日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

無言の抗議

2020-06-16 20:51:43 | 旅日記

自粛自粛の大合唱がひとまず止んでも、付和雷同の気質には相変わらず閉口するしかありません。職場に復帰してからというもの、俄に引っかかるようになったのが、マスクの着用という「新しい生活様式」です。
復帰が決まった段階で、着用が原則とのお達しはありました。しかし、盲目的に従うつもりもありませんでした。「新しい生活様式」とされる事共の中でも、合理性のあるものとそうでないものがあります。こまめなうがい、手洗いと消毒が有効なのは明らかです。しかし、マスクの有効性については、今なお様々な説が入り乱れ、何ともいえない面があります。しかるに一部の「専門家」による意見が偏重され、人々がそれに盲従している状況は、闇雲な「自粛」が横行した頃と何一つ変わりません。そのような価値観に与するつもりがないことは、一貫して語ってきた通りです。
至近距離で対面する状況なら、気休め程度のマスクといえども一定の効果はあろうと思います。その効果がとりわけ大きいのは店舗営業でしょう。一日に数十人、数百人を相手にする方々の心理的負担が、我々などとは比べものにならないほど大きいことは容易に想像しうるところです。そのような状況において着用するには全くやぶさかでありません。しかし、その他の状況で一律に着用する意義が、果たしてどれだけあるかについては懐疑的です。
無類の暑がりとしては、四六時中着用する状況を想像しただけで気が滅入りました。それに加えて復帰後に気付いたのは、暑いばかりか頭の回転も鈍ってくるということです。吐いた息の一部を循環させて吸う以上、よくよく考えれば当然の結果ではあります。曲がりなりにも頭脳労働に従事する者としては、生産性が落ちることによる損失が、気休めによる安心感をはるかに上回ると実感しました。それを踏まえて直言の結果、自席にいる場合については着用を免れて現在に至ります。
ただし、席を離れるからといって、律儀にマスクを掛けるようなことはしません。試行錯誤の末に行き着いたのは、手拭いを首から提げる、夏場の旅先でするのと同じ姿でした。二言三言の会話ならその手拭いで口元を押さえ、離席の場合はマスク代わりに巻き付けるという寸法です。つまり、ヘルメットを被れば過激派の活動家と同じ出で立ちということになります。
彼等と違い、暴力的な手段に訴えるつもりはありません。しかし、これもある意味社会との闘争ではあります。覆面の奥に闘志を秘めながら、無言の抗議を続けていくつもりです。

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