ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【歴史の評価基準】難波先生より

2019-02-28 08:02:31 | 難波紘二先生
【歴史の評価基準】
韓国の国会議長文喜相(ムン・ヒサン)が「慰安婦問題について「戦犯寛仁日王(天皇)の息子である明仁現天皇が退位する前に渡韓して、存命の慰安婦に直接謝罪せよ」と発言して大問題になっている。しかし本人は謝罪する気がないと述べている。

文喜相とはどういう人物か?「中央日報」2/12の記事によると、
https://japanese.joins.com/article/138/250138.html?servcode=A00§code=A10&cloc=jp|main|ranking

<1945年生まれの文議長は、1992年第14代国会議員に選出されながら政治生活をスタートさせた。盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権時代である2003年には大統領秘書室長を務め、2016年には第20代国会議員選挙に当選して6選国会議員になった。2018年7月からは第20代後半期国会議長を務めている。

文議長は2017年5月に文在寅(ムン・ジェイン)大統領の日本特使として東京を訪問して安倍晋三首相と会談を行ったこともある。>、ともある。

 文在寅は同じく盧武鉉大統領の秘書で、文喜相とは同士である。文在寅の側近に慶尚南道知事・金慶洙(キム・ギョンス)がいる。2017年の韓国大統領選挙に際して、「ドゥルイド・キング」ことキム・ドンインが率いる一味9人を指揮して、文在寅に有利な世論操作をネットでおこなったとしてソウル地裁で懲役1年の実刑判決を受けている。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190131-00032702-hankyoreh-kr

 「ドゥルイド・キング」について、一部メディアは「ドゥル・キング」とも報じているが、これは「ドルイド・キング」が正しいだろう。ローマ帝国の北への拡大以前にガリア、大ブリテン島、アイルランドに広がっていたケルト人の宗教であり、社会の中核を成していたのが「ドルイド」と呼ばれる司祭階級だったので、「ドルイド教」とも呼ばれる。
 朝鮮にはシャーマニズムが今でも生きているから、「神のごとく世論を操ろう」と企んだ連中にしてみれば良い命名だったろう。(M.エリアーデ「世界宗教史3」ちくま学芸文庫)

 2月20日付「中央日報」に<「言葉だけで『独島は韓国の領土』と叫ばず根拠を教えるべき」>という見出しで以下の記事(部分)が載っている。
https://japanese.joins.com/article/372/212372.html?servcode=400§code=400

<2007年7月に忠清北道忠州市(チュンチョンブクド・チュンジュシ)のある骨董店から連絡が来た時だ。独島関連の古地図が入ってきたという店の主人の連絡を受けて駆けつけた彼(注:韓国の歴史学者)は驚いた。1895年に日本軍が描いた地図には、独島と鬱陵島が韓国の国境線中に明確に描かれていた。>
 可笑しさに思わず吹き出した。

 そもそも領土の先取権争いがこの問題の本質なのだから、韓国が「竹島(独島)の先取権」を正当化するのなら、江華島条約(日朝修好条約:1876=明治9年)により朝鮮王国が開国する以前から、「朝鮮国は鬱陵島と独島(竹島)を明確に区別認識していた」ことを証明する公文書及び地図を提示しなければならない。
 それを日本軍が1895(明治28)年に印刷公表した地図に依拠するとは何事ぞや、と思ったのである。日本の言うことや文書は信用できないと言いながら、都合のよい場合はそれを引用するという論理矛盾にも気づかないのか。

 日本は1878(明治11)年5月から江華島条約に基づき、朝鮮全土沿岸部の軍艦による測量を開始している。1895(明治28)年4月には、日清戦争後の「下関条約(日清講和条約)」が下関市の春帆楼において調印されており、日本は清国から「遼東半島、台湾、澎湖列島の割譲および賠償金2億ドル」を確約させている。(遼東半島の割譲はドイツの利益と対立し、後に「三国干渉事件」に発展するが、本筋でないので省略する。)
 重要なのは台湾と澎湖島(台湾島の南西に隣接する諸島群)の所有権を清国が日本に譲ったという事実である。日本の陸海軍はこの時までに、朝鮮及び満州、山東省などの内陸部の測量も終えていた。

 「中央日報」が報じた1895年の「日本軍用地図」だが、これが下関条約調印以前の資料に基づくものであることは以下に述べるが、まず問題の地図を同紙から転載する。
 「日清韓軍用精図」と左上にあるが、同じく表題にある「賞衛」に似た漢字は画素数が少なくて私には読めない。500%表示にすればよく分かるが、この地図では台湾島の東海上に日清の国境線が描かれている。

 1895(明治28)年の清との講和条約で台湾は日本に割譲されているのだから、それ以後に出版された地図で日清の国境が台湾海峡を通っていないことなどありえない。
同じ国境線は東シナ海で、日・清・韓の国境分岐点を示した後、北上して対馬海峡を通り、問題の鬱陵島方向に北上している。
 ここで2箇所不審な箇所がある。樺太と北海道の間に描かれた日露国境線は対馬海峡の日朝国境線と同じ太さ・トーンの破線であるのに対して1)鬱陵島と竹島の箇所では不自然に太くかつ鮮明になっている、2)二島の位置に不自然な白い輝点がある。
 

