日しか派遣されない者は
常時そこで作業している者の半分にも満たないのが当然であり、
それを無理やり成績表を張り出し、仕事が出来ないというプレッシャーを
かける方法をとるなど言語道断といえるだろう。

「事故はおきるべくしておきている」と労働省関係者は認識すべきだろ。 


米大学の乱射殺人事件に薬物依存のイメージが重なった。

2007-04-20 | エッセー(雑文)
米大学の乱射殺人事件の報道で、気になる点がいくつかあったが、
特に、自殺の兆候があり精神治療をすすめられていたという記述は、
先ごろのインフルエンザ治療薬タミフルによる「異常行動」と
この痛ましい事件のイメージを重ねてしまった。
もしかすると、この事件は、タミフルのように、向精神薬による
「異常行動」に原因がもとめられるようになるのかもしれない。

一見テロリストの犯行声明に似ているような演出をほどこしているが、
犯人の挙動不審な様は、薬物などによる異常行動の様子に似ている気がした。

薬物が蔓延している欧米社会の歪みが、貧困層の暴発をうながしているような
気もする。
くしくも長崎市長も暴力団と思われる犯人に狙撃されているが、
ここでも、薬物による誇大妄想的な動機が垣間見える気がした。

宮崎知事のように冗談ネタにするような内容ではなく
病院治療における「薬づけ」、ドラッグストアの薬剤師問題など
薬物依存を加速させる体制には、もっとセンシティブになる
必要があるような気がした。

意味が深層的に構築されていく・・・ひとつの解釈

2007-03-16 | エッセー(雑文)
某掲示板でよく目にするのが、「~たたき」という有名人の
評判を落とすような「アンチ応援スレ」という表現スタイルであるが、
これは、いかなる構造によって、意味がなされているのだろうか?

いろんな組み合わせ、ズレが生じていく言葉の自動律のようなものを
想定することも意味はあるだろうが、
それより、深層心理的構造を想定したほうが納得しやすいかもしれない。

たとえば、女子フィギュアスケーターが、優勝しなかっただけで
手のひらを返したような「アンチ応援・表現」のオンパレード。

これは不思議な現象である。
若干未成年の少女が、コツコツ10年以上も努力し、ようやく
その実力を発揮したことを無視して、その悪口の羅列は、
人を蹴落とす快感の様相をしめしているが、
それだけなのだろうか?

いろいろな文章スタイルを読んでみたが、一つ気づいたことがある。

それは、「裏切られた」という感覚によって成されている行為ということである。
「裏切られた」というのは「期待」である。

人は、聖人君子でもないかぎり人間関係には、つい「何かを期待」している。
株式投資においては、当然のごとく直接的な利益を期待したり、
あるいは、スポーツの応援では、優勝への期待だったりするわけである。

だが、その個人の期待感が充足されず、過剰に「反感」という気分になるには、
社会的な状況に左右される「心の脆さ」というものがあるのかもしれない。

日常生活においては、政治体制を感じることは少なく、
ある意味、民主主義体制において、基本的に「誰かのせいにすることは
出来ない。」というセオリーは深層化している。
自分たちが選んだ政治家によって成される体制だから、
それが一部の富裕層のための仕組みだとしても、政治家を公然と
「~たたけない」
いや「たたいても意味がない」という構造が露呈するのである。

そして、貧富の差が拡大する格差社会を肯定する体制下において、
その不満、恨みの矛先が
どこへ向けられるのかといえば、

ホリエモンのような一攫千金を狙う人を欺くタイプではなく、
コツコツ努力をして、ようやく注目を浴び成功したというような
シナリオの主人公(一般的な庶民の生活態度)にたいして
向けられた期待が、裏切られた時に
ルサンチマンが発生しているような気がする。
つまり、自分たちの代表的な生活態度、コトコツ努力して成功をおさめる
というシナリオが幻想であると思い知らされることに
恐怖しているのかもしれない。

だとしても、本来弱者の強者に向けられなくてはならない
ルサンチマンが、それてしまっていることに変わりはない。

強者の思惑は成功し、弱者はまさに、コンセプト的には、
収容所送りの有様なのかもしれない。 

バンキシャを見たが・・・

2007-01-15 | エッセー(雑文)
バンキシャという番組を見たが、何を伝えたいのか
今ひとつ迫力に欠ける報道であった。

某急成長した清掃会社の研修模様を伝えたものなのだが、
研修旅行のスケージュールを参加者に偽り、韓国式軍隊体験をさせるものという
ものであった。
会社側は、営業と現場社員の団結を図ることを目的としているといっていたが、
それなら、ドッキリ番組のような参加者をだますようなことをするべきではない。

参加者の1名は途中具合が悪くなり、棄権(ドクターストップ?)
という状況にまでなっていた。
これは問題だろう。
労働者は会社の隷属物ではない。
対等な契約によって、勤務内容がきめられるべきであって、
研修を名目に会社に都合のよい内容を強要すべきではない。
これが、欧米なら裁判沙汰になるだろう。

さらに、おかしいのは、清掃現場と営業部門と独立した経営体制である。
急成長したことから推測するに、営業部門は完全歩合
清掃従業員は派遣労働者による最近の人材登用の方法を踏襲しているものと
思われるのだが、その状況での研修となれば、派遣労働者に仕事を指示する
リーダー的人材の確保を目的としていることであり、その実体は、
不平不満の封じ込めを目的としたリーダー性を発揮できるものを
確保するということでしかないのではないか?

