本日の読売新聞夕刊(コラム・日本語の冒険)より。
フリーライター・長野伸江氏曰く
悪口や悪態語の原則
1.弱いものいじめではない。
2.自分を高めるものではない。
3.「気にくわない」という個人的な感覚に基づく
4.言葉が豊かで、同じ言葉を何度も繰り返さない。
5.名を名乗る。
ゆがんだ悪意を持つ陰口とは違う。
大切なのは「気に入らないものは気に入らない」という
姿勢を貫くこと」
私的には2がツボにはまったわ(~_~;)
覚えておこうっと。
フリーライター・長野伸江氏曰く
悪口や悪態語の原則
1.弱いものいじめではない。
2.自分を高めるものではない。
3.「気にくわない」という個人的な感覚に基づく
4.言葉が豊かで、同じ言葉を何度も繰り返さない。
5.名を名乗る。
ゆがんだ悪意を持つ陰口とは違う。
大切なのは「気に入らないものは気に入らない」という
姿勢を貫くこと」
私的には2がツボにはまったわ(~_~;)
覚えておこうっと。
建設的な悪口は良いことだわ。
旦那には毎日1.を注意されます...。そうしてるつもりなんだけど,無意識にダーヴィン主義者になりがち。
5.が気になります。
かつてアメリカで学んだときは極力名前を避けることだったんだけど,何なんだろう。今度教えて下さい。
氏曰く、健全な悪口は批判精神に通じるということです。
私の場合、今年はココロにもないおべんちゃらを言って結果一騒動起こしてしまったので本人の前で「悪口」言うのは悪くないことかも。(名を名乗るということに通じるのかな)
「悪口」をどうとるかは相手次第ってとこあるしね。やっぱり相手をみて「言う」か「黙る」かのどっちだわ。
4.もなかなか渋くない??
>毎日なのぉ?
レッスンがある日はいつも言われます。旦那は、下手な人を誉め、才能のある人を批判してあげなさい、と言うけど、私はその逆を行っていて、これだとダーヴィン式で良くないっていつもケチ付けられます。
>プレジデント誌にも載ってたの?
私はたまにしか読まないけど、時々役立つこと書いてあるよ。
>ネットのおかげでブログやら掲示板やらが全盛だからこういうテーマもクローズアップされやすいのかも。
どうだろう。でももしそうだとしたら、すごく良いことだと思う。世間がコモンセンスを磨くから。
>氏曰く、健全な悪口は批判精神に通じるということです。
私もそれに賛成です。子供の頃から「真実を見極める目を育て、ものごとを疑いの目で見て、建設的な批判ができ、なるべく自分の意見を実行に移せるような実践的で創造的な人間になれ」と言われて来たから。
私の場合、今年はココロにもないおべんちゃらを言って結果一騒動起こしてしまったので本人の前で「悪口」言うのは悪くないことかも。(名を名乗るということに通じるのかな)
本人に言うことは悪口ではないと思うよ。悪口は第三者にゴシップ話を提供することだよ。私はそういう行為が嫌いだし、する人を軽蔑してるから、自分でもおこなわない。
「悪口」というのは、「ここで自分はあえて悪くちまたはうわさ話をします」と責任とって行うのはOKであり、たとえその行為が子供に聞かれる、あるいは悪口の対象になった相手の耳に届いたとしても、責任とって自分の行為を弁明出来れば、それはただのゴシップでは無い、と思う。悪口も賞賛も、あくまでBe as it isであれば問題なく、それによって相手を心理操作しようとすることは悪意をこめたもの即ち嘘として許せない行為だね。
>どうとるかは相手次第ってとこあるしね。やっぱり相手をみて「言う」か「黙る」かのどっちだわ。
相手はどう取るかまでは自分ではコントロールできないもの。人間はあまりにも自分が全て、他人までも操作できると思うがためにあらゆる当回しな言い回しをして来ている。これを共依存と呼ぶ。日本は島国で、人と人との密着度が強いため、たえず"こう言ったら相手にどう思われるんだろう?”とおびえ続けて来た。これも、国際化とともに卒業してほしいissueだわ。
4.もなかなか渋くない??
もちろん語学フェチとしては一番好きなポイントですよ。ただ、言葉が先走って思いもしない言葉を使うことには極力つつしまないと、またもやおばんちゃら人間と言われちゃうわね(笑)
ちなみに上記に書いたことは全て一般論です、念のため(笑)。
レッスンがある日はいつも言われます。旦那は、下手な人を誉め、才能のある人を批判してあげなさい、と言うけど、私はその逆を行っていて、これだとダーヴィン式で良くないっていつもケチ付けられます。
*旦那様のご意見に私も賛成です。
根拠のない褒め言葉でも嬉しい時すらある。
>プレジデント誌にも載ってたの?
私はたまにしか読まないけど、時々役立つこと書いてあるよ。
今度わかりそうな所を紹介してください。
名前を聞いただけで敬遠しちゃう系の雑誌なんで。
>ネットのおかげでブログやら掲示板やらが全盛だからこういうテーマもクローズアップされやすいのかも。
どうだろう。でももしそうだとしたら、すごく良いことだと思う。世間がコモンセンスを磨くから。
>氏曰く、健全な悪口は批判精神に通じるということです。
私もそれに賛成です。子供の頃から「真実を見極める目を育て、ものごとを疑いの目で見て、建設的な批判ができ、なるべく自分の意見を実行に移せるような実践的で創造的な人間になれ」と言われて来たから。
*真実を見極める目というのは常に本物を見る、本物に触れるという姿勢が徹底されていたから培われたのでしょうね。
私の場合、今年はココロにもないおべんちゃらを言って結果一騒動起こしてしまったので本人の前で「悪口」言うのは悪くないことかも。(名を名乗るということに通じるのかな)
本人に言うことは悪口ではないと思うよ。悪口は第三者にゴシップ話を提供することだよ。私はそういう行為が嫌いだし、する人を軽蔑してるから、自分でもおこなわない。
「悪口」というのは、「ここで自分はあえて悪くちまたはうわさ話をします」と責任とって行うのはOKであり、たとえその行為が子供に聞かれる、あるいは悪口の対象になった相手の耳に届いたとしても、責任とって自分の行為を弁明出来れば、それはただのゴシップでは無い、と思う。悪口も賞賛も、あくまでBe as it isであれば問題なく、それによって相手を心理操作しようとすることは悪意をこめたもの即ち嘘として許せない行為だね。
>どうとるかは相手次第ってとこあるしね。やっぱり相手をみて「言う」か「黙る」かのどっちだわ。
相手はどう取るかまでは自分ではコントロールできないもの。人間はあまりにも自分が全て、他人までも操作できると思うがためにあらゆる当回しな言い回しをして来ている。これを共依存と呼ぶ。日本は島国で、人と人との密着度が強いため、たえず"こう言ったら相手にどう思われるんだろう?”とおびえ続けて来た。これも、国際化とともに卒業してほしいissueだわ。
*うん、今日の話しですごくわかりました。
自分は批判精神があると思っていたし、今もあると思う。だけど相手の反応は常に気にしていた。意識的にも無意識にも。
4.もなかなか渋くない??
もちろん語学フェチとしては一番好きなポイントですよ。ただ、言葉が先走って思いもしない言葉を使うことには極力つつしまないと、またもやおばんちゃら人間と言われちゃうわね(笑)
*その通りだわ。自分の意見を言う場数を増やす教育が必要だと思うけれど日本の教育は未だにその真逆をいってる気がする。
ちなみに上記に書いたことは全て一般論です、念のため(笑)。
*はいはい(^_^)v