曠野すぐりBLOG 「小説旅日記」

「途中から読んでも内容の分かる連載小説」をいくつか、あと日記を、のんびりと載せていきます。
 

小説・立ち食いそば紀行  「Q」

2012年09月26日 | 立ちそば連載小説
《主人公の「私」が、各地の立ち食いそば屋を食べ歩く小説です》
 
 
「Q」
 
 
ときおり通る道沿いに、ちょっと文言が引っ掛かる看板がある。ラーメン屋のものなのだが、標語っぽく「味よし 麺よし スープよし」と書かれている。
 
語呂はいいのだが、引っ掛かるのはその言葉だ。これ、重複しているではないか。「味よし」ということは、その中に麺とスープがよいということも含まれている。ウチのラーメン美味いですよと言っているのは分かるものの、なんとモヤモヤ感を残す看板だろう。正しくは、「具よし 麺よし スープよし」ではないのか。それであれば意味が重なることはなく、ラーメンにおける3つの重要なパーツを網羅して、スッキリとした読後感となる。
 
思わず深夜にこっそりと書き換えてしまいたくなるが、しかしこのラーメン屋で食したことがないので、それはできないことだ。いやいや、人様の看板を勝手に書き換えること自体やってはいけないことなので、これは仮の話なのだが、しかし仮に書き換えるにしてもだ、食していなければ、この店の具が果たして「いい」と断言してよいのか分からないのだ。
 
しかし考えてみるに、この「具よし」というのは、謳うのがちょっとむずかしい言葉である。麺であれスープであれ、通常の店であれば1種類、またどんなに凝っている店でも2、3種類といったところだ。だから自信作を提供しているのであれば、「よし!」と謳うことはそうむずかしくない。しかし具というのは多数あるもので、チャーシューもあればメンマもあるし、玉子も野菜もある。そのすべてに対し「よし!」と自信を持てるものを提供できるかというと、なかなかそうはいかないはずだ。
例えばコーンラーメンやワカメラーメン。まさかコーンやワカメなどというものにまで全力投球していたら、原価割れしてしまう。「具よし」と謳う店があっても、それはチャーシューや煮玉子などメインのものだけだろう。
しかし正確さを求めるあまり看板に、「具よし 麺よし スープよし(ただし具は一部のみ)」などと記載すれば、キャッチーさを極端に失うことになる。それでは看板の意味がないというものだ。
 
そんなことを考えていたら、いわもとQで食したくなってきた。この店ではメニューの垂れ幕に「もっとうまいを、もっと身近に。」と謳っている。語呂もいいし、違和感のない文言だ。
店舗数が少ないチェーン店なのだが、わたしは何度か食したことがあった。池袋店もできたことだし、次の休みにでも行ってみるかと、いわもとQの文言を頭に浮かべながらわたしは思うのだった。
 
 
(「Q」 おわり)