某派遣ドラマのようなスーパーな派遣労働者など活躍できる現場など皆無であり、
さらに、軽作業を中心とした派遣労働者が急増している現状隠蔽としか思えない。

派遣会社とそれを利用する会社との「事故」責任問題が悪化しているような、
昨今の労働環境を考えるなら・・・もう一歩突っ込んでほしかった。
(所詮エリートが作る番組は、富裕層に都合のいいものでしかないのかw。) 

成人式の格差は誰の責任か!

2007-01-10 | エッセー(雑文)
1月8日は成人式、祝日になっているわけであり、
来るべき国の担い手である20歳の子供たちを
大人として迎える祝いといえるだろう。

しかし、教育理念における、競争における機会均等というものは
建前に堕してしまった。

財政破綻した市町村の成人式
北海道夕張市は、
例年開催費として補助されていた60万円もゼロに。
実行委員会の呼び掛けに、全国から230万円を超える募金が集まり、
かろうじて「手作り成人式」が実現した。
同じく、財政破綻の危険性が高い
歌志内市の成人式の市の予算は6500円というていたらく。

と思えば、裕福な市の成人式では、出席者の一部が騒いで混乱
逮捕者までだすという始末である。

教育学をかじったことがあるものなら、成人式がその集団成員の重要な
教育システムであったという歴史観を知っているだろうが
競争社会に組み込まれる最後の平等、均等な出発イベント、象徴で
なければならないもののはずが、
格差を「居直り」ともとれるような肯定をする職業政治家達の
プロパガンダのために、
いびつな泥舟国家に乗り合わせるという2007年年明け事情となった
ような気がした。
アメリカの政治的な意向に沿うということが原因で起きた
郵政民営化、国防省への格上げ、格差社会化、陰湿な弱い者イジメ、
と続く社会的歪みは、もはや個人的な努力では乗り越えられないところまで
来ているように痛感してしまう。

さらに、報道する者のいい加減な姿勢も問題である。
夕張市の「手作り成人式」にたいして「いい経験になったでしょう。」という
ような意味合いのコメンを公的な放送で述べる女子アナには飽きれたものである。
放送局職員が、現状、明らかに裕福な勝ち組であることを自覚せずに、
そのコメントが、ある意味「蔑み」と受け取られても仕方が無いような、
まさに「格差」を強調する優位性を誇示する姿勢は問題ではないか。

弱肉強食という古臭いカビた物語性を若者に刷り込ませ、
親子関係さえ、希薄化、姉妹兄弟にいたっては、愛憎劇に
仕上げてしまうシナリオ・・・その知性は「痴性」へと定着したかのようだ。

キツネが格差社会を肯定し、その後継者のタヌキは、
泥舟に国民を乗せようとしているように見えてしまうのは・・・。
そのうち、ウサギさんが出てきて、お婆さん、お爺さんの仇をとるという
物語性が敷衍するかもしれない。
(自衛隊の予算要求が可能になって、より戦略性豊かな作戦参謀が
育成されれば、タイのように、軍隊主導で革命が起きる可能性も
・・・あるかもw。) 



フセイン元大統領の絞首刑動画がアップされていた

2007-01-01 | エッセー(雑文)
フセイン元大統領の絞首刑動画がアップされていた。
独裁者の末路・・・その見せしめということでしょうね。

ある意味、フセインは差別を助長する「イジメ」を徹底し、
虐殺をおこなったわけだから、その結果の報復であり、
当然の結果という裁きだったのでしょう。

動画は以下で確認できるようだ。
http://www.liveleak.com/view?i=863ce7d4a3

http://video.google.com/videoplay?docid=-7532034279766935521

一休和尚だったか「新年は、死出の旅路の一歩・・・」とか言ったのは
感慨深い出来事だった。

昨今の機械化、システム化された社会では、
人間は一人では生きることは可能かもしれないが、
その人格、性格、キャラといったものは、
他者との連なりの中でしか成育できず、
より豊かな関係性は他者との親和性によってのみ
築かれるのではないだろうか?
そういう意味では、不公平な競争に基づく格差社会に未来はない。
また、第二のフセインを誕生させるだろう。
安倍内閣は深く反省し、公正で公平な人事に配慮すべきだろう。
ましてまた、二世、三世議員で固めるなんてもってのほかとしかいいようがない。 

