染井 吉野とは?

2016年04月02日 | 田園
 
 文句なしの『ソメイヨシノ』。



この頃が一番、美しい。二分から三分咲きかな。なんせ桜にとっての時間の流れは、人間の感じるそれと全く違いますから。
花びらの開いているものは『満開』ですが、他のはまだ蕾です。全体的に見て、○分咲きとか満開とか言っているんでしょうね。



こちら側はいっぱいに開いていても、すぐ向こう側は蕾の状態が様々に異なっています。

私たちを惹きつけるのは、やはりこの頃のサクラが一番ですね。  



ソメイヨシノの美しさは、何といってもその色合い。花だけが最初に萌え出るのも、このサクラは自らそれを意図してるかのようです。

さぁーっ、咲きますよっ






やはり野に咲け、スミレ草

2016年04月02日 | 田園

やはり野に置けスミレ草。





以上です。

こんな小さくて可憐な花、他の草花が勢力を増すほんのちょっとばかり前に、かちんこちんのアスファルトの隙間やわずかに覗く土の空間から、『出てるよー。』とそのささやかな花を結ぶ。

言うことなし、野の足元が彼らの世界。


崖の壁(2)

2016年04月01日 | 田園

 続きです。

この写真は正面図になります。つまり壁がほぼ垂直に立ち、植物もほぼ垂直に生えています。





ツタや枝は垂れ下がっています。  
これはまた、木の足元ですね、まるで靴を履いているかのように。




下の道路際からは、普通に生えた植物が枝をのばしています。




崖の壁

2016年03月31日 | 田園

 以前アップしたことのある天然の土壁?です。

小さな丘の縁に小道ができ、人々がそこを歩いて道が大きくなって、手前の方は今では立派な舗装道路になっています。

当時から生えていた木や竹などの根っこがむきだしになり、普段は見られない地下世界が出現しているかのようでもあります。





そこに風雨に晒されて、カビや地衣類がついて地味ながら味わいのある景観が出来上がっています。





やがて年月が経てばさらに風化がすすんで、これら竹や木の根も本体ごと崩れ去っていくことでしょう。












畔桜

2016年03月30日 | 田園
 田の畔に植えられた桜があります。

それとも自生した桜をそのまま残して育てたのでしょうか、そのたたずまいが何かしら心に残っていましたので、うっすらとつぼみをつけたこの日、そっと寄ってみました



このようにして、畔のまん真ん中に生えています。





これはもうすぐ満開になりますね。平均すると2分咲きから3分咲きかな。









とにかく形が整っていて美しいたたずまいです。ソメイヨシノとは違いますし、一般のヤマザクラとも違うようです。

勝手に『畔桜』とつけました。





阿木川湖の反対側

2015年04月10日 | 田園
かの「UFO」写真の、阿木川湖です。

早朝に行って、写真撮ってきました。

  たなびく朝もやの画面右少し上方が「UFO撮影地点」になります。  ま、そんな宇宙物理的な事象はおいといて、純粋に美しい春早朝の風景です。

  朝もやたなびく湖面が、少しづつ朝日を受けて変わっていきます。


  桜の花が輝いているのがマレットゴルフ場です。阿木川湖は夏場になると一大バーベキュー場になるようで、皆様ご想像通りの「オキャクサマ」が押し寄せてそれはそれは賑やかになるそうな。
 
 でもまだ今は静寂を保っているようです。

 ついでですので、フゥフゥ言いながら道の上の方に歩を進めてみました。




  ダム湖の反対側の斜面には、このような風景が広がっていました。 「休耕田」です。イグサ科の植物が、そろそろ台頭しようとしています。

  わずかに耕作されているのは、休耕田の向こう側にぼつんとある田んぼだけ。

  4~5年も経ってしまうと、もはや復旧に手間取る放置田になってしまいます。  ↓  ここまでの圃場整備にいったいどれだけのお金と手間をかけて、どれだけの人々が関わってきたのか。  高齢化・人手不足でその努力が水の泡になっていることを思うと、とてもいたたまれません。




明智鉄道車窓から②

2013年06月09日 | 田園
何の変哲もない、それでいいのです。

  雑木山は頻繁には手入れされずぐちゃぐちゃで、見ると下の田んぼは起こされてもおらず、車が入るにしても狭くて不便そう
このようなところにわざわざ行って、何かしようにもまず何したらいいか思いつきもしませんし、自分には経験がないので想像しようもない。
一般の方はまずそう思われるのでないでしょうか。 第一、人んちの持ち物だし。ですから、過疎の町や村は一生懸命イベントを開催しては市街地の住民を、ほんの一時でも「おらが村」に出向かせようとするのでしょう。
土地の持ち主が いらっしゃい、お出でなさいと誘えば来て下さる方もお見えになるでしょうから。

