特殊だなあと思う
・・・・・・・
昨日は元気でも、
今朝起きても元気・・・ということは
なかなかありません。
自分で自分の体調のことを管理する・・・と
いうことは、言うはやすいが、
本当は難しい。
朝の読経がすらすら読めれば、
言うことはありません。
しかし、
不思議なことに、
「今朝は調子いい!」と
思った時がいけません。
お経の言葉ではない何かが浮かんできて、
一行飛ばすとか、
極端な日は、
別のページに飛んでいることがあります。
しかし、
別のページに飛んだことに気が付いても、
私は、その飛んだところから続けます。
私がお経を毎朝読むことは、
日々同じ行動をすること。
つまり、
体調管理としての読経・・・なのです。
小説家であり、和尚さんである方の話すですが、
朝の読経で、
父上様の体調が戻ったとのこと。
その真偽よりも、
私は「毎朝の読経」という行為そのものが
好きなのです。
朝一番に体操をすることも
意味は同じです。
散歩とか、ウーオキングとかをするよりも、
日常のなんでもないようなことがとが好きです。
百人百様の「この病」ですから、
そこのところを、押さえておきますと、
楽しいことに出会うこともあります。
ということで、
「この病」は、ヤッパリ特殊だなあ・・と思いますね。
次のお誕生日まで、笙子さんとつつがなく健康で過ごされますように。
毎日の日課をこなすことは生きて行くうえで大変重要なことと思います。
水木さんは「毎朝の読経」を日課として、また、好きなこととしてされておられることが、大事なことと思います。
好きなことを続けて行けることの楽しさを、味わって行ってください。
だから、根強い偏見が存在しました。
今は、ひとりひとりが発症した、ととらえられるようになりました。
性格やこれまでの人生への向き合い方が大きく左右するのでしょうが、症状はさまざまです。
まだまだ「わからないこと」ばかりの認知症。
体調が不規則。
そういうことも、こうして発信していただけることで共通理解につながっていきます。
認知症の人が生きていきやすい地図作り。
多くの本人の思いの蓄積が実現を可能にしていくのでしょう。
「お母さんひとりがこういう思いをしてきたんじゃないよ。多くの人が体験したことだよ」
母に言うことができました。
私も、家族として、なんとか間に合ったのです。
感謝しています。
ありがとうございます。
一瞬一瞬を大切にしていきたいです。
その積み重ねで、
私は私であり続けたい・・・と思っています。
これからもよろしくお願いします。
何もできない方が「認知症」と言われますが、
そうばっかりではないようです。
私の場合でいえば、
アリセプトの効果で、穏やかな日々を過ごしています。
しかし、
その穏やかな日々とは・・うすい氷の上を歩いているようなもので、
安定の上を歩いているのではありません。
機嫌がいいときにはルンルン気分、
しかし、
なにか不安を感じれば怯えてしまう私。
私にとっては、つかみどころのない病です。