曠野すぐりBLOG 「小説旅日記」

「途中から読んでも内容の分かる連載小説」をいくつか、あと日記を、のんびりと載せていきます。
 

小説・死者ノ遺産ヲノムナ (3)

2012年10月14日 | 連載ミステリー&ショートショート
《2012年秋のGⅠの日に更新していく競馬小説》
 
 
(3)
 
 
朝は小雪だったのがだんだん強まり、午後一番のレースが終った直後、それ以降のレースの中止が発表された。
 
午後一番のレースは新馬戦だったが、デビューが悪天候に当たるなんてかわいそうだな、とはずれ馬券をつまみながら亮一は思った。なにしろ実況のテレビモニターからは、馬が走っていることはかろうじて分かるものの、それが何番の馬かまったく分からなかったのだ。
 
亮一が競馬を始めた頃は、同時開催の関西は重賞になっているメインレースしか買えなかった。だからこんな日はその関西メインだけ買って文句たらたら帰途につくところだったが、今は関西どころかローカル開催の馬券も全レース売られているので、関東が中止になったからといって帰る者はほとんどいない。中央競馬は基本的に、関東で東京競馬場と中山競馬場を交互に、そして関西で京都競馬場と阪神競馬場を交互に開催し、その他に札幌、函館、新潟、福島、中京、小倉のローカルを持ち回りで1ヶ所開催する。ほぼ、合計3ヶ所の開催なのだ。だから全ての馬券が売られている今では、1ヶ所悪天候で中止になっても馬券の発売が3分の2になるだけだ。
 
ずらりと並ぶテレビモニターの、オッズ、馬体重、パドック映像などが、阪神競馬場と小倉のものに切り替わる。同じ画面が多く並ぶその眺めはいつもと勝手が違い、少々違和感があった。
いつもなら3場のレースがほぼ10分間隔で行われ、馬券を買う側は実に慌しい。しかしその流れに慣れてしまっているせいか、関東のレースがないとどうにも手持ち無沙汰で、亮一はどうも気分をそがれてしまった。
「クーさん、なにか食いに行こうか」
亮一が気分を伝えて外に出る提案をすると、クーさんが少しの間考え込み、
「それなら亮さんよぉ、ウチに来ないか?」
と意外な言葉を返した。
「こんな天気だし中山も中止だしなぁ。あとの馬券買ってって、ウチで飲みながらテレビで見るってのはどうだろう。こっから5、6分だしよぉ」
亮一は一瞬迷った。あまり踏み込んだ間柄になることに躊躇したのだ。が、老人が一人暮らしだと言っていたのを思い出し、結局頷いたのだった。
 
二人は早速、阪神競馬場の最終レースまでの馬券検討に入った。次々にマークカードを塗りつぶしていったのだが、亮一が全て馬券を買い終わるまでに、なんだかんだで一時間近く掛かってしまった。
亮一が競馬を始めた当時は馬券の種類が3種類しかなかったので、今ほど検討に時間は掛からなかった。それが今や、3倍の種類が売られている。検討にも時間が掛かるというものだ。
亮一より長い年月馬券を買い続けているクーさんは昔かたぎで、昔から売られている単勝と枠連しか買わないので検討も簡単だ。しかし少ない賭け金で高配当狙いの亮一はさまざまな馬券のオッズを見比べるので、時間が掛かってしまう。
それでもようやく最終までの馬券を買い込み、老人と二人、異様に暖房の効いた場外をあとにした。
 
クーさんの家に着いて少しすると競馬中継が始まった。司会者は初めに、中山競馬場の午後の中止を伝えた。
二間と小さな台所だけの平家なので、家の中はすぐに暖まった。そのうえ炬燵があるので、ことのほか快適だった。
燗した酒をグラスに注ぎ、じゃあと二人で軽く目元に上げてから口を付けた。熱い液体が咽を通過するのがはっきり分かり、今までの寒さが一気に外へ放出される反動で、体がぶるっと一回震えた。
「クーさん、いい家じゃないのよ」
「借家だけどな。まあ老人一人じゃこれで十分だ」
 
阪神の準メインはたった6頭の長距離戦で、さすが穴党の亮一でも荒れるとは考えられず、老人に乗って本命で勝負した。しかし6番人気の馬がしぶとく逃げ残ってしまい、小頭数のレースにしては高配当で結着した。
「なんだよ、まったく」
老人は立ち上がって台所に入っていった。
老人は中々戻って来なかった。亮一はその間ぼんやりとメインレースのパドックを見ていたが、そのうち旨そうな匂いが台所からしてきて、老人がいくつかの料理を運んできた。
「すげえなぁ、クーさん」
「なぁに、あっため直しただけだよ。まぁヒマ持て余してるからな。こんなことしかやることないんだよ。食ってくれ」
 
メイン、最終と馬券は散々だったものの、温かい酒と食い物、そして気の合う人間との会話でいい気分のまま、亮一は八時過ぎにクーさんの家をあとにした。
 
雪は降り続いていて、電車は間引きされていた。中々来ない電車を待つ人々が寒気を嫌ってコンコースに溢れていた。亮一は人込みが嫌なので、寒かったがホームで立っていた。
首をすくめて右足と左足を交互に上げていると、遠くの淡い光が段々と大きく、強くなり、雪をまとわりつかせた電車がゆっくりと入線してきた。
 
車内は冷え込んでいた。じっとしているとつらいので体を前後にゆっくりと動かす。雪で音が吸収されて静まり返った車内に、小さく、ダウンジャケットの擦れる音が響いている。
まったく当たらなかったが、中山の中止で馬券の購入がいつもより少なかったので、そこそこのマイナスで済んでしまった。
いや、待てよ、と亮一は思った。これがあのまま場外に居続けたらどうだっただろう、と。おそらくいつものようにアツくなって、中山の中止で浮いた分までどんどん買い足していたに違いない。
クーさん家に行ったのがよかったのだ。二人ともネット投票など使えるわけもなく、馬券場をあとにしてしまえば買い足そうにも買い足すことができない。今日など、これはと思った軸馬がまったく連がらみしていないのだから、いくら買い足そうとも当たる目がなかった。
 
不思議な縁なもんだなぁ、と、亮一はぼんやり考えた。
場外に行く時は、いつも同じ階の同じ場所に陣取る。どの連中もそれは同じなようで、そこに行くと毎週同じ顔ぶれだった。クーさんもその一人で、顔だけは知っていた。
ある日締め切りぎりぎりに列に並んだ亮一は、珍しく、間に合わないかなと呟いた。するとちょうど前に並んでいた男が、
「あんちゃん、おれこのレースは買っちゃってあるから、あんた先に買いなよ」
と順番を譲ってくれた。それがクーさんだった。
幸運なことにそのレースは的中し、払い戻しに並んだ時、また前に居たのがクーさんだった。
それがきっかけで話すようになり、今日に至ったわけだった。あの時の呟きがなければ、仲良くなっていなかったに違いない。
 
まったく不思議なもんだなと、今度は小さく呟き声を漏らしてみたが、車内にいる数人の乗客は皆目を瞑っていて、亮一の声に反応する者はいなかった。
 
 
(つづく)
 
 
・秋華賞  枠連2-7、3-7、4-7、6-7