軽井沢のいろいろ~♪ 軽井沢で静かに暮らす 深山のイノシシ があれこれ見たこと聞いたこと

軽井沢に静かに暮らす深山のイノシシが 軽井沢の春夏秋冬 今昔、あれこれ・・ 見たまま聞いたまま書いてるよ

 軽井沢のいろいろ 軽井沢の大晦日・・ 平成最後のお年越

2018-12-31 | 避暑地 軽井沢のあれやこれ

           今日はいよいよ 平成30年の大晦日  

 来年には 「 平成 」 という元号が変わってしまうということで 寂しい様な  

   楽しみな様な・・・  皆さんはどんなですか?   

  今朝の軽井沢は -7℃台なんだけれど 青空がのぞいていて ボクにはなんとなく もう慣れた寒さだよ 

 昭和、平成の世の中の巷では   いろいろな意味で 1~2つ前の和暦の時代のことを指して

 「 明治は遠くなりにけり・・・ 」 なんて  言葉が聞かれたけれど いよいよ

   「 昭和 」 も 2つ前の時代になって 今度は   「 昭和も遠くなりにけり・・ って言われるかしら・・ 」 

 って ボクの森の下の住んでいる   仲良しの 奥さんが笑って話していた

 だけど・・    軽井沢では そんな明治時代に劇的に 今の町の土台とも言えるものが出来上がった

   碓氷新道の開通と共に  外国人宣教師たちが訪れて 真夏を過ごすようになり

   人づてに軽井沢の心地良さが伝えられて  避暑という贅沢が出来る人々に愛されるようになって

 別荘やホテルや教会も外国人の生活も違和感なく広がって   130年が経っている

 今度   2つ前になる時代にはどんなドラマがあって  何がどう展開して来たのか・・ 

 多分、近頃みんなが手にしている  小さな四角い箱にも そんな情報がギッシリ詰まっているんだろうけれど 

 きっと    数え切れない読み切れないそんな数だろうね・・

 今日までボクは 1200日以上   毎日休むことなく知っている範囲の軽井沢の事をお話して来たんだけれど

 季節の催事記や   暦の上の出来事なんかでは 毎年同じ頃には 同じ話題だったかもしれない  

 ボクのお話につき合ってくださったみなさん   とても ありがとうございました  

               2019 

 みなさん  来年は ボクの年  にもなるので よかったらまたここに会いに来て 応援してくださ~い 

 よいお年を~~     

 

 

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1 コメント

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日々 (風の盆)
2018-12-31 10:37:14
>今日までボクは 1200日以上   毎日休むことなく知っている範囲の軽井沢の事をお話して来たんだけれど

連載とは連続して掲載することだな
1年は365日だから3年の上になるかな
気が遠くなるようだ

どうかな
このgooプログは読者数が現れるな
小生などは記載しても数人程度だな
しかも論評はない
しかしイノちゃはほぼ毎日記載して多いかな
コメントは小生ぐらいかな

小生も軽井沢に流れてきたが、軽井沢とは特殊な町だな
全国的にも珍しい
土台、地元民の住居よりも、別荘族の家屋が多いではないかな
いわゆる観光地かな
観光地とは通称、流浪の民なんだが、軽井沢では別荘族がかなり占めているかなと推測するんだな

インフラは出来ていない
道路も舗装されない、都市ガスもない、下水は言うに及ばず、産業は農業は少々、何せ不動産屋が100件以上とか

いわば不動産屋の町かな
ないしは、飲食業の町

地元民は良く分からない
地元民でも長くから土着している訳ではないようだ
従って、地元、地域の結びつきよりも一族、親族の結束の方が強いようだ

だから地域の付き合いは薄い

降る雪や 明治は遠くなりにけり

中村草田男は松山中学の出身だな
聖パウロ協会の敷地に碑があった
カソリックだった。裏に洗礼名が記載してある

あの、聖パウロ協会の女手伝い人はどうしているか
この句は昭和6年の作と言われる
満州事変、15年戦争が起こった年だったな
盗作との話もあるが定かではない
明治からわずか20年を経た作品なんだな

今は昭和から30年も経っている
時代の変遷は現代の方が早いだろうな

しかし
昔の人の感性の方が鋭さを感じ入るな




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