平安時代には、
「遁世」(とんぜ)という生き方がありました。
例えていえば、
西行とか、
鴨長明とか、
吉田兼好とか・・・の
生き方を想像すればいい。
簡単に言えば・・・
今までの自分で捨てて・・
別の生き方をして・・・生を終わるということ。
私は・・・このブログの冒頭で・・・
「私は平成17年3月29日、
認知症と診断され、ひどく戸惑いました。
人に聞き、本を読み、・・・そして
私は自分なりの結論をだしました。
花の下で好きな読書と花の旅を楽しもう・・・と」
と書きました。
キザッポイ・・・言葉です。
ちょっと、はずかしい・・・が、
気にいっている言葉でもあります。
その言葉の源が・・・・「遁世」という言葉。
つまり・・・私は・・・
西行のように・・・
鴨長明のように・・・
吉田兼好のように・・・と、
少しだけ真似をすることで、
「認知症」という言葉から・・・
遠く離れたい・・と思ったのです。
何を気取っているんだ・・・
「この病」は・・・そんな簡単なものではありませんよ・・・と、
言われることは・・・承知の上で、
そんなこと・・
「花の下で好きな読書と花の旅をしよう」と
いう言葉を書きました。
今・・・私は・・・私が願ったように・・・
好きな読書が・・・できています。
できない方が、「花の旅」。
という事で代わりに・・・玄関に、
一輪の花をしつらえています。
旅に出ることは・・・
口では簡単に言えましたが・・・現実は
「この病」では、簡単ではありませんでした。
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「この病」であることを前提として・・好きなこと・・・
できることをする・・・というのが、私のスタンスです。
西行・・・と私が書いても・・書かれた中身は稚拙です。
でも・・
昔の記憶を少しでも思い出せれば・・・いいと思っています。
論文を書くわけではありません。
私が・・・私の言葉を・・・例え・・・
意味が通じなくても書きたいのです。
自分が今生きている・・・ということを確認するためにです。
「遁世」の言葉に引かれてコメントしちゃいました。
私も西行の「花の下にて春死なん、如月の望月の頃」
の言葉が好きです。
私に似合いません。
でも関係ありませんよね。
こうしたい、こう生きたい。という意思を持てば
近づくように思うのです。
キザではありませんよ、少しも。
西行さんの事を書く「認知症の人」なんて・・・
ウソでしょうと、言われますか?
そう思われるかも・・・と、
思いながらも、エイヤッという感じで書きました。
西行さんのことがなんとなくなつかしい。
自分を重ねることで、
今の自分が・・・少しだけわかるような気になります。
そう思った時に、
迷わず・・・そのことを書かなければ・・・
その言葉・思いは消えてしまう私。
いいたいことを言われない患者さんも居られますが・・・
私はこうして書くことで、自分を表現しているのです。
又、書いてください。