曠野すぐりBLOG 「小説旅日記」

「途中から読んでも内容の分かる連載小説」をいくつか、あと日記を、のんびりと載せていきます。
 

『貧困旅行記』の「奥多摩貧困行」を半分辿る 後編

2011年02月20日 | 彷徨う
 
本宿の三叉路は、村の大きな分岐点だ。村には、ここと、もう少し先にある上川乗以外に分岐点はない。
 
とにかく、桧原村には道がない。幹線といえる道路はたった一本で、五日市から上野原まで延びる「上野原あきる野線」だけ。他は、上川乗で分岐する道以外、すべて山へと延びて行き止まりとなる。上川乗で分岐する道だって奥多摩周遊道路なのだから、生活に使える道ではない。
それですら、前に比べれば格段によくなったはずだ。以前は奥多摩への道は有料道路で、午後6時以降は通行止めだった。上野原に出る道も、20年ほど前にトンネルができるまでは狭い山道で、ガケ崩れで通行止めになることもたびたびだった。
 
 
私は本宿で、右に曲がった。幹線は左で、こちらの方は行き止まりとなる道だ。曲がってすぐに、人家がなくなった。
 
駐車スペースに車を停め、降りて川を覗いた。谷底を流れる支流は細く、日が暮れているわけではないのによく見えない。山は一面、枯れ木と枯れ枝だ。風も強くなっている。私は逃げ込むように車に入った。
 
Uターンして、本宿に戻った。帰るつもりだったが、信号待ちの間に気が変わって、上野原方面に向かった。
 
 
ガケ崩れを起こしたのか、一車線になっているところがあった。山側の車線は工事中で鉄材に囲まれている。
 
私は工事用の信号機が青になるのをじっと待つ。このような山道の工事区間は、怖いなぁといつも思う。青になって進んでも、対向車が来てぶつかったらどうなるのだろう。どちらも青だったと言い張れば、証明のしようがないのではないだろうか。今は日中で誘導員がいるからいいのだが、人のいなくなる夜には通りたくない。
 
工事区間を抜けると、山側にトンネルのような穴が開けられていた。停まってじっくり見たいと思ったが、採掘場のようで、ダンプカーが出入りをしている。関係者以外立ち入り禁止のような雰囲気が漂っていて、減速する程度でがまんした。
進んでいるうちに道が暗くなったので、Uターンした。穴を見て、工事区間を通り、本宿の三叉路を右折して橋を渡る。宿屋、雑貨屋、役場、ガソリンスタンド……。桧原村で唯一、「街」と呼べる雰囲気の場所だ。
 
「奥多摩貧困行」では、一泊したあと五日市に戻るとき、子供がバスに酔って途中下車したとある。本郷というバス停だが、車だし暗いのでまったく分らない。
 
 
ほどなくして五日市駅まで来た。私は交番の裏にある公衆トイレに寄った後、もう少し山道を走りたくなって秋川街道に向かって行った。