いざや カブかん!という曲を聴いた・・・

2006-12-26 | エッセー(雑文)
とある所で、偶然に聞いた。
「いざや カブかん!」という曲は、面白い。
NHK教育の人気番組『からだであそぼ』から生まれた話題の曲らしい。
市川染五郎がプロデュースし、歌舞伎の見得や名セリフ、
動きなどを採り入れたユニークな振付も人気を呼んでいるとのこと。
もう一曲、歌舞伎の合いの手のような掛け声の入った曲を
聞いたが、曲名を忘れてしまった。
この曲を聴いていたら、フィギュアスケートの織田選手の姿が
浮かんできた。
エキシビションの曲として、アレンジを加え採用すると
世界に驚きを与えるかもしれない邦楽となるかもしれない。
・・・などと勝手に想像してみた。

シングルも出ているらしい
(1)歌舞伎たいそう いざや カブかん!
(2)いざや カブかん!(ショートバージョン1)
(3)いざや カブかん!(ショートバージョン2)
(4)いざや カブかん!(ショートバージョン3)
(5)いざや カブかん!(カラオケバージョン)
(6)名のり「いざや 名のらん!」(市川染五郎バージョン)
(7)名のり「いざや 名のらん!」(カラオケバージョン)

という構成になっているようだ。

回転すしの角席てダメポ

2006-12-18 | エッセー(雑文)
たまに回転すしを食いに行くが、
一人で行くため、混んでいると、たいてい
角席に案内される。

そうなると、とても食欲が急減する。
4~5枚食べただけで、次の皿をとる気が失せ
会計して帰る昨今。

なぜなんだろう? まだ腹が膨れている訳でもないのに

これは私にとって、アクションRPGと同じ理由なのかもしれない(笑
つまり、ゲーム進行するためのアクションが苦手なため
いかに「ファイナルファンタジー」のような名作でも
購入意欲が失われるのと同じということだ。

回転すしの角席は、思ったより皿が取りにくい。
それも、右手で取り難い仕組みになっている。

目の前に来る直前あたりで、速攻に取りにいかないと
出遅れ前後の皿に阻まれ、とり難く、その面倒くささといったら
嫌になってしまうのである。
さらに不快なのが後ろを通る客が背中をかすりながら
通過していくことが多いこと、特に冬場は着膨れているので最悪である。
回転すしでは、思った以上に『感覚』が研ぎ澄まされていて
特に味覚を阻むような『ノイズ』が多いと、その食欲は失われる。

反射神経の鋭い学生や図太い神経の持ち主なら気にならないだろうが、
繊細な感覚な持ち主は、100%不快になるのではないだろうか

回転すしの経営者は、その点を考慮して、角席は無くしたほうが
いいと思うが、経営効率優先でギュウギュウ詰めの席で客の回転効率を
上げることばかりに、躍起になっているんだろうなぁ
ましてこの時期は・・・。

しかし、客側にしてみれば、角席で不愉快な感覚で飯が食える訳もなく、
立ち食い蕎麦のほうが数段ましと思うのである。 

チンギス・ハーンの番組を見た印象

2006-11-18 | エッセー(雑文)
チンギス・ハーンを英雄視する傾向が
現モンゴルで、盛り上がっているのか
たぶんモンゴルのTV局が制作したと思われるドラマを
挿入しながら、語られたそれらしき歴史観。
なかなか面白かったが、旧ソ連に組み込まれていたときの
モンゴル自治体の話のほうが興味津々。
しかし、ほとんど、その点は踏み込んで説明されていなく、
なおかつ、チンギス・ハーンからフビライに継承され
中国文化に侵食された元帝国についても何も語れなかった。

歴史的に一番重要な点に触れず、情報ネットワークを
いち早くきずいた偉大な人物というところばかり強調していたが、
それは、チンギス・ハーンの専売特許ではない。
狼煙もすでに、アレキサンダー王の侵略戦でも使用されていた
という報告もあるし、駅伝のシステムも存在していたらしい。
(日本の壬申の乱の時代においてさえ、巧妙なスパイ合戦、
張り巡らされた情報網を駆使して戦われていた。)
戦争は戦略を整えることで、実際に戦う前に決着がついている
といわれるほどの情報戦なわけであり、常勝不敗の英雄は
ほとんど、情報を戦争の重要なファクターとし、
生物である情報を、いち早く選択できることを可能とする
システムに多大な人力・費用をかけている。
さらに、戦争の本質が侵略であり、なぜ侵略という行為に
駆り立てられなければならなかったという考察もなかったのは
残念であった。
同盟・契約によって成立した国家は、その契約に見合った報酬を
与えなくては維持できないというルールに縛られる。
そのため、自国の生産性によって供給できない場合、
侵略、略奪という手段に及ばざるを得ないという歴史が
展開していたわけであり、その積み重ね中に現在の
社会体制があるのであって、
チンギス・ハーン、フビライの言葉も、倫理的な「人との融和」
ということではなく、
政治的な意味合いでは人臣(人心)掌握術というものと考えたほうが
自然だろう。

結局、ユビキタス社会というイメージを、より身近に感じて
もらうためのプロパガンダ的にまとめているのがあざとらしく、
格差社会化し、その反映ともいえる子供のイジメ問題を
突きつけられている現状には(ネットイジメも考慮するなら)、
ユビキタス社会が人に優しい便利な社会に直結するとは
限らず、安直な姿勢に、無理があると思わざる得なかった。