(付図1:「日清韓軍用精図」、引用元「朝鮮日報」)

 この箇所の拡大図を同じく「中央日報」記事から転載する。(付図2)

(付図2)
 波線は博多からロシアのウラジオストックに至る海路を示している。隠岐の北から朝鮮の「盈徳(ヨンドク)」に至る緯線は北緯37度線であろう。
 蔚珍(ウルチン)のすぐ西を南北に走る細い経線は、東経129度線であろう。
 ちなみに鬱陵島は東経131度線上にあり、竹島は132度、隠岐島は133度線上に位置する。韓国本土から竹島までは、経度で約3度離れている。日本列島にこの経度幅を適用すれば姫路市から千葉県の銚子市までに相当する。

 注目すべきことは、この部分図では「日清韓軍用精図」全図にあった2個の白い輝点が消失していること、日朝の国境線が二重破線になり、赤に彩色されており、明らかに人為的な加工が認められることだ。
 それに竹島(今の鬱陵島)と松島(今の竹島)の位置と大きさも、現在の地図と異なっている。日清戦争後の三国干渉によりロシアに遼東半島を奪われ、「臥薪嘗胆」を誓った日本陸海軍が、10年後の日露戦争を前にして、こんな杜撰な地図を作ったとは私には思えない。
ちなみに図の「松島」に付与されたハングルの2文字の右側は「ド」と発音し「度」を意味する。左側は独学(ドカク)、独裁(ドクチェ)、独身(ドクシン)の独を意味する。すべて日本語の朝鮮語読みである。
 したがってハングルが、朝鮮人が主張するように、世宗王が作った世界最高の表音文字であるというのが正しければ、このハングル2文字は「ドクド」と表記するのが正しい。「島(ソム)」は文字も発音も異なる。
 日本メディアは「独島(どくとう)」と韓国呼称を報じているが、いいかげんなもんだ。
 
 鬱陵島と竹島は永らく混同されてきた歴史があり、日本政府が現在の竹島を「無主地」と認め閣議決定により、島根県が日本領として、1905(明治38)年2月告示の上、島根県に編入した。当時韓国政府からは何の異議申し立てもなかった。島根県は編入した2月22日を「竹島の日」と制定している。
 
 竹島問題は韓国の李承晩政権が、1952年一方的に竹島の領有宣言をし、いわゆる「李承晩ライン」なるものを設け操業する日本漁船を拿捕し、乗組員を拉致したために発生したもので、李承晩の行為こそ完全な国際法違反である。
 WIKIには<日韓基本条約が結ばれるまでの13年間に日本漁船328隻を拿捕、漁師3929人を拘束、うち44人が死傷した。後に韓国政府は日本政府に対し、拘束されている日本人漁師釈放の代わりに日本の刑務所で常習的犯罪者あるいは重大犯罪者として収監されている韓国人受刑者の釈放を要求し、日本政府はその要求を受け入れ受刑者472人を釈放し永住許可を与えた。>とある。

 これは1977年、日本赤軍がバングラデッシュの首都ダッカで、ハイジャックした日本航空の乗客乗員を人質に、服役中の受刑者9名(2名の刑事犯を含む)の釈放を要求した事件とそっくりである。つまり韓国政府はこのテロ事件をモデルとして、1998年になって韓国人受刑者472人の釈放を要求したのである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%89%BF%E6%99%A9%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3

 これとの関連で、1968年ライフルで暴力団員2名を射殺した累犯者で、在日韓国人の金嬉郎(きんきろう)は静岡県「寸又峡温泉」で、泊まり客らを人質に旅館立て籠もり事件を起こし、無期懲役の判決を受け服役していたが、1999年に仮釈放と韓国への帰国が認められた。(この時点で日本永住権は喪失した。)
 帰国後の金嬉郎は2000年に韓国でできた愛人の夫の殺人未遂と夫の家の放火を行い逮捕され韓国の裁判で有罪となった。
 すると彼は「日本への再入国」を2010年になって要請したが、日本政府はこれを拒否し、結局、彼は同年3月に前立腺がんのため死亡している。日本での犯行を英雄視したくせに、韓国では彼の墓を作ろうとするものがなく、火葬後の骨は釜山沖に散骨されたという。

 竹島問題・李承晩ラインから少し話がそれた。
 前回「夜郎自大」という言葉の起源を紹介したが、慰安婦問題、徴用工問題、竹島問題といい、韓国には時効という考え方がないのだろうか?と思う。近代法が常識としている「時効Prescription」という概念を持たない、韓国人の考え方が私には理解できない。
 この言葉は医学用語の「処方(同じく英語でプレスクリプション)」から派生したもので、紛争を病気と捉えると、患者に処方が必要なように、2者間の紛争にも時効という「処方」が有効なのである。

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