認知症一期一会 http://blog.goo.ne.jp/mizukiosamu/

毎朝8時30分
ケイタイのアラームが鳴ると、私はアリセプト5mgを飲み食卓を離れます。


生きる者への作法

2007年07月16日 | 5mgの日記

自分の思いを
元気なうちに書いておくことは、
何を意味するのだろうか・・・と思うことがあります。

メモ帳に、
「自分にふさわしいそれなりの物を用意しておくことは、
生きる者への作法」
とあります。

そのページを読み返しても・・・意味不明。

その言葉を書いている時には、
その言葉の意味が分かっていて
自分は納得しているはずです。

その言葉は
今年の4月に書かれたもので、
そのメモ帳がなければ・・・
思い出すことさえなかったと思う。

春に手術したことで、
万一の時がよぎったのかも知れないとも思う。

それにしても・・・
「生きる者のへの作法」という言葉は・・・
はやらない言葉だなあ・・・と思う。

お先にどうぞ・・・とまではいいたくないが、
死をまじかにして思うことは、
ぴんぴんころり・・・と、
高齢者の体操で言われる言葉も
なにか・・・好きになれない。

そんな・・・死に関わる言葉が浮かんでくるには、
それなりの原因があってのことだと思う。

そう思うと・・・気にかかって眠れない・・・のです。

それにしても、
分かりにくい話になりました。

何か・・・・引っかかることが
脳のスミによどんでいるようです。


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6 コメント

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作法 (たこペン)
2007-07-17 09:19:12
水木様が引っかかっていらっしゃることは,そう簡単に答えが出ないことなのかもしれませんね。それでも,文章で表現することで,自分と向き合おう水木様の姿から,生への作法を学ばさせていただいている気がします。
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孤独感を取りはらう (水木)
2007-07-17 15:07:46
たこペン様へ

私が、こうして日々の思いを書くことは、
孤独感を取り払うためです。

人と話すことがこわい・・・と感じているからです。
私は私でありたい・・・という思いが強すぎるのかもしれません。

このスタイル・・・日々ブログに書く・・・ということが・・・
書けた・・・ということが、
とてもうれしいし、充実感がふくらみます。

そんな中での言葉です。
お笑いください。
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自分を貫く (miki)
2007-07-17 17:05:05
おそらくみんな意識するなしにかかわらず自分を貫いて生きていますよ。
だから、よほどの転機がないかぎり、生き方は変えられないし、変わらない。

だから、認知症を発症してもその人のそれまでの生き方は変わらない。
オブラートでつつんでいたものが、だんだん本質だけになってくる。
そんな気がします。

「生きる者への作法」とは、「自分の死後生きる者への心遣い」ということでしょうか?
「作法」というか「礼儀」というか・・・

父も母も、しっかり私へのメッセージは残しましたよ。
父は「ありがとう」の言葉を残したし、母からもたくさん言葉を残してもらいました。(母存命中につきまだ言えませんが)

生き残る娘への礼儀だったという印象を持っています。
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行ってきました。 (にんじんクラブ あやちゃん)
2007-07-17 22:25:26
今日中学校に行ってきました。
みなさんが私の話を聞いてくださいました。じっと聞いてくれた子らのまなざしが、とても強く印象に残っています。

いろいろとアドバイスして頂いたおかげで、落ち着いて話すことができたと思います。
背中をまっすぐにして
読みやすい高さに原稿を置いて
・・・・・よかったです。

でも、頭がザワザワと騒ぎ出してしまいました。
やっぱり疲れてしまったのでしょうね、帰ってからすこし横になりました。

でもちゃんとやれましたことはご報告したかったです。
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ステキでした。 (水木)
2007-07-18 09:50:43
にんじんクラブあやちゃん様へ

木下様が「もの忘れネットカフェ2号店」の、
そのあらましを書いてくださっていましたので、
私は安心して・・・・朝までぐっすりです。

只今、あやちゃん様のコメントを頂き・・・
ヤッターという思いが、私のパソコン部屋に充満しました。

頭のざわめき・・・疲れが続く・・・ということは、
私も体験しています。

半月くらい・・・私は、なんだか焦点が定まらない朝夕でした。
それでも・・・・ブログには書いていました。

書く・・・・という名の薬が・・・私に書かせたと思います。

ご自分流の休養をとることをお勧めします。
ステキな時間に感謝します。
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自分で用意する (水木)
2007-07-18 10:21:44
miki様へ

今は、死に装束を、本人が作っておく・・ということはありません。

本来は、死に装束は自分で用意し、
タンスの奥に仕舞ったおくものだと思っています。

私の母は・・・ある病だと宣告されて、
寝たり起きたり・・・と繰り替えました。

そして・・・・しばらくして病院で亡くなりました。

家に遺体が戻ってきたとき、
母のタンスを開けますと
「その装束一式」がそろっていました。

手縫いの・・・母の手になるものです。

絶句・・・・言葉が出ませんでした。

そのことが先日浮かんできましたので、
「生きる者への作法」と書きました。
個人的な話だと、書きくわえることを忘れていました。
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