moiのブログ~日々のカフェ

北欧&フィンランドを愛するカフェ店主が綴る日々のあれやこれや

緑の光線

2005-08-02 19:39:00 | コラム、というか
「緑の光線」を観た。

ロメールの映画というと、いつも思い出すのは「シネヴィヴァン六本木」という映画館のことである。ぼくが観たロメールの映画はほとんどすべて、この、いまはなくなってしまった映画館で観たはずだ。しかも、夏休みに。この点の記憶はあいまいだけれど。映画のあらすじはさっぱり憶えていないのに、映画が終わって地上にでた瞬間の目が眩むような光や、六本木通りの喧噪だけはやけにはっきりと憶えているのだった。あとひとつ、それにまつわる話として思い出されるのはこんな「教訓」だ。デートにロメールの映画はふさわしくない。映画のあと、その話で盛りあがれないから。

ところで『緑の光線』という作品、はたして観たのか、それともまだ観ていなかったのかどうも判然としない。ロメールの映画はいつもそうだ。じゃあ、つまらなかったのかというと、断じて言うが、そんなことはない。とりわけ、この『緑の光線』という映画はとてもよかった。

ごくフツーのひとびとがごくフツーにおしゃべりしているようにみえる自然体の演技や、エンディングの《爆発》にむけてひたすらエネルギーをためこむかのような「抑制された演出」など、ロメール映画の「エッセンス」がいっぱいにつまった作品、という気がする。そうしてあらためて感じたのは、ロメールの映画というのは「ストーリー」をおもしろがるものではなく、その《余韻》をたのしむべきものなのだろうということ。だから、それがはたしてどんな作品だったのか他人に説明することすらできないにもかかわらず、その《手触り》だけはしっかりと心に刻みこまれているのだ。

まあ、もっと気楽に、南仏のいろいろなリゾート地の景色やそこで夏を謳歌するひとびとの姿を垣間みることのできるこの映画を、ジャック・タチの『ぼくの伯父さんの休暇』とならぶバカンス映画の傑作としてたのしむことだってできる。とりわけ、この夏どこにも行けないひとはぜひ。それにしても、「バカンスに命をかける」フランス人の悪戦苦闘ぶりは「哀れさ」を通り越して、ほとんど「滑稽」ですらある。「バカンスの過ごし方」がストレスになってしまうなんて、フランス人も難儀なひとびとである。