言葉を書く・・・とか、話すとか、
自分の感じたことを文章にすることは、
簡単なようで簡単ではないのです。
作家が文章が書けない書けないと言われる意味が
わかるようになりました。
そそくさと書いた話でも、
一応は・・・推敲したつもりなのです。
言葉を書く・・・という作業は、
あだやおろそかなものではないのですと言いたいです。
認知症患者の私が・・・・言葉を
書くこと自体がおこくがましい…といわれるかも。
でも、言葉を書きたいし、
言葉をいただきたいし、
奥の細道の残りを歩きたい・・・と思う。
可能かどうかはさていいて、
頭の中ででもいいから
奥の細道を歩きたいと思いのです。
芭蕉さんが、今生きておられたら、
そんなことを考える私。
「ふうりゅ」という言葉は、私にとっては、
とても大切な言葉なねです。
だから、言葉は非常に重要です。
認知症の人にとって
文字を失うことはつらいですね。
なぜか書けなくなる。
パソコンという文明の利器のおかげで
こうやって思いを世界に発信できる。
ありがたいですね。
久しぶりに「奥の細道」を読みたくなりました。
夏草やつはものどもが夢の跡
平泉の金色堂に行ったときのことを思い出します。
猛暑の中ではそんな言葉、私とは無縁って思っていましたが、こんな秋の夕暮れ・・・私にも風流の心が湧いてきそうな気配・・ありがたいことです。
水木さんのおかげ。
金色堂を詠んだ句はこちらですね。
名句が多い!
「奥の細道」が芭蕉の代名詞になるわけです。
夏草や、と書いて言葉が止まる今日です。
言葉を書きたいと思うし、一句を作りたいが、
簡単ではありません。
されで、されど、言葉をいただきたい、
一句がでる出るまで、
まつことにしました。
「風流」という文字が書けなった私でしたが、
貴方のお陰で、
「風流」との言葉を書けなした。