軽井沢のいろいろ~♪ 軽井沢で静かに暮らす 深山のイノシシ があれこれ見たこと聞いたこと

軽井沢に静かに暮らす深山のイノシシが 軽井沢の春夏秋冬 今昔、あれこれ・・ 見たまま聞いたまま書いてるよ

 軽井沢のいろいろ 軽井沢から歩く中山道・・いよいよ「 追分宿 」

2024-03-25 | 避暑地 軽井沢のあれやこれ

 軽井沢町の中に遺る 江戸時代の中山道跡・・ 「 浅間根腰の三宿 」って言い方もあるようだけれど

   夜話の会では この言い方もいろいろな当て字の解釈の話題が沸騰して

 浅間嶺越しの三宿(浅間山麓を通過する三宿を意味する)

 浅間根越 (浅間の根(麓)腰(中腹あたり)を超える・・の意か)

 などなど これだけで、奥さんは何度もお茶を注ぎ差し     止めどなく口を開く人が居たね

 でも、それは一時置いておいて・・

 国道18号線の最高地点 1003mの看板が頭上に出されている近く    歩道橋のあるT字路

 道路北側には軽井沢西部小学校があって このところ生徒数が増加、 新しい校舎も増築中だそうだよ

 このあたり 日中の国道は混雑しているし、沿道のガソリンスタンドは車の出入りが多いから

 そっちに気をとられていると通り過ぎてしまいそうだけれど 追分宿入口の歩道南側土手上に

 一里塚の片方があるんだ

 江戸時代の資料では、軽井沢町内の3宿それぞれに一里塚があるとされているんだけれど

 現存しているのは 追分宿江戸側出入口のここだけ、それも一対のうち北側にあたるここだけ

 それでも、こんもりとした土盛を真下の歩道から見上げて 設置されている案内板を読むと

 なんとなく江戸時代に思いを馳せ、この辺りで当時 ホッとしたり、ひと休みしてまた

 歩き始める旅人の気持ちがいくらかわかる気がするね

 いくらか下り気味の石畳風に整備された中山道を追分宿内に向かって入って行くと直に

 右手に浅間神社がまつられていて 街道沿いに大きな常夜灯

 境内に、芭蕉の大きな句碑や石仏が配置されていて、沓掛宿や軽井沢宿より宿場らしい風情がある

 追分宿は その先にある昇進橋を超えた「 東町 」から

 ここも江戸時代の本陣、脇本陣、問屋とも当時の建物は遺されていなくて、江戸時代の建物と伝わるのは 

 浅間神社に祀られた それ以前、室町時代の建築様式が見られるという本殿と

 旧現金屋さん、西側宿場出入り口付近の津軽屋さんくらいなんだそうだ

 

    

 

 追分宿の西側出入り口の桝形(ますがた)至近にあったと伝えられる 桝形の茶屋「 津軽屋 」さん

 黒地に白、または彩色 の鏝絵(こてえ)による屋号看板だったか 

 劣化、退色の激しい姿が気がかりだけれど、聞くところによると

 追分宿の保全、将来などを考える集まりがあるそうで 軽井沢町などと図り

 ここを観光資源として活用して行くような動きがあるらしいよ

 この茶屋のさらに西側に 更科は右 み吉野は左にて・・と詠われた

 中山道と 更科・善光寺方面に向かう分かれ道 「 追分の分か去れ(わかされ) 」があるね

 ここがまた お茶会でいろいろ話が弾んだので     そこは またこの次に

 だんだん 軽井沢の寒さも緩んできたようだから お出掛けもしてみたら     ~~ 

 

 

 


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