【鏡】ゴーゴリの短編「鼻」が書かれたのは1836年、日本では天保7年、将軍家斉の時代である。翌年、大阪で大塩平八郎の乱が起こっている。
「鼻」に出てくる「八等官コヴァリョフ少佐」はある朝、ベッドの中で鼻のニキビ(酒皶?)が気になり、召使いにテーブルの上の手鏡を持ってこさせる。鏡を覗くとニキビどころか鼻が消え、顔がのっぺらぼうになっている。少佐は週に2回、外商のもぐりの床屋に顔を当たらせている。
同じ頃、かみさんが焼いたばかりのパンを朝食に食っていた床屋は、パンの中から鼻が出てきてびっくり仰天する。そそくさと食事を終え、鼻をボロ布にくるんで川に投げ棄てる。
散歩に出かけた少佐はハンカチで顔を隠して歩いていたが、気になってしようがないので、途中で喫茶店に入り、大きな鏡でもう一度、顔全体を見つめ直す。やはり鼻がすっかりない。店を出ると なんと「鼻」が外套を着て歩いている…
http://www.frob.co.jp/kaitaishinsho/book_review.php?id=1373263351
とまあ、カフカの「変身」はここから着想をえたのではないか、と思わすような 奇想天外なストーリーが始まるのだが、「鏡」というものが、どうも庶民の家庭にないような記述になっているが 引っかかる。
ノーラットランダーシュ「ユーザー・イリュージョン」(紀伊國屋書店)は、「<自意識>というものは ローマ時代にはあったが、中世になって消失し、ルネサンスの頃にまた復活した。それは鏡の使用と関係がある」と注目すべき意見を述べている。ゴーゴリの「外套」も「鼻」も 主人公は「自意識」である。
気になって「鏡の歴史」を調べてみた。ベックマン「西洋事物起原(三)」(岩波文庫)には、ガラスを吹いて大きなフラスコを作り、これを切り取って熱アイロンで引き延ばして板ガラスにし、片面にスズ箔を貼り付ける鏡は、13世紀にイタリアのピサで発明されたとしている。平凡社「世界百科大事典」では15世紀ヴェネチアで工業として栄えたとする。
手鏡でない大型の「姿見鏡」が作られたのは、板ガラス鋳造法とガラスに硝酸銀液を塗り、ついでこれを還元して金属銀被膜をつくる技術が開発された18世紀中頃のことで、ベックマンは この特許は1843年ドレイトン(Drayton)が取得したとする。日本語WIKIでは1835年、ドイツの科学者リービッヒの発明としている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/鏡
いずれにせよ、1836年、ゴーゴリが「鼻」を書いたときに、ペテルブルグに現代的なガラス鏡がなかったことは確かであり、顔全体が移るような(スズ裏打ちの)大型鏡は高価だったことがこれでわかった。ちなみに江戸期の鏡はすべて金属鏡で、定期的に磨がないと曇るから「鏡研ぎ師」がいたという。
ロンドンで第1回世界万博が開かれたのが1851年。この時、英国は鉄骨と板ガラスだけで作った6階建てで、上に巨大アーチが載った「水晶宮」を出品している。この時のガラス板の長辺は1.22mだったという。
ルイス・キャロルの「鏡の国のアリス」が書かれたのが、1871年。これはアリスが炉端の鏡の中に入って行く話だから、少女の身長より長い姿見が、普通の家庭にもう普及していたのでなければ、話が合わない。
「自意識」があるから鏡を覗くのか、鏡を覗くから「自意識」が生まれるのか。「近代的自我」は日本の場合、明治期になって発生しており、ロシアでもゴーゴリ以後に生まれるように思う。
してみると、ノーラットランダーシュのいう「鏡と自意識」の相関説は、さらなる検討に値するようだ。
「鼻」に出てくる「八等官コヴァリョフ少佐」はある朝、ベッドの中で鼻のニキビ(酒皶?)が気になり、召使いにテーブルの上の手鏡を持ってこさせる。鏡を覗くとニキビどころか鼻が消え、顔がのっぺらぼうになっている。少佐は週に2回、外商のもぐりの床屋に顔を当たらせている。
同じ頃、かみさんが焼いたばかりのパンを朝食に食っていた床屋は、パンの中から鼻が出てきてびっくり仰天する。そそくさと食事を終え、鼻をボロ布にくるんで川に投げ棄てる。
散歩に出かけた少佐はハンカチで顔を隠して歩いていたが、気になってしようがないので、途中で喫茶店に入り、大きな鏡でもう一度、顔全体を見つめ直す。やはり鼻がすっかりない。店を出ると なんと「鼻」が外套を着て歩いている…
http://www.frob.co.jp/kaitaishinsho/book_review.php?id=1373263351
とまあ、カフカの「変身」はここから着想をえたのではないか、と思わすような 奇想天外なストーリーが始まるのだが、「鏡」というものが、どうも庶民の家庭にないような記述になっているが 引っかかる。
ノーラットランダーシュ「ユーザー・イリュージョン」(紀伊國屋書店)は、「<自意識>というものは ローマ時代にはあったが、中世になって消失し、ルネサンスの頃にまた復活した。それは鏡の使用と関係がある」と注目すべき意見を述べている。ゴーゴリの「外套」も「鼻」も 主人公は「自意識」である。
気になって「鏡の歴史」を調べてみた。ベックマン「西洋事物起原(三)」(岩波文庫)には、ガラスを吹いて大きなフラスコを作り、これを切り取って熱アイロンで引き延ばして板ガラスにし、片面にスズ箔を貼り付ける鏡は、13世紀にイタリアのピサで発明されたとしている。平凡社「世界百科大事典」では15世紀ヴェネチアで工業として栄えたとする。
手鏡でない大型の「姿見鏡」が作られたのは、板ガラス鋳造法とガラスに硝酸銀液を塗り、ついでこれを還元して金属銀被膜をつくる技術が開発された18世紀中頃のことで、ベックマンは この特許は1843年ドレイトン(Drayton)が取得したとする。日本語WIKIでは1835年、ドイツの科学者リービッヒの発明としている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/鏡
いずれにせよ、1836年、ゴーゴリが「鼻」を書いたときに、ペテルブルグに現代的なガラス鏡がなかったことは確かであり、顔全体が移るような(スズ裏打ちの)大型鏡は高価だったことがこれでわかった。ちなみに江戸期の鏡はすべて金属鏡で、定期的に磨がないと曇るから「鏡研ぎ師」がいたという。
ロンドンで第1回世界万博が開かれたのが1851年。この時、英国は鉄骨と板ガラスだけで作った6階建てで、上に巨大アーチが載った「水晶宮」を出品している。この時のガラス板の長辺は1.22mだったという。
ルイス・キャロルの「鏡の国のアリス」が書かれたのが、1871年。これはアリスが炉端の鏡の中に入って行く話だから、少女の身長より長い姿見が、普通の家庭にもう普及していたのでなければ、話が合わない。
「自意識」があるから鏡を覗くのか、鏡を覗くから「自意識」が生まれるのか。「近代的自我」は日本の場合、明治期になって発生しており、ロシアでもゴーゴリ以後に生まれるように思う。
してみると、ノーラットランダーシュのいう「鏡と自意識」の相関説は、さらなる検討に値するようだ。