軽井沢のいろいろ~♪ 軽井沢で静かに暮らす 深山のイノシシ があれこれ見たこと聞いたこと

軽井沢に静かに暮らす深山のイノシシが 軽井沢の春夏秋冬 今昔、あれこれ・・ 見たまま聞いたまま書いてるよ

 軽井沢のいろいろ 軽井沢から歩く中山道・・軽井沢宿から西へ・・

2024-03-23 | 避暑地 軽井沢のあれやこれ

 軽井沢宿を西に歩き始めて旧軽井沢ロータリーの見える辺りは 変形の十字路

 明るいうちは いつでも人通りがある場所だけれど そのあたりの江戸時代は

 軽井沢宿を後にした宿場外れ・・賑わった時代には新町と呼ばれた家や小店があったかもしれない

 まっすぐに進むと 右手にベーカリーカフェ・・

 昭和の頃には「 紀ノ国屋 」が夏季店を営業していた

 その後方から鬱蒼とした木立の狭間に見え隠れする別荘や建物はそのオーナーのほとんどが

 旧華族や政財界の著名人・・後には超一流企業の保養施設などが立ち並ぶ

 まもなくの信号のない交差点北側の一角にはかつて 内閣閣僚が集う集会を開いた別荘もある

 この辺りから 軽井沢の観光名所「 雲場池 」もある一帯は中山道の江戸時代

 「 くもば野 」とも呼ばれる 原野だったとも伝えられている

 ここ数年の間に通り沿いがすっかり趣を変えてしまいマンションや高級別荘が並ぶけれど

 東部小学校の向かい北側は昭和の頃 大学の夏季合宿用のグラウンドだったり

 その脇にある道路をまっすぐに歩いて行くとそのまま 離山(1256m)山頂に登ることも出来た

 今は中腹くらいまで舗装道路になっているし、個人の別荘で立ち入れない場所もあるみたいだ

 やがて 軽井沢高等学校のグラウンドを通過してまもなく自動販売機と石仏が仲良く並ぶあたり

 1620年代に新田開発されたという「 離山集落 」

 中心の辺りの北側山腹に「 熊野社 」が祀られていたけれど 付近が別荘地化する過程でか

 古来の半分くらいの参道の辺りに移転して 新建築のお社に鎮座している

 ちょっとお参りして再び歩き始めると右手上段、堰沿いに大きな石碑が・・

 この離山集落の開発経緯を記した記念碑らしい 

 歩き続けると 中山道は国道18号線と合流する信号に差し掛かるね

 合流地点の歩道三角地に石碑がひとつ 

 大正9年から11年にかけて全国の市町村に1本づつ設置が命じられた「 道路元標 」だ

 みなさんが 他都道府県のどこの自治体の出身だとしても

 その自治体の当時の役所があった地の周辺の主要道路沿いに必ず設けられているはずなので

 「 お里帰り 」した時にでも、思い出したら 探してみれば 

 ただ、軽井沢のこれは 今年「 町制施行100周年 」を迎える「 軽井沢町 」が

 当時は「 東長倉村 」だったのを 作り替えて設置したものなんだそうだ

 まさしく 「 町制施行100周年 」の記念モニュメントだね 

 さて跨線橋のある信号を渡るとすぐに又信号。これを直進すると立派なご門からなるお屋敷

 だけど、この門塀は江戸時代じゃあない 

 明治時代にカラマツを植林した資産家の地元通称は「 雨宮御殿 」現在の離山公園だね

 ここで 国道と並走するしなの鉄道線路、実はその線路の向こう側が中山道なんだ

 そこで、軽井沢中学校の前に設けられた踏切を渡って線路の南側へ 

 和菓子屋さんの前で振り返ると舗装の無い小道がさっきの御殿の入口方向に向かっているよ  

 最初の右手の道を線路沿いに西へ向かうと湯川にかかる橋に辿り着く

 湯川が数限りなく氾濫を繰り返したので 

 江戸時代、どこでどう  渡河したかは判然としていないけれど 

 湯川を渡る前に仰ぎ見る浅間山は 視野の左手に見える光景が浮世絵に遺っていることで

 学者、郷土史家、観光ガイド・・・それぞれの人が長年、自説を語るポイントでもあるそうな

 さぁ・・   次のお話は「 沓掛宿 」に入るそうだよ             

 

 

 

 

 


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