  この写真の背景の山の斜面をご覧ください。夏になればもっと茂って、草まるけです。虫にも刺されます

仮にもし、この山の持ち主が「お客さん」をお呼びしてこの沢で何かイベントのようなものを開くとしたら、参加人数にもよりますが、それ相応の下準備をしなければならないことでしょう。下草を刈る、道をつける、食事やバーベキューの用意ができるようにしておく、お客様が疲れたらお風呂の用意。宿泊ができるようならなおよろしい。 お客様をもてなすのは大変な作業なのです。
 これは以前ご紹介した 花白温泉 を明智鉄道線路脇から撮影したものです。向こうに見える 花白温泉へは、花白駅から約15秒。全国的にも、鉄道駅に直結している数少ない温泉のひとつでしょう。

温泉に入れますので(腕のいい料理人さんがいるそうです)入浴後、食事してゆっくりできそうです。しかも そういうことを考案した地元の方々がいらっしゃいまして、田んぼに水が入り代掻き・田植えのシーズンが近づくと近くの水田で「どろんこサッカー」のようなこととかやられるようで。


ただ、花白温泉を利用した食事入浴はできますが、宿泊施設がこの近くにない。それだけは残念ですね。


http://hanashiro.net/  ← 花白温泉HP

http://yamaokakankou.com/ibento-12%20doronnko.html ← どろんこサッカーHP

まちなかの棚田

2013年06月08日 | 田園
大都会なわけではありません、ふつうの田舎町です。
  なだらかな丘陵地の一角を何年もかけて稲をつくり石垣を積み、このような小規模な棚田になったのでしょう。

山間の広大な斜面に繰り広げられる 千枚田 ばかりが棚田ではありません、自家用に2~3枚 作られてきたこのような 段差のある田んぼも立派な 棚田です。

もしこの土地が、棚田になっておらず 山林のままであったらどうであったでしょうか。 そうでなくて もとは湿地帯か池沼だったのかもしれませんが、田んぼになって人々の食の源となると同時に、百姓が足繁く通う作業場に変わり人の手と目とが日常的に入り続ける管理地になっていったのです。

米という食料生産が、主目的です。今の時代、あまり米を食べなくなっています。ですが、食料自給率の低い日本だからこそ本当に深刻な食糧危機をいつも想定していないといけないのでは。

東南海地震とか富士山噴火などを心配している場合ですかね

  
     
                    
                            

                                 ネコそうだニャー

明智鉄道車窓から

2013年06月04日 | 田園
昨年の画像です。

名古屋と松本・甲府・東京を結ぶ 中央線、その名古屋寄りに恵那市駅
がありまして、そこのホームからローカル線である 明智鉄道 が出ています。寒天料理やら趣向を凝らした出し物で頑張っているイベント列車で有名です。

MHは、逆コースを辿ってみました

つまり、 恵那駅→明智鉄道→明智駅 ではなくて、 瑞浪駅→路線バス→明智駅→明智鉄道→恵那駅 でトライ。  


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これっ、わっかりにくいですねー。もちろんMH腕が悪いからに決まってますよ、えーぇーそうですとも。 ですが、ボロマウス一本で神経集中しまくってやっとこの程度。 ヘタウマ?ちがいますねー。要は完全にヘタクソ、ただそれだけでございます。

JR瑞浪駅から明智駅まで山合いの道をしばしゆきますと、バスは静かに明智駅前に到着

大正村、というんだそうで。そうやって売り出しています。はっきり申しましてふつうの町おこし、ですね。また機会があれば散策しに来ますよ。でも今日は春の里山などを、バスやディーゼルカーで巡ってみるのが目的。  みずいろの窓によりかかりて、ひとり愉しきことを思わむ。
 

なんにも特色のないようなこの田園風景は、どうでしょう。

  愉しきことを思って窓によりかかっておりますと、特色のないところにこそ特色が潜み、それを生かせる素地がいくらでも備わっているように思えてきました。


土壁

2013年05月19日 | 田園
ときどき通りかかる場所に、このような所があります。



右手は舗装道路でして、車も人も通る広い道ですが 以前は左手の丘の斜面を削ってつくられた農道であったと思われます。長い年月かけて竹や木の根がしっかりと食い込み、苔や地衣類が生え、風雨によって下の方を少し削られて オーバーハング気味のみごとな 土壁 になっております。
 大昔は川であったのでしょう、下の部分には小石が目立ち、角が丸いことからそこそこの流量があったことが想像できます。
そこから上の部分は粘土質の赤土が堆積しているように見てとれますので、地形などの変化によって比較的ゆるやかな水流に運ばれてきたものなのではないでしょうか。
このように地層面が露出しますと、侵食作用により次第に露出面が変化していきます。
岩石土砂以外にも、植物がそこに関係してきますので、これはあくまで想像ですが、(1)風雨・雨水が崖の表面の細かな砂を運び去る。(2)崖下層部に多い丸石が脱落して穴があき、侵食が進む。(3)上部から中間層には植物の根が進入していくので、侵食の速度が小さくなる。
このようにしてオーバーハング土壁ができていくのでは。



土壁建築もこれに倣ってか、木や竹の骨組みにワラ簾さを練りこんで発酵させ粘りを出した 壁土 を塗りつけて整形していきます。古い民家の、崩れかけた土壁は ある種の貧乏くささや寂寥感を感じさせるものですが、目を転じて こういう天然の土壁状態 に評価を与えてみましょう。

なかなか、味わい深いと思いませんか。